自ら運命を切り拓くために。~ザ・セカンド・マシン・エイジ~


 

” セカンド・マシン・エイジには、何をほんとうに欲するのか、何に価値を置くかについて、個人としても社会としても深く考えることが求められる。私たちの世代は、世界を大きく変える可能性を受け継いだ。熟考と配慮の末に選択を行うなら、未来は希望を持てるものになるだろう。運命を決めるのはテクノロジーではない、私たちだ。 ”

 

Second Age

 

原初『The Second Machine Age』は、2014年1月に初版が発行されていますが、テクノロジーの指数関数的進歩は、予想通り、いや、ある意味では予想を超えるほどのスピードで、著者たちが予見する状況になり始めていると言っても良いかと思います。

 

” 従来、チェスや将棋と比べて定石が多く、感覚的な部分もあるため、人工知能がプロを打ち負かすのは無理とまで言われていた囲碁の世界だが、もはやそれは過去のことになった。”

『グーグルAI、囲碁トップ棋士に60戦全勝 神の一手は人から奪われた?』
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部より

 

他方、2017年1月現在、トランプ新大統領が打ち出す政策は、本書で提言される思想を強烈に否定するような状況にあり、これからの社会、世界が、決して理想通りにいかないことが見てとれます。いずれにせよ、未来に悲観的になり過ぎても、楽観的になり過ぎてもいけない、というスタンスには変わりないのですが、人類史上、前例のない規模で変化し続ける、この時代に、どう生きていくか、どのようなスタンスで世界と向き合っていくか、とても考えさせられる一冊でした。

 

 

 

 

【抜粋】

● 『ウォーリー』のディストピアからもわかるように、テクノロジーが十分に進化した世界では、人間のとめどない経済的欲求は完全雇用を保証しない。たとえば人間の輸送需要が途方もなく増えたとしても(実際、二〇世紀を通じて途方もなく増えたのだが)、馬の需要にほとんど影響はあるまい。要するに技術の進歩は、消費が増えれば人間の雇用も増えるという連鎖を断ち切る。かつて馬の雇用についてそうしたように。  言うまでもなく私たちは、ロボットや人工知能(AI)に何でもやってもらいたいなどとは思っていない。まさにこの欲求が、完全自動化経済の実現を阻む最大の障壁となるし、人間の労働者が近い将来に消滅しない最大の理由ともなる。人間はすぐれて社会的な動物であり、人とつながりたいという欲望が経済にも持ち込まれている。私たちがお金を払う多くのものには何らかの人間的な要素が含まれていることからも、それがわかる。たとえば連れ立って演劇やスポーツを見に行くのは、人間の芸術性や能力を堪能し、それを共有したいからだ。なじみのバーやレストランに足しげく通うのは、単に飲んだり食べたりしたいからではなく、あたたかいサービスを味わいたいからだ。監督やコーチはチームの士気を高めることができるが、これは本やビデオにはできない。よい先生は生徒のやる気を起こさせ、その後何年にもわたって勉強に励むきっかけを与えることができる。優秀なセラピストは患者と信頼関係を築き、治療に大きな効果を上げることができる。

 

● 経済における労働の役割が小さくなる中、どんな社会をつくっていきたいのか、真剣に議論すべき時が来ている。経済のゆたかさをどのように共有するのか。現代の資本主義は著しい格差を生みがちだが、資源を効率的に配分し努力に報いる資本主義のよさは残しながら、格差拡大に対処するにはどうしたらよいか。工業化時代の労働の概念が薄れていくとき、充実した人生や健全な社会はどのような姿になるのか。教育、社会のセーフティネット、税制といった市民社会の重要な要素をどう見直していくべきか。  労働馬の歴史から、これらの問いの答を見つけることはできない。いくら賢くなったといっても、機械が答を出してくれるわけでもない。答は、高度な技術に支えられる社会や経済のあり方を人間がどう考え、どのような理想を掲げ、どのような価値を重んじるかにかかっている。

 

● アルゴリズムとは要するに単純化であり、すべての要素は考慮しないし、できない(申請者には大金持ちの叔父さんがいて、申請者に遺産の一部を残すという遺言書を書いており、しかも叔父さんはロープなしでロッククライミングをするのが好きだ、といったことは考慮できない)。しかしアルゴリズムは、最も重要な要素や最も可能性の高い要素は考慮できる。そして、ローン返済率を予測するといったタスクはきわめてうまくこなす。従ってローン審査はコンピュータに任せられるし、任せるべきだろう。

