「情熱的な自信」と「冷静な謙虚さ」を同居させる~マッピング思考―人には見えていないことが見えてくる~


2022/11/17頃。

ちょっと、タイトルが良くないと思うのですが、かなり深淵なる気付きを与えてくれた書籍。

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””物事を多面的に見つめることで、恐怖や不安に対処する方法を見つけられるようになる。大胆にリスクを取り、逆境でも粘り強く努力を続けられるようになる。他人に影響を与えたり、説得したり、意欲を引き出したりすることがスムーズになる。””

類まれな成果を生み出す稀有な人たちに共通する志向性の1つは、盲信的な自信と、同時に、極めて冷静な謙虚さを同居させることにあるとは認識していたけれど、どのように、そのスタンスを保つか、育めるか、今一度、掘り下げ向き合わせてくれました。

とはいえ、言うは易く行うは難し。

””人は信じたいことをなんとしてでも信じたがる。人は信じたくないことに目をつぶる。自分だけは例外だと考えたがる。そして、それに気がつかない。””

認知科学のコーチングを学び、現状の外側にあるゴールを設定することで、コンフォートゾーンをズラし、「意図的に」スコトーマ(心理的盲点)を創って、見たいものだけを見る(見たくないものを見ない)ようにしてきた。本書を読み終わった今も、人間固有の認知の在り方を上手く活かすために、極めて適切な段取りではないかと思っていますが、他方で、同時に、盲目的、盲信的になるだけでなく、意図的に冷静になるという「両立」していきたいと思いました。

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目次

1 なぜ「マッピング思考」が重要なのか(人生を左右する「2種類の考え方」;99%の人が「自分の壁」を壊せない ほか)

2 「思考の地図」を検証し、行動する(知性の高い人がおちいる「認知バイアス」;物事を「メタに見る」5つのトレーニング ほか)

3 「ピンチ」で問われる資質(いざというとき「ポジティブ思考」に頼らない;それでも賭ける価値があるか ほか)

4 「頭のなか」をアップデートする(「正しく」間違える方法;「漏れ」「欠け」「穴」の見極め方 ほか)

5 「私の意見」を軽くしておく(「思考」はいかに「その人自身」になるのか;「こだわり」を捨て、「視点」をしなやかに保つ)

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””物理学者の故リチャード・ファインマンはこんな名言を残している──「自分に噓をつかないことは、なによりも重要だ。だが、自分ほどだましやすい人間はいない」。 判断力を低下させているものは「知識」ではなく~

””ベストセラーとなった『予想どおりに不合理』『ファスト& スロー──あなたの意思はどのように決まるか?』(ともに早川書房)などの書籍によって、人間の脳がいかに「自分をあざむく」ようにできているかが白日の 下 にさらされた。つまり、 人は自分の欠点やミスを認めるのがおそろしく下手 だということだ。  人間はすぐに希望的観測に逃げ込み、自分の偏見や信条を肯定するような証拠だけを見つけようとする──いわゆる「自己欺瞞」である。  こうした人間の心理的傾向は、基本的にそのとおり。たしかに、私たちはミスをしたときに都合よく言い訳をしようとする。  しかし一方で、ミスを認めるときがあるのも事実である。肝心なときに自分の誤った考えを正そうとしないことは多いが、まったく変えないわけでもない。  人間は複雑な生き物だ。真実から目を背けることも多いが、正面から向き合うこともある。  この両面のうち、あまり知られていない面、 つまり自分の内面に向き合って行動し、それがうまくいくときに何が起きているか、そしてその成功から何を学べるか ──それが、本書のテーマ~””

””健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。自分のなかにある認知バイアスや 誤謬(誤り)を認めなくては、なんの意味もないので ~””

””たとえば、自分の心をだますことは、心の健康を保つために人間に生得的に備わっているしくみだという。それどころか、現実をありのまま俯瞰的に見ることは、むしろ抑うつにつながるという「研究結果」を主張する記事や本もある。  これらの主張や研究結果は真実なのだろうか。心理学がポジティブ思考の効果をどのように思い違いしているかを、本書では考察し  ~””

””「私たちは、何かが事実であってほしいと願うときは〝なんとかしてこれを信じられないだろうか?〟と考え、それを受け入れる口実を探そうとする。   逆に、何かが事実であってほしくないと願っているときは〝どうしてもこれを信じなくてはならないのだろうか?〟と考え、それを拒絶する言い訳を探そうと~””

””これを戦場にたとえると、「動機のある推論」とは、 自分の考え(要塞)を脅かす敵を片っ端からつぶしていく兵士の考え方 である。  一方の「正確性による推論」は、 戦場の地形図をつくるように、全体を見てから戦いの駒を進める偵察者の考え方 だ。  戦場を俯瞰しながら、偵察者はこう考える。  「あの丘の向こうには何があるのだろう?」  「あれは川にかかる橋なのか、それとも私の目の錯覚なのか?」  「自軍にとって危険な場所、近道、チャンスはどこにある?」  「もっと詳しい情報が必要なエリアはどこか?」  「この情報の信頼性はどれ  ~””

””マッピング思考」では、仮定を疑い、既存の計画に「負荷テスト」をかけることをすすめていく。  提案するのが製品の新機能であれ軍事作戦であれ、「もっとも起こりやすい失敗は何か?」と自問することで、あらかじめその失敗の可能性に備えることが   ~””

