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発達とは包み込むこと。越えて含むこと。アンセルフィッシュな生き様~インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル~

2022/9/26頃。

まさに、「新次元」という表現に相応しい新たな思考の枠組みを頂くことが出来ました、素晴らしい書籍に出会えて、本当に有り難い、感謝感激であります。

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2022年は、「見えないものを見る」、「見えないものが見えた」、シンボリックな1年であったと振り返ります。知らないものを知ったというような感覚とは異なり、本当は、そこに存在している(存在していた)のに、自分には知覚、認知できていない(いなかった)ということに気づくことが多かったです。

本書は、極めて網羅的に、知覚(認知)のセンサーを広く、深く、拡張してくれたと感じます。

””こうした無数のシステムを結びつけられる奥深い 文脈 は存在しないだろうかと、探し求めるのである。バラバラになっているさまざまなシステムを包み込んで、それらをホリスティックな 螺旋、あるいは、統合的な 網目細工 へとまとめ上げようとするのだ。言い換えれば、私たちは、第二層の思考を用いることで、 相対主義的な見方から 全体的 な見方へと、あるいは、 多元的な見方から統合的な見方へと移行するのである。 ””

””第二層の意識とは、本質的には、 垂直的な思考と水平的な思考の両方を行うことのできる意識 である。この意識は、 階層的な見方 と 並列的な見方、 順位づけ と 結びつけ の両方を活用することができるのだ。それゆえに、人は生まれて初めて、 内面的発達のスペクトラム全体を明確に理解する ようになる。そして、 螺旋 全体が健全であるためには、どの 段階 の存在も極めて重要であるということを認識するようになる。””

””私はこのことを、「越えて含む(Transcend And Include)」という言葉で説明したい。それぞれの段階(ウェイブ)は、前の段階の及ばない場所へと進んでいる、つまり、前の段階を越えているのだが同時にまた、前の段階を自らの一部として包み込んでいる、つまり含んでいるのである。””

””例えば、分子が原資を越えているとは言っても、分子は原子のことを嫌っているわけではない。むしろ、原子のことを嫌っているわけではない。むしろ、原資のことは好きであり、原資を自らの一部として包み込んでいるのだ。分子は原子を含んでいるのであり、原子を排除しているわけではない。これと全く同じことが、人間の発達についても言える。どの段階も、以後の総ての段階にとっての基本的な構成要素なのであり、それゆえ、大切に尊重されなければならないものなのだ。””

発達とは、成長とは、かくして、自己中心性の減少であり、アンセルフィッシュな態度、生き様を獲得していく過程にあるのではないか。「越えて含む(Transcend And Include)」ことによって自己愛を越え、他人、果ては社会、世界、地球といった対象をも、本気で愛していくことが出来る。

””多くの心理学者が合意していることは、自己愛をどう捉えるかはさまざまであるが(加えて、自己愛にもさまざまなタイプがあるが)、一般的に言って、自己愛とは子どもに見受けられる標準的な特徴であり、大人になれば──完全にとは言えなくても、かなりの程度までは──脱却しているべきものだということである。実際、 発達とは、自己中心性が次第に減少していくこと であると定義できる。””

では、どのように変容していくのでしょうか。

”” 発達の螺旋とは、 思いやり の螺旋でもある のだ。「私」への思いやり、「私たち」への思いやり、そして「私たち全員」への思いやりへと、その対象が広がっていくのである──そしていずれは、統合的な包容力を獲得することになるだろ う。””

””発達 とは、 包み込むこと なのである。それゆえに、それぞれの 段階 は、前の段階よりも包括的で、インクルーシブで、統合的なのだ──前の段階よりも、誰かを周縁化したり、排除したり、抑圧したりすることが少ないのである(言い換えれば、それぞれの段階は「超えて含む」のである──自らの偏狭さを 超えて、他者を 含む のだ)。