 

● 自動運転車の飛躍的進歩は、ヘミングウェイの有名な言葉を思い出させる。人がどのように無一文になるかについて、この文豪は「徐々に、そして突然に」と表現した。自動運転車は、けっして突然変異や例外ではない。裾野の広いすばらしい変化の一部なのである。コンピュータやロボットなどデジタル技術がずいぶん昔から挑んできた困難な課題は、長い間徐々にしか進歩が見られなかった。だがここ数年で突然の飛躍を遂げ、長いことひどくお粗末な出来だった仕事を巧みにやってのけるようになり、しばらくは習得できまいと思われていたスキルをみごとに身につけてみせた。

 

●デジタル化は何の役に立つのか  昨今のデジタル化の大爆発はたしかに衝撃的ではあるが、しかしだからどうだと言うのだ、という人もおられることだろう。ゼタだのエクサだのと騒いでいるが、実際何の役に立つのか、と。  いやいや、たいへん役に立つのである。セカンド・マシン・エイジの推進力の一つとしてデジタル化を挙げる最大の理由は、知識を増やし、理解を深めることに貢献するからだ。デジタル化によってアクセス可能になる大量のデータは、科学の生命線である。ここでは科学とは、理論を考え、仮説を立て、評価する作業と考えてほしい。ざっくり言えば、何かを思いついたら、その思いつきが正しいかどうかデータで裏づける作業だ。

 

● セカンド・マシン・エイジで際立つ三つの特徴、すなわち、コンピュータ技術の指数関数的高性能化、大量の情報のデジタル化、組み合わせ型イノベーションの増加を読み解いてきた。この三つのパワーは、ごく最近の予測や理論すら覆す勢いでSFを現実に変えてしまった。しかも、その勢いが止まる気配は見当たらない。  ここ数年間に見られた進歩、たとえば自動運転車、ヒューマノイド型ロボット、音声認識・合成システム、3Dプリンター、スーパーコンピュータといったものは、けっしてセカンド・マシン・エイジの頂点ではなく、ほんのウォームアップにすぎない。さらに先へ進めば、もっと多くのイノベーションが出現するにちがいない。それらは一段とわくわくするようなものになるはずだ。  こんなに自信たっぷりに言えるのは、ちゃんと理由がある。いま挙げた三つのパワーによって、人類史上きわめて重要な出来事が二つ同時に出現すると見込まれるからだ。一つは真の意味で有用な人工知能(AI)の出現であり、もう一つは、地球上の多くの人々がデジタル・ネットワークを介してつながることである。

 

● 前著『機械との競争』(邦訳日経BP社刊)で論じたとおり、こうした経済の構造変化は、互いに重なり合う三通りの勝ち組と負け組を出現させる。だからパイが大きくなっても、必ずしも全員の分け前が大きくなるわけではない。最初の二つの勝ち組は、広い意味での資本を蓄積してきた人たちである。物的資本(機械設備、知的財産、金融資産)を蓄積してきたいわゆる資本家と、人的資本(教育、経験、スキル)を蓄積してきた高スキル労働者だ。物的資本と同じく、人的資本も所得を生み出す大切な資産である。たとえば熟練した配管工は、未熟練の配管工と比べ、同じ労働時間でより多くの収入を得ることができる。そして三つめの勝ち組は、スーパースターだ。特別な才能(あるいはとてつもない幸運)に恵まれた人たちである。  どのペアでも、デジタル技術は勝ち組に大きく報いる一方で、負け組の経済的な存在意義を低下させ、退場に追いやることさえある。勝ち組の得るものは、負け組の失うものよりも大きい。そんなことが起こりうるのは、経済全体としては生産性も総所得も伸びているからだ。このこと自体はよろこばしいことだが、取り残される人々にとっては何の慰めにもなるまい。プラスがいかに大きくとも、一握りの勝ち組に集中してしまえば、それ以外の大多数にしわ寄せが行くことになる。

