大いなる革命の時期を目覚めて生きること~ロボットの脅威--人の仕事がなくなる日~


 

 

もしかしたら、近い未来、こんなことが実現してしまうかもしれない・・・なんて悠長に考えていたら、もう実現してしまっていたという、、、自分が考える以上に変化の早い事態に嫌気を催してしまった。僕は、かなり楽観志向に傾倒している方だと自覚しているが、そんな自分でさえも、本書を読みながら、言葉にならない、不安、懸念が頭の中に渦巻いていることに気付きました。

 

””二〇〇九年に、コーネル大学のクリエイティブ・マシン研究所所長のホッド・リプソンと、博士課程在籍のマイケル・シュミットは、基本的な自然法則を独自に発見できるシステムを作り上げた。リプソンとシュミットは、最初に二重の振り子を設置した──ひとつの振り子に、もうひとつ別の振り子を接着して吊り下げた仕掛けだ。両方の振り子が揺れだすと、その動きはきわめて複雑な、一見でたらめなもののように見える。次にセンサーとカメラを使って、振り子の動きを捉え、一連のデータを作り出した。そして最後に、ソフトウェアに振り子の最初の位置を制御する能力を与えた。いいかえるなら、自ら実験を行う能力を持った人工の科学者を作り出したのだ。  彼らは何度も振り子を放すようにソフトウェアの制御を緩め、その結果生じる動きのデータをひたすら調べて、振り子の挙動を説明する方程式を導き出させるようにした。アルゴリズムはその実験を完全に制御していた。そのつど振り子をどこの位置で放すかを決め、しかもそれをランダムにはやらなかった──きちんと分析を行い、振り子の動きの根底にある法則について最も多く知見を与えてくれそうな特定のポイントを選び取っていた。リプソンはこう記している。このシステムは「ただじっと眺めているような消極的なアルゴリズムではない。自ら質問を発する。好奇心を持っているのだ」。のちに〈ユリイカ〉と名付けられたこのプログラムは、ほんの数時間かけるだけで、振り子の動きを説明する多くの物理法則──ニュートンの第二法則も含めて──を導き出した。事前に情報を与えられずに、物理や運動の法則についてプログラミングもされずに、それをやってのけたのだ。””

 

 

””〈ユリイカ〉は、生物の進化にインスピレーションを得た遺伝的プログラミングという技法を使っている。このアルゴリズムは最初に、さまざまなビルディングブロックをランダムに組み合わせて方程式を作り、その方程式がどのデータにうまく適合するかをテストする。テストに合格しなかった方程式は捨てられる一方、有望そうな方程式は取っておかれ、また新しく組み合わされて、この仕組みがやがて正確な数学モデルに収斂していくような形を模索しつづける(。この仕組みの自然な挙動を表現する方程式を見つけ出す過程は、決して瑣末なものではない。リプソンが言うように、「以前なら予測モデルひとつを編み出すのに、ひとりの科学者が学者人生すべてを懸けなくてはならなかった」。シュミットはこう付け加える。「ニュートンやケプラーのような物理学者がコンピュータを使ってこのアルゴリズムを動かしていれば、落下するリンゴや惑星の運動を説明する法則を発見するのに、ものの数時間の計算で済んだだろう」。””

 

 

””〈ユリイカ〉は好奇心を示すというリプソンの言葉や、コンピュータは先入観を持たずに行動するというコザの主張には、創造性はすでにコンピュータの能力の範囲内にあるものだという可能性が示されている。そうした見方の究極の判定は、人間が芸術作品として受け止めるものをコンピュータが作り出せるかどうかを見ることではないだろうか。真の芸術的創造性は、他のどんな知的営為にも増して、私たちが人間の精神とのみ関連づけるものだ。タイム誌のレフ・グロスマンが言うように、「芸術作品の創作は、我々が人間のために、人間だけのためにとってある活動のひとつだ。それは自己表出の行為だ。自己を持っていなければできないとされるものだ」。もしもコンピュータが真正な芸術家たりうる可能性を受け入れるとしたら、私たちの機械の本質に関わる前提を根本的に評価し直さなければならないだろう。””

 

 