発達とは包み込むこと。越えて含むこと。

””私たちが扱っている問題とは、どうすれば、文化の最先端において、統合的な意識を(さらには 超-個的 な意識を)効果的に出現させていけるのかということなのだ。 私の考えでは、必要なものは、ただの「新しい統合的理論」でもなければ、ただの「新しい万物の理論」でもない。こうした 理論 も確かに重要なのだが、それと同時に、新しい 統合的 実践 が必要なのだ。仮に、コスモスについての完璧な統合的地図、完全に包括的でホリスティックな地図を手に入れたとしても、そうした地図そのものが、人々を変容させることはないだろう。 必要なのは、地図だけではない。同時に、地図のつくり手を変容させるための方法が必要なのだ””

””存在の 螺旋 とは、終わることなき偉大な 流れ なのであり、この流れは身体から心、魂、さらにスピリットへと広がっている。そしてこの大河の流れの中を、何百万という人間が、源流から海洋へと向かって絶えず泳ぎ続けているのだ。それゆえ、 どんな社会も、統合的段階という一点に位置することは決してない だろう。なぜなら、川の流れは、やむことなく続いているからだ(もっとも、歴史が示しているように、文化の「重心」は上昇し””

””だが、たとえそうであるとしても、主要な問題は同じである。問題は、どうすれば全ての人間を統合的段階(そしてそれ以降の段階)にたどり着かせられるかということでは ない のだ。そうではなく、問題とは、 どうすれば 螺旋 全体の健全さを維持することができるか ということなのである。何十億という人間が、来る年も来る年も、この 螺旋 の中を進み続けているのだから。 言い換えれば、私たちが行うべきことの大部分は、 低次の(それゆえに根底的な)諸 段階 を、その段階自身の論理の中で、もっと健全なものにする ということなの ””

””なぜか? なぜなら、「 一即多」を見つけ出そうという意思によって、私たちの心と頭が、「 一即多」と 同調 するようになるからだ。実際、「 一即多」とはスピリットそのものであり、世界の中で、まばゆいばかりに輝きを放っているのである。 私の考えでは、統合的アプローチこそ、「 一即多」を表現するためのもっとも有望なアプローチである。なぜなら、これから本章で言及するさまざまな世界観モデルの全てを、明示的に包含し、尊重するものであるからだ。 加えて、先にも述べたように、この統合的な全体像ないし「万物の理論」は、さまざまな世界観を探し出せる索引システムとしても機能する。そのことによって、それぞれの世界観が与えてくれる深遠で特別な贈り物を、正しく尊重しようとするので ””

””万物の理論を探求するにあたって、私はひとつのルールがあると考えている。それは、誰もが正しいということだ。もっと正確に言えば、 全ての人 ──私自身を含めて── が、何らかの真実の かけら をもっている ということである。こうした真実のかけらは全て、大切に尊重されなければならない。そうすることで、こうした部分的な真実は全て、もっと優美で、もっと広大で、もっと慈悲に満ちた抱擁の中に、言い換えれば、本物の「万物の理論」の中に、包摂されるので~””

誰もが正しいということ。全ての人は何らかの真実のかけらを持っている。

””思うに、私たちは最終的には、存在そのものに内在する歓び、あらゆる瞬間の大いなる完全性に基づく歓びを見つけ出すことになるだろう。全ての瞬間は、それ自体として驚くべき全体であると同時に、次なる全体の一部分であり、この全体と部分の連鎖は、滝のように次々と滑走し、無限へと向かったり戻ったりしているが、そこに欠けているものや不足しているものは何もなく、常に、現在という輝きのなかで完全に満たされている。 統合的なヴィジョンは、その役目を終えれば、最終的には、認識するにはあまりにも明らかであり、到達するにはあまりにも近いスピリットの輝きの前に、敗北するだろう。統合的な探求は、探求そのものを手放すことによって、とうとうその目的を達成し、常にすでに現前していた根本的な 自由 と最上の 豊かさの中へと溶解する。私たちは、万物の理論を放棄することで単に万物そのものになり、コスモスを優しく握りしめているこの終わりなき意識のなかで、全てとひとつに””