● これと対極をなすのが、介護などのパーソナル・サービスや庭師などの肉体労働だ。こうしたサービスの提供者は、どれほど腕がよく、どれほどがんばって働いたところで、市場全体から見れば、需要のほんの一部しか満たすことはできない。しかし確定申告作成サービスのようにデジタル化された瞬間に、市場は勝者総取りへと移行する。それだけではない。デジタル化によって価格が大幅に下落するため、「ちょっと質は落ちるが安い」という手も、もはや使えなくなる。ベストにいくら近くても、ベストでなければ退場せざるを得ない。デジタル商品には規模の経済が働くため、市場のナンバーワンはコスト面で圧倒的な優位に立ち、悠々と利益を確保しながら、価格競争で競合を打ち負かすことができる(*14)。固定費さえ回収してしまえば、その後はほとんどゼロに近い限界費用を活かして、いくらでも供給できるのだから。

 

● そうなれば、スーパースターに真っ向勝負を仕掛けるのではなく、自分の「売り」に特化し、ニッチ市場を拵え上げて世界のナンバーワンになってしまうという戦略が成り立つ。なるほどローリングはビリオネア作家になったが、星の数ほどいる他の作家にだって、今日ではニッチな読者と巡り会うチャンスは十分にある。町の本屋は、弱小作家の作品は売れないとして仕入れてくれないだろうが、アマゾンならきっと在庫に入れてくれるだろう。そうすれば、世界中の読者からアクセス可能になる。テクノロジーのおかげで地理的な距離を飛び越えられるようになったいまでは、ニッチを狙った極端な専門化や特化もナンバーワンになる手段の一つとなっている。

子供向けの本の書き手として世界で一〇〇一番目になるくらいなら、環境志向型起業家向けの科学技術専門アドバイザーとして第一人者になるほうがいい。あるいは、アメリカンフットボールのクロック・マネジメント(残り試合時間を巧みに管理しながら攻撃を進めること)の第一人者になるのも、悪くない(*20)。スマートフォン向けアプリの開発者たちはまさにこの戦略に則っている。七〇万を超えるアプリが提供されているのはこのためだ。アマゾンで二五〇〇万以上の楽曲が販売されているのも、同じことである。ブログやフェイスブックやユーチューブへの投稿数はさらにこれらを上回っており、「共有経済」を形成している。もっとも、これらがただちに収入に結びつくわけではない。ロングテール経済の参入障壁は低いが、まだスーパースターは見かけない。

 

 

新事業、イノベーション、詩作……これらの活動には一つ共通点がある。発想すること、すなわち新しいアイデアやコンセプトを思いつくことだ。正確に言えば、これまでにないよいアイデアやコンセプトを思いつくことである。詩作の例で言えば、既存の単語の新しい組み合わせを生成するプログラムは容易に書けるが、これは組み合わせ型イノベーションとは似て非なるものだ。そのプログラムは、めちゃくちゃにタイプライターを叩く猿がぎゅう詰めになった部屋のようなものになるだろう。猿が何百年がんばったところで、シェークスピア級の戯曲を書き上げることはできまい。

 

● コンピュータは役立たずではない。しかし、答しか出せないのはほんとうだ。コンピュータには、重要な問いを自ら発することはできないのである。問いを発する能力は、いまなお人間にしか備わっていないように見受けられる。しかもこの能力は、今日もなおきわめて貴重だ。よいアイデアを生み出せる人間は、今後しばらく「デジタル労働者」に対して比較優位を保ち、引く手あまたとなるだろう。逆に言うと、これから人材を探す企業は、ヴォルテールの次の言葉に従うとよい。「どのように答えるかよりもどのような問いをするかによって、人を判断すべきである。」

 

 

● セカンド・マシン・エイジに人間が貴重なナレッジ・ワーカーであり続けるために、私たちは次のことを提言する。読み書き算数だけで終わらず、発想力、広い枠でのパターン認識能力、複雑なコミュニケーション能力を養うことだ。そして可能な限り、自己学習環境を活用するとよい。この環境が、先に挙げた三つの能力を養ううえで効果があることは、過去の実績が証明している。

● 絶対と言い切れることは一つもない  とはいえここで、本書の予想や提言をけっして金科玉条のごとく受け取らないよう、読者にお願いしておかねばならない。私たちは、コンピュータやロボットが近い将来に発想力、幅広いパターン認識能力、複雑なコミュニケーション能力を身につけることはあるまいと考えている。また、モラベックのパラドックスが完璧に克服される可能性は低いとも考えている。だがデジタル技術に関して私たちの学んだことが一つあるとすれば、それは、「絶対と言い切れることは一つもない」ということだ。読者と同じく私たちも、SFが一気に現実になる事態に何度となく驚かされてきた。