この手の書籍は、往々にして、悲観論と楽観論、両方をバランスさせながら、最終的には、「希望を創るのは私たちです」みたいな終わり方をすることが多い。本書も、その1つなのだが、それにしても、世間とか社会みたいな広い範囲で物事を受け止めてみると、この人類史上経験のない速度で変化する時代の狭間で、もがき苦しむ人たちの方が圧倒的に多いのではないだろうかと、考えさせられてしまう。

 

 

””人間と機械が協力する仕事はたしかに存在するだろうが、その数は比較的少なく、また短命に終わりそうだということだ。また、やりがいのない非人間的な仕事であるような例もきわめて多くなるのではないか。だとすれば、多くの人々がそうした仕事に就けるような教育を専門的に施すよう努めるべきだと主張するのは、たとえその訓練がどんな結果をもたらすかが正確に把握できるとしても、やはり難しくなるだろう。大体においてこうした議論自体、私にはひどく古い(労働者にさらに職業訓練を施すということ)タイヤに継ぎを当てて、もう少しだけ走れるようにしようとする発想に思える。いずれ最終的に断絶的破壊に向かい、はるかに大がかりな政策対応が必要になるだろう。””

 

””〈クイル〉のテクノロジーはまた、かつては大学を出た高スキルの専門家たちの牙城だった分野ですら自動化の影響を免れない、ということを示す実例でもある。知識ベースの仕事はいうまでもなく、通常は幅広い能力が求められる。何よりそうした場合、アナリストはさまざまなシステムから情報を取り出す方法を知り、統計的モデルや金融モデルを作成した上で、人に読ませるレポートを書いて提示しなくてはならない。ライティングは結局、科学であると同じ程度に技芸であり、最も自動化されそうにない作業のひとつに思える。にもかかわらず、自動化は実現しているし、アルゴリズムはさらに急速に進歩している。それどころか、知識ベースの職はソフトウェアを使うだけで自動化できるため、多くの場合、身体的な操作を伴う低スキルの職よりも影響を受けやすいことがわかってきた。””

 

””要するに、「雇用創出」がどうのといくらごたくを並べてみても、合理的な企業経営者はこれ以上従業員を雇いたがらないということだ。自動化へ向かおうとする傾向は、「デザイン哲学」やエンジニアの個人的嗜好の所産ではない。根本的には資本主義に後押しされる現象なのだ。カーが心配する「〝テクノロジー中心の自動化〟の台頭」は少なくとも二〇〇年前に起こったことで、ラッダイトがそれに不満を露わにした。現代で唯一違うのは、指数関数的な進歩がいま、私たちを行き詰まりへ向けて押しやっていることだ。合理的な企業が省力化テクノロジーを採用するのは、ほとんど選択の余地のない流れになっている。それを変えるには、エンジニアやデザイナーへのアピールどころでは済まない。市場経済に組み込まれた基本的なインセンティブそのものを変える必要があるだろう。””

 

自分自身の身を守ることさえままならない中で、「時代の犠牲」というような言われ方をしてしまうような人たちを助けられるとは限らない、と考えておくべきだと思います。しかしながら、世界の誰かに偽善と言われようと、自分は希望を創り出す何らかの活動に貢献していたいな、と思うのです。だからこそ、これからも、世の中の流れ、様々な変革の兆しを観察しながら、自分自身が変化することに臆さず、むしろ率先して、常に変わりゆく世界や社会に順応していけるよう意識し、行動していこうと、改めて考えさせられました。

 

”” 日曜日にキング牧師が行った説教は、「大いなる革命の時期を目覚めて生きること」と題するものだった。主な内容は予想できるとおり、公民権と人権についてだが、キング牧師はさらにずっと幅広い前線で起こる革命的な変化を念頭においていた。説教が始まってまもなく、キング牧師はこう語りかけた。  今日の世界で、大いなる革命が起こりつつあることは、否定すべくもありません。ある意味それは、三重の革命といえます。まず、オートメーションとサイバネーションの影響を受けた科学技術の革命。原子力兵器、核兵器の出現という兵器上の革命。そして全世界における爆発的な自由化という人権上の革命です。そう、我々は変化の時代に生きている。そしてその時代を通じて、こう叫ぶ声がいまも響き渡っているのです。「見よ、わたしは、すべてを新しくする。これまでのものはすでに過ぎ去った」。””

