Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章


2021年8月24日。人生で初めて子供を授かった日に読みふけった書籍。あのユヴァル・ノア・ハラリが、「わたしの人間観を、一新してくれた本」とコメントしたという。

著者は、”暗い人間観”を裏付ける定説の真偽を確かめるべく世界中を飛び回り、関係者に話を聞き、エビデンスを集めたところ意外な結果に辿り着いた。なぜ人類は生き残れたのか。民主主義や資本主義や人間性の限界を踏まえ、いかに社会設計すべきか、どう生き延びてゆくべきかが書かれた「希望の書」とある。

人生のテーマは、愛と希望(Love&Hope)と標榜している人間ではありますが、とても難しいところはあることは理解しています。極めてデリケートな領域ではありますが、僕は、娘に希望を持って人生を生きてもらいたいと心の底から願います。だからこそ、著者が言うように、僕自身は、「人は利己的でも利他的でもある矛盾した生き物であること」を受け入れつつも、 あえて「性善説を選ぶこと」を提案してくれる著者に共感してしまいました。「人の本性は善である」と断定はしにくいけれど、あくまで「現実的に考えて人の本性は善であると信じるべき」というスタンスで、生きていきたいものです。

以下、引用。


””つまりわたしが言いたいのは、人は、仮に世慣れていない子どもとして無人島にいて、そこで争いに巻き込まれたり、危機に陥ったりしたら、必ず自分の良い面を選択する、ということだ。本書では、人間性についての肯定的な見方が正しいことを裏付ける、数々の科学的証拠を提供しよう。わたしたちがそのような見方を信じるようになれば、それはいっそう真実になるはずだ。””

””その薬とは、ニュースである。  わたしは、ニュースは心を成長させると教わって育った。新聞を読み、夕方のニュースを見るのは、市民としての義務であり、ニュースを追えば追うほど、人は情報が豊かになり、民主主義はより健全になる、と教わった。今でも親は子どもにそう教えている。しかし、科学者は異なる結論を出した。多くの研究によると、ニュースはメンタルヘルスに危険を及ぼすのだ””

””では、なぜわたしたちはそのことに気づかないのだろう。答えは簡単だ。ニュースになるのは例外的な出来事ばかりだからだ。テロ攻撃であれ、暴動や災害であれ、例外的であればあるほどニュースとしての価値は高まる。極度の貧困の中で暮らす人の数が前日より一三万七〇〇〇人減少したという見出しをあなたが見ることは決してないだろう。たとえそれが過去二五年間の真実であったとしても(注 25)。また、レポーターが街路に立ち、「ここは特別な場所ではありませんが、ここでは今日も戦争は起きていません」と報じるのを見ることもないだろう。””

””人間はなぜ、ニュースが伝える破滅や 憂鬱 さに影響されやすいのだろう。それには二つの理由がある。一つは、心理学者が「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶものだ。わたしたちは良いことよりも悪いことのほうに敏感だ。狩猟採集の時代に戻れば、クモやヘビを一〇〇回怖がったほうが、一回しか怖がらないより身のためになった。人は、怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずだと死ぬ可能性が高くなる。””

””対照的に、希望を語る理由は常に暫定的だ。何も問題はない……今のところ。あなたはだまされていない……今のところ。理想主義者が生涯を通じて正しいことを語っても、世間知らずだと言われてしまう。本書の目的はこのような状況を変えることだ。なぜなら、今日、不合理で非現実的で不可能に思えるものでも、明日には必然になるかもしれないからだ。  新しい現実主義の時代が訪れた。今こそ、人間について新たな見方をするべき時だ。””

””「人間は、いつの時代も、どこの場所でも、非常に似ている。したがって、この点に関して歴史は新しいことや予想外のことを語らない。歴史の最も良い利用法は、不変で世界共通の、人間の本性を見つけることだ」 デイヴィッド・ヒューム””

””孤独が人を病気にするのは、少しも不思議ではない。人との接触がないことの害が一日にタバコを一五本吸うのに匹敵する(注 39) のも、ペットを飼うと鬱になるリスクが減る(注 40) のも、不思議ではない。人間は、他者との一体感と交流を何より欲する(注 41)。わたしたちの体が食物を渇望するように、わたしたちの心はつながりを渇望する。””

