「つながりたい」という欲求を満たすネットコミュニティ、その設計術


 

 

コミュニティ運営者、コミュニティ事業者として、

これから自社のサービスを、どのように盛り上げていこうか、
考えあぐねていたところに出会った書籍。
なんとなく、頭のなかに、こうしていきたい、というようなものがあっても、
それを言語化して、チームのメンバーに共有して、合意して、
1歩1歩着実に、その理想形に近づけていくという作業は、
思いの外、簡単なことじゃなくて、強い信念や根気がいることだと思う。
頭では何となく分かっていながら、
日々の仕事に忙殺されているだけの運営者と、
全方位から、サービスをより良くするために日々過ごしている運営者とは、
とんでもなく大きな差があるということを改めて痛感している。
共に働く仲間(同僚)にとっても、
サービスを使ってくれている仲間(お客様)にとっても、
心の底からハッピーになっていくことに貢献できている状態を創りたい。
【抜粋】

・「コミュニティが流行る」要因は複合的なものである。快適に楽しくコミュニケーションができる機能の豊富さや、使いやすいインターフェースといった「ハード」面も重要であるし、運営者のおもてなしや雰囲気作り、コンテンツの編集などの「ソフト」面も重要である

・時代の流れを捉え、サービスの企画・開発期から、立ち上げ期の盛り上げ、その後の成長期へと、それぞれの時期に必要な力を発揮できたサービスだけが生き残り、発展をし続けている

・新しいコミュニティを使い始める際のユーザーの心境は、恋をしはじめた状態に近い、という前提に立ち、どうすればその関係が長く続くか、について考える

・居場所を求める人たちと初期のインターネット。インターネットコミュニティは、具体的にどのような人々に利用されてきたのだろうか。日本のネットコミュニティを最初に使いはじめた人の中でも、とりわけ積極的に利用していた人の多くは、リアル社会になかなか居場所が見つからない人たちだったのではないだろうか。自分が属しているコミュニティに満足している場合、人はなかなか別のコミュニティにまで手を出さない。例えばどうも社会に馴染めない、自分の居場所がない、と感じる人が、新しい帰属先を求めて別の場所に移動する

・そもそもコミュニティとは何だろうか。なぜ人は、コミュニティを必要とするのだろうか。  人は「他人とつながりたい」という欲求をもっており、この欲求によってコミュニティが生まれていると考えられる
・人が他人とのつながりを求めずに、ひとりで完結して生きていくことができる生物であれば、コミュニティが形成されることはないだろう。地球には実際にそのような生物も存在するだろうが、少なくとも人の場合は、多少の濃淡はあれども、誰もが何らかのコミュニティには属しているものである。「他人とつながりたい」という欲求は、かなり強い欲求であるといえるだろう
・核家族化が進み、隣人との関わり、地域との関わりが薄れていった。都市に生活する日本人は、自宅と職場を往復することが生活時間の大半を占めるようになり、家族と同僚以外のコミュニティへの関わりが相対的に少なくなっていった時代だったといえるだろう
・インターネットコミュニティは、自宅と職場の隙間を埋める存在として役割を果たしてきた
・電車に乗って眺めると、スマホに向かっている人のなんと多いことか。最近、女子高生のスマホ平均利用時間が1日7時間に達している、という驚くべき調査結果が発表され、話題になった。1日の3分の1近くを、小さな画面を覗いて、主にその場所にはいない人とのやりとりに費やしているのである
・ネットコミュニティは、それが立ち上がり参加する人が増えるとともに関わる楽しみが増す段階、そのコミュニティに常連がつくようになり、個別に仲良くなる「社交」が生まれる段階、参加者並びにその活動がピークを迎え、参加者に派閥ができたりして、参加者間の揉め事も増える段階を経て、常連が幅を利かせて息苦しさが増したり、人間関係の煮詰まりにより中心人物が離脱するなどしてコミュニティが停滞する段階を迎えることが多い
・ネットコミュニティの管理者、モデレーターには、「常連」を適切に遇しながらも、新規の参加者にとって居心地が良い状態を作るといった、「常連」が新規参加者にとっての障壁にならないようにする運営能力が求められる
・2015年のはじめ、テキサス大学に通う19歳の「本物のティーンエイジャー」が書いたソーシャルメディアについての見解、特にフェイスブックについての「自分たちの間では終わったも同然。中学の頃はクールだったから熱中したけれど、今では出なきゃいけない気まずい家族のディナーパーティみたいなもの」というコメント「若年層のフェイスブック離れ」の代表的な意見として話題になった