● この先もっと多くのサプライズが待ち構えていることはまちがいない。先端技術の現場近くで研究を続け、人間ならではの能力とされていたものが次々に機械の前に陥落するのを目の当たりにしていると、絶対に自動化されない仕事があり得るとは言い切れなくなってくる。だから、人間はキャリア形成に当たってもっと柔軟に構えなければならない。自動化の対象になりそうな分野からはさっさと退却し、機械とパートナーを組んだり、機械の不得手な部分を補ったり、機械によって人間の能力を高めたりできるような新しいチャンスを掴むことだ。

 

 

 

● ヴォルテールの三悪を避ける  では、ベーシック・インカムを復活させるべきだろうか。たぶん──だが私たちが第一に選択するのは、ベーシック・インカムではない。その理由は、冒頭に引用したヴォルテールの名言の中にある。「労働は、人間を人生の三悪、すなわち退屈、悪徳、困窮から救ってくれる」。所得保障は困窮から救ってくれるかもしれないが、他の二つの悪には効き目がない。さまざまな研究やデータを検討した末に、私たちはヴォルテールが正しいと確信するにいたった。人間にとって働くことになぜとりわけ大きな意味があるかと言えば、お金を稼ぐ手段だからというだけでなく、もっと価値のある多くのものを手にする手段だからである。もっと価値のあるものとは、たとえばプライドや自信であり、仲間であり、情熱を注ぐ対象であり、健全な価値観であり、地位や尊厳である。

個人のレベルであれ、共同体や社会のレベルであれ、結論は同じだ。労働はよきものをもたらす、ということである。個人のレベルで言えば、人間は何によって充足感や満足や幸福を感じるのかを考察した研究や思索は多数存在する。たとえばアル・ゴア副大統領の首席スピーチライターを務めた作家ダニエル・ピンクは、著書『モチベーション3・0』(邦訳講談社刊)の中で、やる気を起こさせる三つの要素として熟達(mastery)、自主自立(autonomy)、目的(purpose)を挙げた(*7)。このうち目的については、アマゾンUKの設立を取り上げた章で、「雇用の創出は人々にプライドを甦らせた」と強調されている(*8)。経済学者のアンドリュー・オズワルドも同意見だ。オズワルドによれば、失業状態が六カ月以上続くと幸福感をはじめとするメンタルヘルスは著しく悪化し、配偶者と死別したときと同程度にまで達するという。その主な原因は、稼ぎがなくなるというより、プライドや自信を傷つけられることにある(*9)。  世論調査会社のギャラップが多くの国で実施した調査でも、働くことは人々の基本的な願望の一つであることが確かめられた。ギャラップのCEOジム・クリフトンは、著書『来るべき仕事戦争』(未邦訳)の中で、「世界の人々が何よりも望むのは、もはや平和でも自由でもなければ、民主主義でもない。家庭を築くことでもないし、信仰でもない。当然ながら家や土地を所有することでもない。人々が何よりも切望するのは、よい仕事に就くことだ。それ以外のことは、二の次、三の次である」と書いている(*10)。おそらく世界中どこでも、人々が臨むのは退屈、悪徳、困窮から逃れ、働いて熟達、自立、目的を手に入れることなのだろう。

● マシンとペアを組む  労働者に対する補助金と税金のしくみを変えたところで、そんなことは目先の解決にしかならないと思われるかもしれない。結局のところ、セカンド・マシン・エイジとは終わりなき自動化の時代であって、人間の仕事がほとんど、あるいはまったくなくなってしまうポスト労働経済なのではないか、と。  たしかに私たちは本書の中で、多くの分野がそうなると論じてきた。だが、人間には自動化されないスキルがたくさんあることも示してきたつもりだ。これらのスキルも、いずれは自動化できるのかもしれない。だがいまのところはそうなっていないし、本格的に自動化が始まる気配もない。そうなるまでにはまだしばらく間があると考えられる。この先当分は、人間のデータ・サイエンティスト、イベント・プランナー、看護士、ウェイターが活躍することだろう。

 

 

 

 


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