喜んで恥をかこうじゃないか。


 

 

 

知らず知らずのうちに人間は恥をかくことを避けるようになる。
何故なら、一般的に、人たる者、目の前の欲望に振り回されるからだ。

もし苦労して築き上げた理想を描くことが出来れば、
眼前に現れる甘い蜜の形をした快楽に溺れることなく、挑戦を続けるだろう。

しかしながら、言うは易く行うは難し。

数多の書籍の中で、先人たちが繰り返し繰り返し示して下さっているにも関わらず、
人は、それを我が物に出来ず、目の前の現象、事象に右往左往し続けてしまうことになる。

人間である自分が弱いことを受け入れ、受け止め、
だからこそ、自分を追い込み、狂気を帯びるほどの気迫で、生き抜かなければならない。

目先の快楽に囚われず、
理性を働かることが出来れば、目の前の恥ずかしさに戸惑うことなく、行動できる。

Photo by /Joelstuff V4_picassos shame

 

 

トルストイも感嘆した仏教説話

―秋も深まったある日、木枯らしの吹く寒々とした景色の中を旅人が家路を急いでいます。
ふと見ると、足もとに白いものがいっぱい落ちている。よく見れば、それは人間の骨です。
なぜ、こんなところに人の骨が・・・・と気味悪く、不思議にも思いながら先へ進んでいくと、向こうから一頭の大きな虎が吠えながら迫ってきます。
旅人はびっくり仰天し、なるほど、この骨はあの虎に食われた哀れな連中の成れの果てかと思いながら、急いできびすを返して、いま来た道を一目散に逃げていきます。
しかし、どう道を迷ったものか断崖絶壁に突き当たってしまう。
崖下は怒涛逆巻く海。後ろからは虎。進退窮まって、旅人は崖っぷちに1本だけ生えていた松の木によじ登ります。
しかし虎もまた恐ろしく大きな爪を立てて松の木を登りはじめている。
今度こそ終わりかと観念しかけましたが、目の前の枝から1本の藤づるが下がっているのを見つけ、旅人は藤づるをつたって下へ降りていきました。
しかし、つるは途中で途切れており、旅人は宙ぶらりんの状態になってしまいます。
上方では虎が舌なめづりしながらにらんでいる。しかも下をよく見ると、荒れ狂う海には赤、黒、青の三匹の竜が、今にも落ちてきそうな人間を食べてやろうと待ちかまえています。
さらには上のほうからガリガリと音がするので、目を上げると、藤づるの根もとを白と黒のネズミが交互にかじっている。
そのままでは、つるはネズミの歯にかみ切られて、旅人は口を開けて竜目がけてまっさかさまに落下するほかありません。
まさに八方ふさがりの中で、旅人は何とかネズミを追い払うべく、つるを揺すってみました。
すると、何か生ぬるいものが頬に落ちてくる。なめてみると甘いハチ蜜です。
つるの根もとのほうにハチの巣があり、揺さぶるたびに蜜がしたたり落ちてくるのです。
旅人はその甘露のような蜜の味のとりこになってしまいました。
それで、いま自分が置かれている絶体絶命の状況も忘れてーーー虎と竜のはさみ打ちにあい、たった1本の命綱であるつるをネズミにかじられているにもかかわらずーーー何度も何度もその命綱を自ら揺すっては、うっとりと甘い蜜を味わうことをくり返したのです。

これが欲にとらわれた人間の実相であるとお釈迦様は説いておられます。
それほどせっぱ詰まった危機的な状況に追い込まれてもなお、甘い汁を舐めずにはいられない。
それが私たち人間のどうしようもない性であると述べておられるのです。
ロシアの文豪トルストイがこの話を知って、「これほど人間(の欲深さ)を、うまく表現した話はない」と驚き、感心したといわれていますが、たしかに人間の生き様、あるいは人間のもつ欲望の根深さを表現したたとえ話としては、これ以上のものはないように思われます。

By- Kazuo Inamori 「生き方」より


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