今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?


 

 

 

 

僕は、『おかげさま』という言葉が、とても好きだ。
誰かの、何かの、『お陰様で』、
今の僕が存在するということを意識できる。

自分が考えている以上に、
本当に多くの人達の存在があって、
今の僕が存在している、ということを認識できれば、
理解できれば、世界に対する観方は、全く違うものになると感じる。

今日、90歳近い、おばあちゃんが、まだまだ元気に過ごしているかと思ったら、
突然、嘔吐したと連絡が入った。

予定が詰め込まれたスケジュールの中で、
あるLINEが入った、
いくつかのメッセージの一部がプッシュアップされた。
簡潔な表現のことしか分からなかったが、
心配になって、不安になって、もどかしい気分になって、
冷静を装い、予定通りに、仕事をこなす。
しかし、時折、おばあちゃんの姿が脳裏によぎる。

とうの昔に、両祖父を亡くしているが、
その時は、自分がいつか死ぬことや、
自分の両親が、老いていく姿を想像すら出来なかった。

ところが、今、家族の死を予感させるものに直面した時、
この齢で、感じ取ったことは。人生が有限であるという普遍的な真理だった。

そして、スティーブ・ジョブズの、この言葉を思い出した。

17歳の時にこんな言葉を読みました。
「毎日を最後の日であるかのように生きなさい。
いつか必ずひとかどの人物になれる。」

私は感銘を受けました。
それから33年間、毎朝鏡を見て問いかけました。
”今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?”
長い間答えがノーであるときはいつも
何かを変える必要があるとわかるのでした。

そう遠くないうちに死ぬと認識することは、
大きな選択をする時に助けてくれる
私にとって他にない重要なツールです。

なぜならほとんど全てのこと−
外部の期待や自分のプライド、挫折や屈辱への恐れは全て
死に際して無くなり本当に重要なものだけが残るからです。

自分も死にゆくと自覚することは
何かを失うという思考の罠を回避する最高の方法です。
あなたは既に裸です。
ハートに従わない理由はありません。

改めて、
一度きりの人生と向き合ってみようと思う。

『今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?』
と、問い続け、毎日を最後の日であるように過ごす。


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