・コミュニティサイトの成功を考える場合に、最も役に立つのが「恋愛術」である。コミュニティサービスとユーザーの関係は、恋人同士の関係と似ているためだ。相手(ユーザー)をどれだけ自分(コミュニティサービス)に夢中にさせる

・匿名性  社会的な属性、個人情報などを隠して活動ができる。

・反応性  情報や質問を書き込んだことに対するリアクションが速い。

・平等性  サービス利用者は平等である。平等性が保障されているため、いろいろなユーザーが集まり、多様性が生まれる。

・正確性  集合知により、誤った知識や情報はユーザーの手によって排除され、修正される。

・感情性  匿名性の高いユーザーはもちろん、記名のユーザーも本音、もしくはそれに近い感情が出やすい

・人間は社会的な生き物なので、他人の反応に弱い生き物である。やはり自分が書いた文章に対して「読んだ人はどう思うのか?」が気になる。その点2ちゃんねるは、早朝だろうが深夜だろうが、誰かしらが閲覧・書き込みをしているので、自分の投稿に対するリアクションがとても速い
・「自分の投稿に対するレスポンスの速さ・多さ」はとても重要だ。賛成であれ反対であれ、自分の書き込みが「承認される」ことは快感なのだ。この承認が間違った方向に発展したのが、ネット上で噓を書いて反応を喜ぶ「釣り師」の連中だ。また、ネット上で偏った意見を熱心に投稿する連中も、自分の書き込みに対して「反応」を求めている、寂しがり屋だ

・「反応を書き込むことで、ユーザーに良いことがある(例えばサービスポイントの付与、ユーザーのランクアップなど)」 「反応を多く得ることで、書き込む人にさらなるメリットを生む」 「リアクションを書きやすい表示・デザイン」 「プログラムで自動的に反応を行う」 といった、工夫が必要である

・恋愛もコミュニティサービスも「求めよさらば与えられん」ではなく、「与えよさらば与えられん」の世界だ

・なぜ、はてながこれほどまでに熱心な(時には気持ち悪いといわれるほど)ファンが多いのか? それは先程の恋のエピソードのように、運営側がユーザーに対して情熱をもって接しているからだ。そして、多くのサービスを横断的に使えるため、ユーザーをより活発化させる。具体的には、「はてなアンテナ」で見つけた情報を、「はてなブログ」で公開。それを見た他のユーザーが、「はてなスター」と「はてなブックマーク」をつける。公開されたはてなブックマークでより多くの人が見るきっかけを与え、ますます閲覧数が増えていく……。はてなが提供するサービスを円環し、人をどんどん呼び込んでいくシステムができあがっている
・「書き込みに対する反応」がわかりやすいシステムになっているので、自分の書いたエントリー、もしくは気になるページの更新情報を頻繁にチェックしてしまう。2ちゃんねるでも「書き込んだ後の反応」が気になって、何度もリロードしているユーザーは少なくない

・多くの人間は、「第三者の反応」が本能的に気になるので、スターやブックマークなどで可視化させるはてなは、この「気になる欲求」を満たすサービスを提供しているといえよう

・定期的なサプライズ  マンネリとは「予測外のことが起こらない」ことだ。良くいえば安心感、悪くいえばツマラナイ感だ。これを打ち破るのに効果的なのが「サプライズ」だ

・記念日を大切にする  2人がつきあいはじめた期間は、愛の成績といえるだろう。その成績を称え、確認するために必要なイベントが「記念日」だ

・未来・夢を語る  自分、もしくは2人の未来や夢を語るのは、マンネリ打破に効果的なアプローチである。

1.ユーザー同士のコミュニケーションが中心のサービス  これは、会話をする「場」だけが用意されていて、その場を利用して、不特定多数のユーザー同士がコミュニケーションをするものを指す
2.ユーザーの中にスターがおり、その周辺でコミュニケーションをするサービス  2つ目は、発信者としてのユーザーがおり、それを見るユーザーがいるという形式のコミュニティのことを指す
3.コンテンツが中心にあり、その周りでコミュニケーションするサービス  たとえば、ニュースに対してコメントがつけられる「Yahoo!ニュース」

