書評を通じて「共感」を味わう


 

 

「書評」というと、なんだか、仰々しい物言いがして、

なんだか、畏まってしまうものだけど、やっぱり書きたい。

書きたい理由は、本が大好きであること、

そして何より読みっ放しにしないようにすること。

これに尽きる。

僕は評論家ではなく実業家として、生きていきたい。

どれだけインプットをしても、アウトプットしないと血肉化されない。

当然、書評すること以上に、大切なこともある。

本のタイプにもよるが、 これは素晴らしい!と思ったことを、

実際に、我がものとするか、ただ読み流すかには大きな違いがある。

僕は、常に謙虚に、自分に不足しているものとあらば、

骨の髄まで学び尽くしたいと考えている。

 

さて、今日の本題は、こちら。

書評のゴールはどこにある?

私自身たいした書評が書けるわけではないので、「書評の書き方とは!」なんて教えられる身分では決してありません。ただ、上の村上春樹の文章を読んで、ピンと来たことがありました。それは、「自分の書く書評のゴールはどこにあるのか」ということを意識してみると、納得のいく文章が書けるのではないかということです。これから書評に挑戦してみたいという人も、すでにたくさん書評を書いてきたという人も、自分の書評のあるべき姿を一度考えてみるといいのではないかと思うんです。 ちなみに私は、この「書評とは、食欲をそそるものであるべき」という考えにものすごく共感し、「おお、これだ!」と思いました。 『(チェコ好き)の日記』おいしい書評の書き方~より

 

なるほどなぁ、と。

僕の場合も、究極的には、

「共感」を得ることが、ゴールとなってくるのかと思う。

つまり、ただ、自分の備忘録が如く、

自分のアウトプットの場として、

自慰行為として終わるよりも、

どれだけ広く、深く、共感してもらえるように文章を書いていくか、

そういうことを意識して、書評する方が楽しい。

そうだ、そうやって楽しむことにしよう。

 

Young Reader


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