人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てる~21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩~


コロナ禍という壮絶に悲惨な事態を前にすると、ひどく悲観的になり、鬱蒼とした気持ちにさせられる。少子高齢化の加速、所得格差の拡大などによって、多くの国で社会がどんどん不安定になっている。国内外の分断が煽られ、国際経済のブロック化と相まって、世界はまるで破綻へと進んでいるかのようにも見える。

そのような見方が支持を集める時代にあって、世界は決して絶望へ向かってなどいない、世界は進歩していると、多種多様なデータを活用して、僕たちに希望の光を照らし出してくれる書籍。

寿命が伸び、病気も減り、飢餓は減り、富は増大し、貧困は減少し、戦争が減り、災害で死ぬ人が減り、民主主義は広がった、と。さらに、人々に心配を与えている格差の拡大、環境問題、テロリズム、核戦争などの実存的脅威についても、言われているほど悲観すべきでない、と。

しかしまた、世界は段々良くなっていると主張すると、いやそんな事はない。トランプが台頭し、差別主義者が増え、戦争が起こり対立が深まっている!と反論する人が多い事も間違いない。人間は認知機能の仕組みからして、ネガティブな情報の方が記憶に残り易く、日々ニュースに触れる中で世界の状況が悪くなる一方だと感じるのも仕方がない側面がある。

そのような人間の習性を軽視せず、著者ピンカー氏は、人間のそうした本能を理性と共感によって乗り越える事ができる、と指し示してみせてくれる。人間は、「認知のゆがみ」「認知バイアス」といった、歪んだ認知に基づき、判断・行動してしまう。では、僕たちはどうすれば、正しく世界の現状を認識できるのか?と問い、その答えは「数える事」であると著者は語る。

「今生きている人が何人で、その中の何人が暴力の犠牲になっているのか」といった事を数え、それが過去から現在に向かい減っているのか増えているのかを見る事――。すなわち「データ」で世界をとらえ直す事、それによって啓蒙の理念の実践が確実な成果を上げている、上げていけるという事を示してくれる。

すべての問題が「危機的状況、大災厄、異常発生、存亡の危機」というわけではなく、すべての変化が「何々の終焉、何々の死、ポスト何とか時代の夜明け」というわけではない。課題や問題は決してなくならないけれど、解決し続けていけると信じ、行動する。

僕たちは常に、僕たちを打ち砕こうとする力(エントロピー)との向き合っているけれど、改善、改革にチャレンジし続ける事によって、進歩、進化して来ている(と信じられる)。僕たちはこの宇宙や世界、生命や心についても、段々と理解を深め、寿命は延ばし、苦しみを軽減させ、より多くを学び、より賢くなり、そしてより多くの喜びを得られるようになっている。

僕たちが完璧な世界を手に入れることは決してなく、そんな事を求めるべきでもないのだろうけれど、僕たちが人類の繁栄のために挑戦する事をやめないかぎり、人類の向上に限界はない、そう信じさせてくれるよう、著者ピンカーさんの主張には、とても共感できるものがありました。

””飛行機事故は必ずニュースになるが、それよりはるかに多くの命を奪っている自動車事故はほとんどニュースにならない。それはもちろん、空を飛ぶのは怖いと思う人が多いのに対して、車の運転を怖いと思う人は圧倒的に少ないからだ。また、アメリカ人は竜巻のほうが喘息より多くの命を奪うと思っているが(実際は米国の年間死者数は前者が五〇人で、後者が四〇〇〇人以上)、これもおそらく竜巻のほうがテレビ映えするからだろう。””

””ジャーナリズムの性質と認知バイアスが組み合わさると、相互に最悪の部分を引き出してしまうわけだが、だとしたら世界の状況を正しく評価するにはどうしたらいいのだろうか。答えは「数えること」である。今生きている人が何人で、そのなかの何人が暴力の犠牲になっているのか。何人が病気にかかり、何人が飢えていて、何人が貧困にあえぎ、何人が抑圧されていて、何人が読み書きができず、何人が不幸なのか。そしてその人数は増えつつあるのか、減りつつあるのか。定量的な考え方というと、なんだか生真面目でオタクっぽい感じがするかもしれないが、これは実は道義的にも賢明な方法だといえる。””

””心理学の研究論文によって、人は得を期待する以上に損を恐れ、幸運を楽しむ以上に不運を嘆き、称賛に励まされる以上に批判に傷つくと確証されている””