・まず、ネットコミュニティの肝ともいえる前提条件から説明したい。それは、コミュニティとは「ユーザーがつくっていくもの」であるということゆえに、絶対に流行るコミュニティというものを運営が意図してつくることは不可能である。人々がいつ、どのように行動するかをあらかじめ計算するのは不確定要素が多すぎるため、そうした設計はほぼ不可能だからである。コミュニティサービスをつくるということは、通常のサービス設計と違って、複雑性が高いのだ

・コミュニティサイトの設計で最初に考えるべきことは、投稿するユーザーが、何を楽しみにして投稿するか、という点である。他のユーザーと会話を楽しみたいのか、他の人の役に立つ投稿をしたいのか、自己顕示欲を満たしたいのか、など、それぞれのユーザーによってモチベーションは違うが、サービスとしては、どのモチベーションを一番中心におくか、というのが設計の肝となる

・拡大期とは、まさにこの、自動的にユーザーが増えていく仕組みになったときのことを指す。具体的には、「①書き手が集まっており」「②投稿されたコンテンツが十分に揃い」「③読み手が増えつつある」という状態になれば、拡大期に入ったと考えてもよい。  では、拡大期に入ったら、どんな施策を打てばよいのか

・SNSですら、2011年にツイッターのアクティブユーザーが1億を超えた時に、読むだけのユーザーは40パーセントだと発表されているし、そのほかのサービスでも、読むだけのユーザーが30パーセント近くいるとする調査もある。どのみち、人数が多くなればなるほど、読み手の割合が増えていくということだ

・「読み手」を意識する方法  では、実際に読み手を意識するとはどういうことだろうか? 書き手を意識する場合は、どんな書き手でも使いやすいような機能を充実させるという、いわば平等な施策を打つことになるが、読み手を意識した場合は、「おもしろい投稿ができるユーザーが優遇される」ことになる

・ランキングだ。投稿のランキングがあることで、読み手がおもしろいコンテンツを発見できるようになる

・運営者側が、ピックアップをして、おもしろい投稿を紹介してもよい。これなら、書き手に変化を求めずに、気軽に読み手にとって便利な状態をつくることができる

・古参には独自の「コンテキスト」が生まれてしまう。「2年前にはこうだったよね」みたいな会話をコミュニティ上でしてしまうのだ。多くの人にとって、すでにできあがっている場に入ることは躊躇するものである

・2年くらい運営されているサークルにあとからひとりで入るようなものだ。中ではすでに人間関係ができあがっており、共通の話題もある、となってしまうと馴染むのに時間がかかる。コミュニティでも同じで、あとから入る人にとっての敷居が上がってしまうと、そもそも入りたいという気持ちがなくなってしまうのだ

・コミュニティをつくるうえで重要なことに、そのサービスをつくった人がどういう人物なのか、という点もある。人と人がコミュニケーションをする場である以上、その中心となる人に左右される点は否定できない

・人間は他者とつながり合わないと、自分というものを確信できない。だから、フェイスブックやLINEといったものが流行るのは当然だが、そこには非常に短い言葉のやりとりしか存在しない。しかも、即時性が求められる短い言葉のやりとりが中心になるほど、そこから多様な意味を読み取れるようになる。だから、スタンプや顔文字を使って視覚情報を補おうとするのだろうが、それでも十全とはいえない

・世間の意見の総和では、人を感動させることはできない。感動させるのは、常に個人だ。我々は、個人の感動体験をやりとりしながらお互いにつながっていくが、それはやはり視覚的な出会いをきちんと演出しなければできないものである。