””一つ確かなことがある。それは、より良い世界は、より多くの共感から始まるわけではないということだ。むしろ、共感はわたしたちの寛大さを損なう。なぜなら、犠牲者に共感するほど、敵をひとまとめに「敵」と見なすようになるからだ(注 37)。選ばれた少数に明るいスポットライトをあてることで、わたしたちは敵の観点に立つことができなくなる。少数を注視すると、その他大勢は視野に入らなくなる。””

””交流はより多くの信頼、連帯、思いやりを生み出す。交流は、あなたが他者の目を通して世界を見ることを助ける。さらに、交流はあなたの人間性を変える。なぜなら、多様な友人を持つと、知らない人に対して、より寛容になれるからだ。また、交流は人から人へ伝染する。隣人が他の人と仲良くしているのを見れば、自分の偏見について考え直すからだ。””

””交流を通じて不快な経験をすることもあるが、良い経験の方が、圧倒的に多いからなのだ。  悪は強い印象を残すが、善は、数の上ではるかに悪を上回る。  交流の力を誰よりも深く理解しているのは、ネルソン・マンデラだ。””

””世界史上のほぼすべての哲学に共通する 黄金律 は、「自分がされたくないことを人にしてはいけない」というものだ。この教えは、二五〇〇年前の中国の思想家、孔子がすでに述べている。その後、ギリシアの歴史家ヘロドトスや、プラトンの哲学にも登場し、数百年後、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典に組み込まれた。””

””何十億人もの親がわが子に、この黄金律を繰り返し教えている。それには二つの形がある。「自分がそうされたいと思うように他の人に接しなさい」という積極的教えと、「自分がされたくないことを他人にしてはいけない」という消極的教えである。””

””黄金律のこのバリエーションは、「 白金律」と呼ばれるが、ジョージ・バーナード・ショーがその本質をうまく言い当てている。「自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないから。””

””共感と違って思いやりはエネルギーを 搾りとらない。事実、前回に比べて、リカールははるかに気分が良かった。なぜなら、思いやりは、よりコントロールしやすく、客観的で、建設的だからだ。思いやりは他者の苦悩を共有することではなく、それを理解し行動するのに役立つ。それだけでなく、思いやりはわたしたちにエネルギーを注入する。それは他者を助けるために必要なものだ。””

””理性の力がとりわけ必要とされるのは、感じのいい人でいたいという欲求を 抑制する 時だ。わたしたちの社交的本能は、時として、真実と公正さの妨げになる。考えてみよう。わたしたちは、誰かが不当な扱いを受けているのを見ても、面倒な人間だと思われたくなくて、口をつぐむことはないだろうか。平穏さを保つために、言いたいことを飲み込むことはないだろうか。””

””しかし、思いやりの道を選べば、自分と見知らぬ人との距離が、ごくわずかであることに気づくだろう。思いやりはあなたに境界を越えさせ、ついには、近しい人や親しい人と、世界の他の人々が、等しく重要に思えるようになる。そうでなければ、ブッダは家族を捨てただろうか。そうでなければ、キリストが弟子に、父と母、妻と子、兄弟と姉妹を置き去りにせよと説いただろうか。””

””愛は小さな愛から始まる。自己嫌悪に悩まされている人が、他の誰かを愛せるだろうか。家族や友人を大切にしない人が、世界の重荷を担うことができるだろうか。小さなことをうまく扱えるようになって、ようやく大きなことを引き受けることができる。””

””書の目的の一つは、 現実主義 という言葉の意味を変えることだった。現在、 現実主義 者 という言葉は、 冷笑的 の同義語になっているようだ──とりわけ、悲観的な物の見方をする人にとっては。  しかし、実のところ、冷笑的な人は現実を見誤っている。わたしたちは、本当は惑星Aに住んでいて、そこにいる人々は、互いに対して善良でありたいと心の底から思っている””

””現実主義になろう。勇気を持とう。自分の本性に忠実になり、他者を信頼しよう。白日のもとで良いことをし、自らの寛大さを恥じないようにしよう。最初のうちあなたは、騙されやすい非常識な人、と見なされるかもしれない。だが、覚えておこう。今日の非常識は明日の常識になり得るのだ。  さあ、新しい現実主義を始めよう。今こそ、人間について新しい見方をする時だ。””