””経済学者のポール・ローマーはのんきな楽観主義(complacent optimism)〟と〝条件付き楽観主義(conditional optimism)〟を区別する。〝のんきな楽観主義〟とは、子どもがクリスマスの朝にプレゼントをひたすら待っているときの考え方である。対して〝条件付き楽観主義〟とは、ツリーハウスを欲しいと思う子どもが、それなら木と釘を手に入れて、ほかの子どもたちにも頼んで手伝ってもらえば、木の上に家をつくることができると理解しているときのような考え方である””

””つまり幸福を感じている人々が今を生きているのに対し、意義ある人生を送る人々には語るべき過去があり、未来に向けた計画があるということだろう。あるいは、意義はなくても幸せを感じて人生を送る人々は 受け取る人 で恩恵を受ける側であり、たとえ不幸を感じても意義ある人生を送る人々は 与える人 で恩恵を施す側ともいえるかもしれない。””

””結局、人生における意義とはたんに自分の欲求を満たすだけではなく、自分を表現することなのかもしれない。自分とはどういう人間かを明らかにする行動、信望を築く行動により、人生は意義あるものへと高められるのだろう。””

””一般にわたしたちが幸せだと感じるのは、健康で快適で安全で食糧があり、社会的なつながりをもち、性的に満たされ、愛されているときである。つまり、幸福感の機能とは環境に適応するための鍵を探すよう、わたしたちを駆りたてることなのだろう。このことは、人は不幸だと感じると状況を改善してくれそうなものを我先に得ようとし、幸せを感じるときには現状を大切にしようとすることからもわかる。  対照的に、人生の意義とは人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てることだ。””

””集団で暮らすホモ・サピエンスにとって、社会的孤独は一種の拷問であり、孤独によるストレスは健康や生命を脅かす大きなリスクになる。もし他者とつながりやすくなったせいで、逆にわたしたちがこれまで以上に孤独になっているとしたなら、現代社会を皮肉るジョークがもう一つ増えることになってしまう。””

””国が豊かになっていくかぎり、人はいっそう幸せを感じるようになるはずである。また孤独や自殺、鬱病や不安の蔓延という不吉な警告も、ファクトチェックによって誤りだと判明した。さらに、どの世代も自分より若い世代は困った事態になっていると懸念するが、世代が若くなるにつれ状況は良くなっており、ミレニアル世代は過干渉な親世代よりも幸福感が高くて、精神的にも健康な様子である。””

””自由の獲得という点からすると、若干の不安とは、自由という不確かな状態を引き受けるために、わたしたちが支払わねばならない対価なのかもしれない。言葉を換えれば、不安とは自由と引きかえに求められる警戒心、慎重さ、内省心のことなのだろう。””

””このように世界の状態を良い面と悪い面からの二通りで表したのは、何もわたしにだってちゃんとそれができることを──いわばグラスのなかの飲み物が「こんなに残っている」と話すだけでなく「こんなに減ってしまった」というふうにも話ができることを──示したかったからではない。そうではなく、進歩とはユートピアではないと念を押したかったからであり、わたしたち人類には常に進歩を継続しようと努力する余地が、というよりもむしろ責務があると強調したかったからである。””

””超予測者たちは頭がいいが、必ずしも天才ではなく、IQ分布でいうと人口の上位二〇パーセント以内といったところだった。また彼らは数字に強いが、ざっくり見積もるのが得意だという意味であって、数学の達人ではない。彼らの性格の特徴は、心理学者がいう「経験への開放性」(知的好奇心が強く、変化を好む) が高く、「認知欲求」(知的活動を楽しむ) が強く、「統合的複雑性」(不確実性を受け入れ、物事を多角的にとらえる) が高い。そして衝動的ではなく、最初の直観を信用しない。また左派でも右派でもない。必ずしも自分の能力に謙虚ではないが、特定の信念については謙虚で、それを「守るべき宝ではなく、検証が必要な仮説」として扱う。””

””この世界を理解するうえで、「これはこういうものだから」とか「つまり魔法だよ」とか「わたしがいうことに間違いはない」などといわれて、そうですかと引き下がらざるをえないことなどまずない。世界は理解可能だと考えることは、信じる信じないの問題ではなく、科学的に説明できる部分を増やしながら少しずつ立証していくことである。たとえば生命の仕組みにしても、以前は神秘的な 生の飛躍 で説明されていたが、今では複雑な分子同士の化学的・物理的反応によるものだとわかっている。””

””この物語は特定の部族のものではなく、人類全体の物語である。理性の力と、生きようとする衝動を備えた、すべての「感覚をもつ存在」のための物語である。なぜならこの物語に必要なのは、死より生が、病気より健康が、欠乏より潤沢が、抑圧より自由が、苦しみより幸福が、そして迷信や無知より知がいいという信念だけなのだ””