起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男


2021年初2月くらいに読んだ書籍。

こんな御時世に、許されるのだろうか?「いかがわしくなれ!」なんて。

一部の半狂乱的、偏執狂的な、起業家たちは「分かる分かる!」と、激しく首を縦に振りながら、本書を読み終える。

実は、このシンボリックな表現、「いかがわしくなれ!」は、リクルートの危機的状況を救って下さったダイエー創業者、中内さんの言葉らしい。

“〈ワシはリクルートのような若くて元気な会社が大好きや。しかし、あんたらは世間から「いかがわしい」と言われてシュンとしておる。ワシのところもそうやったが、若い会社というのは、たいがいいかがわしいもんや。それでええんや。おまえら、もっといかがわしくなれ!〉(日本経済新聞12年4月16日付朝刊)”

最近は、稀代の経営者、事業家の孫正義さんも、こう言っている。

“何度でも言います。いかがわしくあれと。それで、大ぼらを吹こうよと。夢を持って大きなビジョンを描こうよと。”

いかがわしさ、とは、何となくイメージしているが、世間的な定義は何か、調べてみました。

“いかがわしいは、正体がはっきりせず疑わしい、怪しいといった感情を表すが、特に、「信用できない」といった感情を強く表す際に用いられる。また、風紀上好ましくない、道徳的によくないさまにも、いかがわしいは用いられる。”

うむ。定義を調べてみると、結果めちゃくちゃな感じだと知る。

出る杭は打たれる、出すぎた杭は打たれない、なんて言われるけれども、圧倒的な当事者意識を持って、次世代のためになるであろうポジティブな未来を創るためならば、「いかがわしい」くらいが、丁度良い、いや「いかがわしい」くらいでないと、なすべき事をなし得ないのかもしれない。

”江副は多面的な人間で、一つの行為で二つ、三つの目的を達成することに喜びを見出すタイプだ。一つの行為で一つの目的を果たすだけでは、彼には面白くない」  「どういうことでしょうか?」  「たとえばリクルートの創業期、鹿児島に広大な土地を買った。表向きの理由は、社員が自然と触れ合える研修所の建設だが、二つの裏の意味があった。一つは政府がそのあたりに石油備蓄施設を建設することによる土地の値上がり。もう一つは情報誌の印刷費など運転資金を銀行から借りる時の担保。少しばかり倫理感が欠如していたが、抜群に頭がよかった」”

“創業時に入居していたビルは夜の 10 時にシャッターが閉まって、追い出されるんだ。するとみんなで行きつけの飲み屋に行って会議の続き。みんな江副の会社ではなく、自分の会社だと思っているから、自分が主役なんだ。楽しくないはずがない」  江副は、本人すら気づいていない才能を見抜き、リクルートの中でその才能を存分に発揮させた。終身雇用と引き換えに社員に会社への忠誠を誓わせていた昭和の時代。「モチベーション」を軸に多種多様な人材を生き生きと働かせた江副はマネジメントの天才でもあった。”

”合理的な江副から見れば、高卒と大卒女子は有能な人材以外のなにものでもない。満たされない思いを抱えていた彼ら、彼女らに活躍の場を与えれば、意気に感じて発奮してくれる。  一方「自分たちは幹部候補生」と思い込んで入社してきた大卒男子は、高卒や女子社員と同列に置かれ、実力で評価される。当然、こちらもお尻に火がつく。「大卒男子は幹部候補、高卒と女子社員は下働き」という日本企業の階層を取り払った日本リクルートセンターでは、大卒、高卒、女子社員が横一線で激しい実力勝負を展開した。”

”じゃあそれ、君がやってよ」  「えっ、私がですか?」  「そう君が。だって君の言うとおりなんだから」  社長の前で意見を開陳してしまった社員は、もう引っ込みがつかない。こうして江副は不平不満ばかりの「評論家」だった社員を「当事者」に変えてしまうのだ。  大沢は自著の『心理学的経営 個をあるがままに生かす』の中でこうタネ明かしをしている。  〈かつてリクルートという企業集団は、若者が生き生きと仕事をしている〝不思議な新人類会社〟として注目を浴びたが、その理由の多くを、ハーズバーグの動機付け要因や、職務充実のための五つの職務次元などの中に見出すことができる”

”日本リクルートセンターでは四半期ごとに、めまぐるしく人事異動がある。それも自己申告制が認められており、よほどのことがない限り本人の希望が通る。「あいつが欲しい」と思った PC(プロフィットセンター)のリーダーは、前もってその社員に「うちに来いよ」と声をかけ、自己申告させるのだ。” ”経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは「経済成長を生み出すのはアントレプレナー(起業家)によるイノベーションである」と説いた。イノベーションは日本語で「革新」と訳されることが多いが、シュンペーターはそれを「創造的破壊」と定義している。  江副はシュンペーターのいうイノベーター(創造的破壊者)であり、その破壊力は凄まじかった。  江副が打ち立てた情報誌のビジネス・モデルは、これまで朝日、読売、電通に富をもたらしてきたマスメディアの秩序を「破壊」した。江副は恨まれ、敵を作った。”

”米欧流の「Winner takes all(勝者総取り)」は「暴利」と嫌われ、利益を出した企業に雇用は生まれるのに、経営者は「利益より雇用」と真顔で言う。官の規制の下で民が従順に働く計画経済は、今に至るまで続いている。  だが、一度もサラリーマンを経験していない江副は、日本的な資本主義の風土を知らない。知っているのは「成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」というピーター・ドラッカーの教えだけだ。  今でも元ライブドア社長の堀江貴文や「 ZOZO」のスタートトゥデイを創業した前澤友作など、起業家はバッシングの対象になることがある。江副は「叩かれる起業家」の先駆けだった。”