””危機が目の前に迫ってきても「これでいいんだ」とネガティブな感情を否定する。自分にとって都合のいい物語のなかに閉じこもり、現実から目を背けようとすることもある。  「すべての出来事には意味がある」「苦労はいつか報われる」「夜が暗いほど星は輝く」といった励ましの言葉をつぶやきながら。  イソップ物語の「キツネとブドウ」では、手の届かない高い木の枝にぶらさがったおいしそうなブドウの房を見つけたキツネが、「どうせ酸っぱいんだろう」と捨てゼリフを吐いてその場を去る。  人間も欲しいものが手に入らないとき、この「酸っぱいブドウ」のような理屈をつけることがある。  初デートで盛り上がった相手からその後に連絡が来ないと、「どうせつまらない人だったんだ」と決めつける。  仕事で案件を受注できなかったら、「割に合わない仕事だったし、受けなくてよかった」と ~””

””だから、 常識に従うのは世の中をわたっていくうえで賢明な判断になることが少なくない のである。  だが、常識が間違っているかどうかを確認しようとせず、ただ受け入れようとするならば、それはただの「動機のある推論」に~””

””人は「動機のある推論」をやみくもに使っているのではなく、自分の人生や自分自身を肯定し、困難に挑み、まわりからいい印象を持たれ、相手をうまく説得し、集団に受け入れられる、といった、自分にとってきわめて重要なことを守るために使っているからだ。  だが、それが必ずしも〝有効〟であるとはかぎらない。むしろ、逆効果になることがある─ ””

””一方、偵察者の「マッピング思考」は「それは本当だろうか?」と考える。  「マッピング思考」は「問題を解決する」「チャンスに気づく」「取る価値のあるリスクを見極める」「自分に合った人生の道筋を探る」、さらには「純粋な好奇心に従ってこの世界をよりよく理解する」ことに適しているので~””

””人間は本質的に「目的が違う複数の考えを同時に持つ」という矛盾を抱えた存在だ。  そのため、これらの考えのうちどれを優先させ、どれを犠牲にするかという「トレードオフ」〔なにかを得るとなにかを失う、相反する関係のこと〕を常に計算していなければならない。  たとえば、私たちは「判断力」と「帰属意識」をトレードオフしている。  集団意識や同調圧力の強い伝統的なコミュニティに溶け込むためには、今いる環境を受け入れ、そのコミュニティの核となる信念や価値観に対する疑念を抱かないようにするのが得策だ。  だが逆に、常識を疑い、コミュニティの道徳や宗教、男女の役割に関する信念や価値観に対して疑問を抱けば、その場所を飛び出して、伝統に縛られない生き方を選んだほうがいいと思うようになるかもしれ ~””

””判断力」と「モチベーション」も同様である。  計画を思いついたとき、ポジティブな側面だけに目を向ければ(「これはすごいアイデアだぞ!」)、実行に向けた熱意や意欲を高められる。  逆に、計画のネガティブな側面に目を向ければ(「どんな欠点があるだろう?」「失敗する可能性はないか?」)、代替案を考えやすくなる。  多くの人は、こうしたトレードオフを常に行なっている。  ただし、たいていはそのことに無自覚である。  もし「ミスを認めるべきか? 否か?」と自問している自分にはっきりと気づいているとしたら、それは自分をだましているとは言えない。  人は「どの目的を優先させるかの選択」 を無意識に行なっているのだ。  あるときは自分の感情や対人関係を優先させ、物事を正確にとらえることを犠牲にすることも~””

””経済学者のブライアン・カプランが提唱する「合理的な非合理性」という仮説は、「人間の心は、このようなトレードオフをうまく行なう能力を進化させてきた」と主張している。  「合理的な非合理性」とは、「人間は、対人関係や感情的な目的を達成するために、みずからの判断力にあまりダメージを与えない程度に非合理な選択をしている」という考えを表している。  これはどういうことだろう。  たとえばある人が、 深刻な問題の存在を否定しようとするのは、そのことで心穏やかに過ごせたり、あれこれ考えたところでその問題を解決できる可能性は低いと判断したりしたとき で  ~””

””私たちが、やらなければならないことをつい先延ばしにしてしまう原因には、「現在バイアス」と呼ばれる認知バイアスが関わっている。  「現在バイアス」とは「目先のことに気を取られ、将来のことを気にしなくなる」という、人間の直感的な意思決定に見られる特徴のこと~””

””それは「自分が『動機のある推論』をしていないか、常に注意すること」だ。そしてこの推論をしていることに気づけたら、それを堂々と受け入れること。くり返しになるが、人間は生まれつき「動機のある推論」をしてしまう生き物である。その点に無自覚だとしても、自分がこの推論をしていないことの証明にはならない。それを減らしていくためには、逆説的だが「自分だっていつもしてしまっているな」ということを「自覚する」のが欠かせないステップになる。””

””それを減らしていくためには、逆説的だが「自分だっていつもしてしまっているな」ということを「自覚する」のが欠かせないステップ になる。  私自身、「守りの思考」が人間の脳に深く刻み込まれているという事実(さらには、頭がよく、善意の人でも、この思考パターンを克服するのはもちろん、自覚することすら困難だという事実)を知って、 他人の理不尽さを以前よりも許せるようになった。  そもそも自分がこうした偏った推論をしているケースは数え切れないほどあるので、人のことをとやかく言える立場ではな

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