””ウィルバー自身が述べているように、インテグラル理論とは、現実世界を包括的に映し出してくれる地図です。つまり、インテグラル理論はいわゆる「メタ理論」であり、「メタ理論」であるがゆえに、私たち一人ひとりは、個別具体的な理論を継続的に学び、その理論の具体的な実践を続けていく必要があります。 例えば、経営者であれば、経営理論を学び、そこにインテグラル理論というメタ理論を携えて日々の実践にあたることで、これまでよりもさらに包括的かつ豊かな企業マネジメントが実現されていくでしょう。これは経営者のみならず、教育に携わる人、医療に携わる人、政治に携わる人など、すべての実践者に当てはまります。 例えて言えば、既存のマネジメント論は木を見るために重要なものであり、インテグラル理論は森を見るために重要なものだとも言えます。木を見るだけでも、森を見るだけでもなく、木と森の双方を見ながら、森林を実際に歩くということ──つまり具体的な実践活動に取り組むことが何よりも欠かせません ””

””本書を読んだ後、私たちに問われるのは、 どれだけ醒めた目 ──冷たい目ではなく── で自己および社会を冷静に捉え、最大限の幅と深さを伴った形で、自分にできる試みをいかに実践していくか ということです。 発達とは、「醒めのプロセス」であり、私たちの発達が進んでいくと、自己および社会を透徹した眼差しで見つめることができるようになっていきます。こうした眼差しで自分自身、そして社会をとらえることができたら、私たちは健全な発達の歩みをさらに進めていくことができるでしょ ””

どれだけ醒めた目 ──冷たい目ではなく── で自己および社会を冷静に捉え、最大限の幅と深さを伴った形で、自分にできる試みをいかに実践していくか 。

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「情熱的な自信」と「冷静な謙虚さ」を同居させる~マッピング思考―人には見えていないことが見えてくる~

2022/11/17頃。

ちょっと、タイトルが良くないと思うのですが、かなり深淵なる気付きを与えてくれた書籍。

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””物事を多面的に見つめることで、恐怖や不安に対処する方法を見つけられるようになる。大胆にリスクを取り、逆境でも粘り強く努力を続けられるようになる。他人に影響を与えたり、説得したり、意欲を引き出したりすることがスムーズになる。””

類まれな成果を生み出す稀有な人たちに共通する志向性の1つは、盲信的な自信と、同時に、極めて冷静な謙虚さを同居させることにあるとは認識していたけれど、どのように、そのスタンスを保つか、育めるか、今一度、掘り下げ向き合わせてくれました。

とはいえ、言うは易く行うは難し。

””人は信じたいことをなんとしてでも信じたがる。人は信じたくないことに目をつぶる。自分だけは例外だと考えたがる。そして、それに気がつかない。””

認知科学のコーチングを学び、現状の外側にあるゴールを設定することで、コンフォートゾーンをズラし、「意図的に」スコトーマ(心理的盲点)を創って、見たいものだけを見る(見たくないものを見ない)ようにしてきた。本書を読み終わった今も、人間固有の認知の在り方を上手く活かすために、極めて適切な段取りではないかと思っていますが、他方で、同時に、盲目的、盲信的になるだけでなく、意図的に冷静になるという「両立」していきたいと思いました。

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目次

1 なぜ「マッピング思考」が重要なのか(人生を左右する「2種類の考え方」;99%の人が「自分の壁」を壊せない ほか)

2 「思考の地図」を検証し、行動する(知性の高い人がおちいる「認知バイアス」;物事を「メタに見る」5つのトレーニング ほか)

3 「ピンチ」で問われる資質(いざというとき「ポジティブ思考」に頼らない;それでも賭ける価値があるか ほか)

4 「頭のなか」をアップデートする(「正しく」間違える方法;「漏れ」「欠け」「穴」の見極め方 ほか)

5 「私の意見」を軽くしておく(「思考」はいかに「その人自身」になるのか;「こだわり」を捨て、「視点」をしなやかに保つ)

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””物理学者の故リチャード・ファインマンはこんな名言を残している──「自分に噓をつかないことは、なによりも重要だ。だが、自分ほどだましやすい人間はいない」。 判断力を低下させているものは「知識」ではなく~