 

 

 

 

【抜粋】

● その時代は、労働者と機械の関係が根本的に変化する時代として定義されるだろう。機械とは、労働者の生産性を上げるための道具である──これはテクノロジーをめぐる最も基本的な前提のひとつだ。しかし新時代の変化はいずれ、この前提に疑いを突きつけるだろう。むしろ機械が労働者そのものへと変わろうとし、労働者の能力と資本との境界はかつてなかったほどぼやけつつある。

 

● テクノロジーに脅かされる可能性がきわめて高い仕事を表すのに、「ルーティン」はもう必ずしもふさわしい言葉ではないのだろう。より正確な言葉は「予測可能性」かもしれない。あなたが過去にやってきたことすべての詳細な記録を別の誰かが研究することで、あなたの仕事をこなせるようになるのではないか? 学生が試験準備のためにトレーニングペーパーをやるように、あなたがすでにやり遂げた課題を誰かが繰り返すことで、さらにその作業に熟達できるのでは? もしそうだとしたら、いつかアルゴリズムが学習して、あなたの仕事の多くを、あるいはすべてをこなせるようになるかもしれない。その可能性が高くなるのは、「ビッグデータ」現象が広がりつづけているためだ。多くの組織が自分たちの運営のほぼあらゆる面に関して膨大な量のデータを集めていて、きわめて多くの職務や作業がそのなかに包含されることになる──そしていずれは賢い機械学習のアルゴリズムが現れ、人間の前任者が残した記録を徹底的に研究することで、自ら学習する日がやって来るだろう。

 

● 概していえば、コンピュータはスキルを獲得することにかけてはきわめて熟達している。大量の訓練データが使えるときには、特にその傾向が顕著だ。とりわけ初歩的な職務では、今後その影響が大きくなるだろうし、現実にすでに起きていそうな証拠もある。大卒者の初年度の給与は過去一〇年間下降しており、新卒者の五〇パーセントがとりたてて大学の学位を必要とはしない仕事に就かざるをえなくなっている。これから本書のなかで説明していくが、実際のところ、多くの高スキルの専門職──弁護士、ジャーナリスト、科学者、薬剤師など──はすでに、進歩する情報テクノロジーにかなり侵食されている。それだけではない。ほとんどの仕事はある程度までルーティンかつ予想可能なものであり、本当の意味でクリエイティブな仕事や、現実とはかけ離れた革新的な着想である「ブルースカイ」思考に携わって生計を立てている人間は、ごく少数なのだ。

 

● 一九四九年、ニューヨーク・タイムズ紙の要請を受けて、国際的に有名なマサチューセッツ工科大学の数学者ノーバート・ウィーナーは、コンピュータと自動化の未来がどうなるかという自らのビジョンを記事に書いた。ウィーナーは一一歳で大学に入り、わずか一七歳で博士課程を修了した神童だった。その後サイバネティクスの分野を確立、応用数学に多大な貢献を果たし、コンピュータ科学、ロボティクス、コンピュータ制御によるオートメーションの基礎を築いた。ウィーナーの記事は、ペンシルベニア大学で初めて本当の汎用電子計算機が作られてからわずか三年後に書かれたものだったがb、そこで彼は「あることを明晰かつわかりやすいな方法で行えるとしたら、同じことは機械によっても行える」と論じた。そしてそのことがやがて、「この上なく残酷な産業革命」をもたらすかもしれないと警告した。機械は、「ルーティンな工場の雇用者たちの経済的価値をおとしめ、金を出して雇うだけの値打ちをなくさせてしまう」だろう、とc。  その三年後、ウィーナーの想像と非常によく似たディストピア的未来が、カート・ヴォネガットの処女小説『プレイヤー・ピアノ』で具現化された。この小説に描かれる自動化された経済では、少数の技術エリートが管理する産業用機械がほぼすべての仕事をこなす一方で、大多数の人間は無意味な人生と希望のない未来に直面している。

 