・仮想空間で信頼関係は醸成できる

・心と心が触れ合うために必要なものは何かというと、それは時間である。人と人とをつなぎ合わせるのは、話の内容ではなくて、共に過ごした時間なのだ

・そもそも「コミュニティ」とは何だろうか。  大きく見れば、コミュニティというものは2つの側面をもっている。  ひとつは「情緒的な側面」。これは文字通り、人間はコミュニティに属することで、情緒的ないし心理面での安心感や安定、あるいは自己確認を得るということだ。もちろん、そこに様々な〝愛憎〟や葛藤、抑圧などネガティブな面が生まれることもあるもうひとつは「情報」としての側面。思えばコミュニティとは、〝何らかの「情報」あるいは世界観(=意味の体系や秩序)を共有する集団〟ということに他ならない。少し考えてみれば明らかなように、実は「コミュニティ」と「情報」とは不可分の関係にあるのだ

・「社会的孤立」とは、〝家族以外〟の他者とどれくらい交流や付き合いがあるかに関するもので、結果を見ると、先進諸国の中で日本がもっとも「社会的孤立度」が高い国になっている。

・「家族主義的」な傾向の強い国ないし社会──日本はその典型のひとつだろう──においては、まさにそうであるがゆえに、家族あるいは集団の「ウチとソト」の境界が強くなり、したがって〝家族や集団(の境界)を越えたつながり〟が希薄になりがちなわけである。逆に「個人主義的」な傾向の強い国ないし社会のほうが、むしろ独立した個人と個人が集団を越えて(ゆるく)つながることが自然になされる。日本の場合、〝身内〟に対する関係と〝他人〟に対する関係のあり方の「落差」が際立っているのだ。つまり日本における人と人との関係のあり方の特徴として、「〝身内〟あるいは同じ集団に属する者の間では、過剰なほどの気遣いや同調性が強く支配するが、集団の『外』にいる人間に対しては、無視か、潜在的な敵対関係が一般的となる

・日本社会の特徴を「集団の孤立性」を「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」という視点で論じてきた。前者はいわば〝集団の中に個人が溶け込み、集団が「内側に向かって閉じる」ような関係性〟であり、後者は〝個人が集団から独立しながらつながるような関係性

・「人のために何かをしてあげたい」という純粋な動機で開発したものが成長し、「ヒットさせたい」「売上を伸ばしたい」といった、コミュニティの本質からそれた動機で開発したものは大方盛り上がらなかったといえる

・飲み会にしても、「今回の飲み会はなんだか楽しそうだ」と感じれば参加するし、「どうも盛り上がるイメージが湧かない」という場合には参加を控えるだろう

・ビジョンの提示、支持するフォロワー 「この人について行くと楽しそう」と人に思わせられる力を、もう少し一般的な言葉でいえば、「ビジョン」ともいえるのかもしれない。「ビジョン」というと一般的に、言葉として定義され、誰もが復唱できるようなものを指すが、ここでいっているのは、必ずしも言葉になっているとは限らず、「この人には未来のイメージが見えているようだ」と思わせる「何か」くらいのもので、もう少し複雑なものだ

・フォロワーが行動を起こす理由は、できれば面白い体験をしたいという気持ちや、どんな未来なのか見てみたいという好奇心が大きいのではないだろうか。そして、コミュニティが生まれるかどうかは、こうした初期のフォロワーが生まれるかどうか
・コミュニティは人間の集団である。集団ができるためには、誰かが「こちらに進もう」と歩き始め、それについて行く人が出てくる必要がある。一番最初にフォロワーが生まれるかどうかを決めるのは、「この人について行くと楽しそうだ」と思わせる何かがあるかどうか

・「人のために役に立ちたい」という純粋な気持ちで始めたサービスがヒットしやすいのも、「こんな未来を作りたい」という動機が利用者にも伝わり、「そういうことならついて行こう」「どんな未来になるのか見てみたい」というフォロワーが生まれる

・「コミュニティはどこから生まれるか」という起源についていえば、言い出しっぺであるリーダーと、初期のフォロワーによる「熱量の高まり」のようなものなくして、コミュニティは生まれ得ない

・人間は、人とのつながりを求める生物である。何らかのコミュニティに属すことができなければ、多くの人は幸福を感じることができない。インターネットは、そうした人間に、人とつながるための新しい方法を提供し始めた。そしてこれからさらに、よりリアルに近い方法でつながることができるようになっていくだろう

 


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