● 銀行口座に一セント預けるとする。そして、その残高を毎日二倍にしていくと考えてみてほしい。三日目には二セントの残高が四セントになる。五日目には八セントの残高が一六セント。そして一ヵ月もたたないうちに、残高は一〇〇万ドルを超えるだろう。ノーバート・ウィーナーがコンピュータの未来についてのエッセイを書いたのは一九四九年だが、この年に最初の一セントを預けて、ムーアの法則──二年ごとに量がおよそ倍になる──が作用するとしたら、二〇一五年のテクノロジーの口座にはおよそ八六〇〇万ドル貯まっていることになる。そしていまの時点からさらに同じことが続き、残高が二倍に増えつづければ、将来のイノベーションはその貯まりに貯まった残高を活用することができる。その結果、今後の数年、数十年の進歩のペースは、これまで私たちが慣れ知っているものよりもはるかに速まる公算が大きい。

 

● 中流階級に属する人たちがその主な収入源を失うにつれ、彼らは次第にこうしたデジタル経済のロングテールがもたらす機会に目を向けるようになるだろう。幸運なごく少数の際立ったサクセスストーリーは私たちの耳にも入ってくるだろうが、大多数は中流のライフスタイルに近い水準を保つのに四苦八苦するだろう。そしてコンピュータ科学者で起業家のジャロン・ラニアーが指摘するように、第三世界の国々で見られるような非公式経済へ否応なく向かう人々が増えていく。だが非公式経済の自由さに魅力を感じる若者たちも、家庭を持って子どもを育て、引退後の生活設計をする段になると、たちまちその難点に気づきはじめるのだ。もちろん、アメリカや他の先進国経済でも、かつがつの暮らしをしている人たちは必ずいるが、少なからず十分な数の中流家庭が生み出す富にただ乗りしている。この堅固な中流の存在は、先進国を貧困国から区別する主な要因のひとつだが、しかしこの層が侵食されていることが──特にアメリカで──次第に明らかになってきている

 

● 社会が蓄積してきたテクノロジー資本を、ごく一部のエリートが事実上所有していいのかという基本的なモラルの問題だけではなく、また別の実際的な問題もある。所得格差が度を越して極端になっている経済が果たして健全に機能するのかということだ。進歩の継続性は、今後のイノベーションを求める活発な市場があるかどうかに左右される──つまりそのためには、購買力がある程度広く分配されることが必要なのだ。

 

● 第二のおそらくより重要な知的職業への影響は、ビッグデータが組織とその運営の手法に変化をもたらす結果として起こるだろう。ビッグデータと予測アルゴリズムは、あらゆる組織や産業で、知識ベースの仕事の数や性質を変える可能性を秘めている。データから抽出できる予測が、次第に経験や判断といった人間の特質の代わりに用いられるようになるのだ。経営陣が、自動化されたツールを取り入れたデータ主導による意思決定を次第に活用しはじめれば、人間による分析や経営インフラの必要性はかつてないほど縮小するだろう。現在では情報を収集し、その分析をさまざまなレベルの経営陣に提示する知識労働者のチームが存在しているが、いずれはマネジャーひとりに強力なアルゴリズムひとつで済むようになるかもしれない。組織は平坦化していくだろう。中間管理職の層は影も形もなくなり、いまは事務職員や熟練したアナリストが行っている仕事の多くは消えていくだろう。

 

● 〈ワトソン〉のシステムを明らかに応用している他の例は、カスタマーサービスやテクニカルサポートといった分野にも見られる。二〇一三年にIBMは、オンラインショッピングサービスとコンサルティング業の大手であるフルーイド社との提携を発表した。このプロジェクトの目的は、オンラインショッピングのサイトで、小売店で買い物客が物知りの店員から個別に得られるような自然言語による支援を再現することにあった。もしあなたがキャンプに行くためにテントが必要になったとしたら、「一〇月に家族を連れてニューヨーク州の北までキャンプに行くんだが、テントがほしいんだ。どうすればいいだろう?」などと言えばいい。すると、あなたはいずれかのテントを推薦され、加えて自分では思いつかなかったような他の品物も教えてもらえる(23)。第1章でも触れたように、このタイプのサービスがスマートフォンを通じて可能になり、現実の店舗にいるあいだでも打ち解けた自然言語でのアシストを得られるようになるのは、もう時間の問題だ。

 

● アルゴリズムの最前線  コンピュータテクノロジーをめぐる神話のなかで、いますぐゴミ箱に放り込んだほうがいいものがあるとしたら、コンピュータはプログラムされたとおりのことしかできないという誤った通念だ。これまで見てきたように、機械学習のアルゴリズムは定期的にデータをかき回して調べ、統計的な関係を明らかにしたり、また本当に、自分が突き止めたことに基づいて自らプログラムを書いたりもできる。だが場合によっては、コンピュータがさらに進化を遂げ、これは人間の精神だけに残された領分だとほぼ誰もが考えるような領域にまで入り込むようになっている。機械が好奇心、創造性を示しはじめているのだ。

 

● ここで私が言いたいのは、芸術家や音楽の作曲家の大多数が近いうちに職を失うといったことではない。むしろ、創造的なソフトウェアを作るのに使われた技法──その多くがこれまで見てきたように、遺伝的プログラミングに依拠している──は無数の新たな方法で再利用できるということだ。コンピュータが楽曲を作ったり、電子部品を設計したりできるのなら、近いうちに新しい法律戦略を編み出したり、マネジメントの問題への新しいアプローチを考え出したりできるかもしれない。当面のあいだは、特に高いリスクにさらされるホワイトカラー労働は、最もルーティン的で定型的な仕事であるという構図は変わらないだろう──だが、その限界は急速に押し広げられている。

 

● 二〇〇〇年の一二・四パーセントからの大幅な増加だ(18)。日本では出生率の低下もあいまって、高齢化はさらに極端で、二〇二五年には全人口の三分の一が六五歳以上になるだろう。日本にはまた、この問題を緩和できそうな移民の増加に対する嫌悪感ともいうべきものがある。その結果、日本ではすでに、高齢者のための介護労働者が少なくみても七〇万人不足している──そしてこの不足は、今後数十年でさらに深刻になっていくだろう(19)。  この世界的な人口動態上の不均衡の拡大は、しかしロボティクスの分野にはきわめて大きな好機を生み出しつつある。高齢者介護を支援する手頃な価格の機械が開発されているのだ。二〇一二年の映画『素敵な相棒』は、ある老人とそのロボットのヘルパーが繰り広げるコメディーだが、今後予想される発展をきわめて楽観的に取り上げたものだ。映画の幕開けでは、その舞台が「近未来」であることが視聴者に伝えられる。それからロボットは並々ならぬ敏捷さを見せ、知的な会話を行い、総じて人間とほぼ変わらない行動をする。コップがテーブルから叩き落とされたときには、ロボットがそれを空中で摑んでみせる。だが私の見るところ、あいにくこれは「近未来」のシナリオとはならないだろう。

 

● 日本で開発された高齢者介護用のイノベーションでこれまでのところ最も注目すべきなのは、ハイブリッド・アシスティブ・リム(HAL)だろう──SFの世界からそのまま飛び出してきたような外骨格型パワード・スーツである。筑波大学の山海嘉之教授が開発したHALは、二〇年に及ぶ研究・開発の成果だ。スーツ内部のセンサーが脳からのシグナルを感知し解釈することができる。このバッテリー駆動のスーツを着用した人物が立ち上がろう、歩こうと考えると、強力なモーターがたちまち作動しはじめ、機械的なアシストを行う。上半身だけに使えるタイプもあり、介護者が高齢者の体を持ち上げるのを助けてくれる。車椅子生活の高齢者もHALの助けを借りて、立ち上がり、歩くことができる。山海が立ち上げたサイバーダイン社は、二〇一一年に大事故を起こした福島第一原子力発電所の瓦礫撤去を行う作業員が使えるように、外骨格型スーツをさらに丈夫にしたバージョンも設計した。同社によるとこのスーツによって、作業員は一三〇ポンドの重さのあるタングステンの放射能防護服を身につけなくても済むようになるc。HALは日本の経済産業省が初めてお墨付きを与えた介護用ロボットなのだ。年間わずか二〇〇〇ドル以下でリースでき、すでに三〇〇ヵ所を超える病院や療養院で使用されている(21)。

 

● 歴史が教える重要な教訓は、テクノロジーの進歩と、正しく機能する市場経済には強い共生関係があるということだ。健全な市場はさまざまなインセンティブを生み出し、それが有意義なイノベーションと生産の増加をもたらす。それこそが私たちの繁栄を陰で支える原動力なのだ。知性のある人間なら概ね理解できることである(そしてその点を議論するときには、スティーヴ・ジョブズとアイフォーンの話を持ち出すだろう)。問題なのは、医療がすでに壊れてしまった市場だということ、そしてこの業界の構造的問題が解決されないかぎり、いくらテクノロジーが発達しても医療費はおそらく下がらないということだ。

 

● ある思考実験  ルーサーの警告から考えられる最も極端な含意を視覚化するために、ある思考実験を考えてみよう。地球がある日突然、奇妙な地球外生命体に侵略されたとする。巨大な宇宙船から何千もの生物が地上に降り立つが、やがて人類は彼らが地球を征服しに来たのでも、地球の資源を奪いに来たのでも、私たちの指導者に会いに来たわけでもないことを知る。異星人たちはただ、働くためにやってきたのだ。  この生物は、地球人とはまったく違った進化の道筋をたどっていた。彼らの社会は大ざっぱにいえば社会性昆虫のそれに似ていて、宇宙船に乗っていたのはすべて労働者のカーストから集められた個体ばかりだ。どの個体も高い知能を持ち、言語を学習したり問題を解決したり、創造性を発揮したりできる。しかしこの異星人たちは、あるひとつの圧倒的な生物学的な義務に突き動かされていた。有用な労働を行うことでしか充足感を得られないのだ。  異星人たちはレジャーや娯楽、あるいは知的な気晴らし一般に対する関心を持たない。家庭や私的空間、お金、富といった概念も知らない。睡眠の必要があれば、職場で立ったまま眠る。口に入れる食べ物にすら無関心で、そもそも味覚がない。無性生殖を行い、生後数ヵ月で完全に成熟する。交配相手を引き寄せる必要はなく、個人的に目立ちたいという欲求もない。ただコロニーのために尽くす。ひたすら働こうとする。

 

● 異星人たちは次第に、私たちの社会や経済に組み込まれていく。彼らは熱心に労働し、賃金は要求しない。異星人にとって仕事は、それ自体が報酬なのだ。それどころか、考えうる唯一の報酬でもある。彼らの雇用に関連する出費は、あるタイプの食料と水の支給だけ──それさえ与えれば、急速に生殖を始める。大小問わずあらゆる企業が、異星人たちをさまざまな役割につけるようになる。最初はルーティンの低レベルの仕事だったのが、さらに複雑な仕事でもこなせる能力を急速に示しはじめる。異星人たちは次第に、地球人の労働者に取って代わるようになる。初めは異星人を地球人に置き換えることに難色を示していた企業経営者たちも、競合他社がそうした動きに倣うにつれて、自分たちもあとに従わざるをえなくなってくる。  地球人労働者の失業率は激しく上がりはじめる。仕事の奪い合いが増え、まだ職を持っている人たちも所得は停滞し、あるいは下がりはじめる。数ヵ月、そして数年が過ぎ、失業給付金も底をつく。政府の介入を求める声が上がるが、事態は結局行き詰まる。アメリカでは、民主党が異星人の雇用の制限を求める。だが共和党は、大企業からの強い働きかけを受けてこうした動きを阻み、異星人はすでに地球全体に広がっていると指摘する。もしアメリカの企業が異星人の雇用を制限されれば、この国は他国との競争上、きわめて不利な地位に立たされることになるだろう、と。

 

● 大衆は次第に未来を恐れるようになる。消費者の市場は大きく分極化する。成功した事業や莫大な投資先、安全な重役レベルの職を持っているごく少数の人たちはこの世の春を謳歌し、贅沢な商品およびサービスの売り上げが伸びる。残りの人たちにあるのは、一ドルショップの経済だ。失業する人や、もうすぐ職を失うのではと恐れる人たちが増えるにつれ、倹約が生き延びることと同義になる。  だがまもなく、企業収益の大幅な増加は、維持不可能であることがわかってくる。利益はほぼすべて人件費の削減から生じたものだった。収入は横ばいで、それもすぐに低下しはじめる。異星人はもちろん、何も買わない。人間の消費者は、絶対必要でないものを買うことから次第に目をそむけるようになる。ぜいたくな商品およびサービスを提供する多くの企業も、やがて業績が低下しはじめる。貯蓄額やクレジットの限度額は下がる一方だ。住宅を買った人はローンを返済できず、借家人は賃貸料を払えなくなる。住宅ローン、ビジネスローン、消費者ローン、学生ローンのデフォルト率が跳ね上がる。社会事業への要請が大幅に増えるあいだにも、税収は激減し、政府の弁済能力が脅かされる。さらに新たな金融危機が迫ってくれば、エリートたちも消費を控えはじめるだろう。じきに高価なハンドバッグやぜいたくな車よりも、金を買うことに熱心になるだろう。こうして異星人の侵略の結果は、穏当というにはほど遠いものになりそうだった。

 

● 私たちが日本から学ぶべき最も重要な教訓は、私がこの章で強調してきたポイントを忠実に写している──つまり、労働者は消費者でもあるということだ。人は歳をとり、やがて職を離れると、消費する額が減るだけでなく、支出の傾向も次第に医療方面に偏ってくる。だから働ける労働者の数が減れば、商品やサービスの需要も低下し、雇用が減ることになる。要するに、労働者の退職がもたらす影響とは、総じてプラスともマイナスともいえない話ではないかということだ。そして高齢者が所得の低下に合わせて支出を減らしていくとしたら、そのこともまた、経済成長が持続可能であるかどうかに疑問を抱く十分な理由になるかもしれない。実際に、日本やポーランド、ロシアといった人口が減少に転じている国では、長期的な経済の停滞や縮小は避けるのが難しいだろう。人口は経済の規模を決定する重要な要因であるからだ。

 

● 人工知能の進歩に関する著作を最近刊行したジェイムズ・バラットは、単なる狭い人工知能ではなく人間レベルの人工知能について、二〇〇人ほどの研究者相手に非公式な調査を行った。ただしこの分野の内部では、それは人工汎用知能(AGI)と呼ばれる。バラットはコンピュータ科学者たちに、いつ人工汎用知能が実現化されるかについて、四つある予測からひとつ選ぶように言った。すると結果は、四二パーセントが二〇三〇年までに思考機械が出現すると考えていて、二五パーセントが二〇五〇年、二〇パーセントが二一〇〇年までに実現すると答えた。いつまでも実現しないと考えていた研究者はわずか二パーセントだった。注目すべきなのは、多くの回答者が調査票に、もっと早い時期の選択肢を含めるべきだと書いていたことだった──たとえば、二〇二〇年と(2)。

 

● 機能する保証所得計画を考える上で最も重要な要素は、インセンティブを正しく設定することだ。目的は普遍的なセーフティネットの提供に加え、低い所得を補塡することにある──ただし、できるかぎり生産的であろうとする勤労意欲の妨げになってはいけない。所得への補塡は、どちらかというと最小限度のほうがいい。生活するには足りるが、快適に過ごすには足りないという程度だ。いや、最初は保証所得レベルをそれより低く設定し、この計画が労働者に及ぼす影響を調べた上で徐々に時間をかけて増やしていくべきだという強い主張もある。

 

● 他のインセンティブも実施されるかもしれない。たとえば、ボランティアで地域サービスの活動をしている、環境プロジェクトに参加しているといった人たちには、高めの所得を支給するのだ。私が前作のThe Lights in the Tunnelのなかで、このタイプのインセンティブを保証所得に組み込むように提案したところ、押しつけがましい「福祉国家」に反対する多くのリバタリアニストの読者から相当数の反対意見をいただいた。だがそれでも、ほぼ誰もが同意するはずの基本的なインセンティブがある──最も重要なのは教育だ。基本的なアイデアとしては、従来の職に関連するインセンティブの一部を(人工的にではあっても)再現することにある。高い教育を受けることが常により良いキャリアの道につながるとは限らないいまの時代に、全員が少なくとも高校を卒業するための説得力ある理由を確保することが重要なのだ。結果として、明らかに社会にとっても有利な面が生まれる。たとえアイン・ランド[訳注:徹底した自由主義者として知られるロシア出身の作家]であっても、合理的に考えて、自分が高いレベルの教育を受けた人々に囲まれ、自由な時間を建設的に過ごすための選択肢が増えるほうが個人的には好ましいと感じるのではないだろうか。

 

 

 

 


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