””ベストセラーとなった『予想どおりに不合理』『ファスト& スロー──あなたの意思はどのように決まるか?』(ともに早川書房)などの書籍によって、人間の脳がいかに「自分をあざむく」ようにできているかが白日の 下 にさらされた。つまり、 人は自分の欠点やミスを認めるのがおそろしく下手 だということだ。  人間はすぐに希望的観測に逃げ込み、自分の偏見や信条を肯定するような証拠だけを見つけようとする──いわゆる「自己欺瞞」である。  こうした人間の心理的傾向は、基本的にそのとおり。たしかに、私たちはミスをしたときに都合よく言い訳をしようとする。  しかし一方で、ミスを認めるときがあるのも事実である。肝心なときに自分の誤った考えを正そうとしないことは多いが、まったく変えないわけでもない。  人間は複雑な生き物だ。真実から目を背けることも多いが、正面から向き合うこともある。  この両面のうち、あまり知られていない面、 つまり自分の内面に向き合って行動し、それがうまくいくときに何が起きているか、そしてその成功から何を学べるか ──それが、本書のテーマ~””

””健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。自分のなかにある認知バイアスや 誤謬(誤り)を認めなくては、なんの意味もないので ~””

””たとえば、自分の心をだますことは、心の健康を保つために人間に生得的に備わっているしくみだという。それどころか、現実をありのまま俯瞰的に見ることは、むしろ抑うつにつながるという「研究結果」を主張する記事や本もある。  これらの主張や研究結果は真実なのだろうか。心理学がポジティブ思考の効果をどのように思い違いしているかを、本書では考察し  ~””

””「私たちは、何かが事実であってほしいと願うときは〝なんとかしてこれを信じられないだろうか?〟と考え、それを受け入れる口実を探そうとする。   逆に、何かが事実であってほしくないと願っているときは〝どうしてもこれを信じなくてはならないのだろうか?〟と考え、それを拒絶する言い訳を探そうと~””

””これを戦場にたとえると、「動機のある推論」とは、 自分の考え(要塞)を脅かす敵を片っ端からつぶしていく兵士の考え方 である。  一方の「正確性による推論」は、 戦場の地形図をつくるように、全体を見てから戦いの駒を進める偵察者の考え方 だ。  戦場を俯瞰しながら、偵察者はこう考える。  「あの丘の向こうには何があるのだろう?」  「あれは川にかかる橋なのか、それとも私の目の錯覚なのか?」  「自軍にとって危険な場所、近道、チャンスはどこにある?」  「もっと詳しい情報が必要なエリアはどこか?」  「この情報の信頼性はどれ  ~””

””マッピング思考」では、仮定を疑い、既存の計画に「負荷テスト」をかけることをすすめていく。  提案するのが製品の新機能であれ軍事作戦であれ、「もっとも起こりやすい失敗は何か?」と自問することで、あらかじめその失敗の可能性に備えることが   ~””

””危機が目の前に迫ってきても「これでいいんだ」とネガティブな感情を否定する。自分にとって都合のいい物語のなかに閉じこもり、現実から目を背けようとすることもある。  「すべての出来事には意味がある」「苦労はいつか報われる」「夜が暗いほど星は輝く」といった励ましの言葉をつぶやきながら。  イソップ物語の「キツネとブドウ」では、手の届かない高い木の枝にぶらさがったおいしそうなブドウの房を見つけたキツネが、「どうせ酸っぱいんだろう」と捨てゼリフを吐いてその場を去る。  人間も欲しいものが手に入らないとき、この「酸っぱいブドウ」のような理屈をつけることがある。  初デートで盛り上がった相手からその後に連絡が来ないと、「どうせつまらない人だったんだ」と決めつける。  仕事で案件を受注できなかったら、「割に合わない仕事だったし、受けなくてよかった」と ~””

””だから、 常識に従うのは世の中をわたっていくうえで賢明な判断になることが少なくない のである。  だが、常識が間違っているかどうかを確認しようとせず、ただ受け入れようとするならば、それはただの「動機のある推論」に~””

””人は「動機のある推論」をやみくもに使っているのではなく、自分の人生や自分自身を肯定し、困難に挑み、まわりからいい印象を持たれ、相手をうまく説得し、集団に受け入れられる、といった、自分にとってきわめて重要なことを守るために使っているからだ。  だが、それが必ずしも〝有効〟であるとはかぎらない。むしろ、逆効果になることがある─ ””

””一方、偵察者の「マッピング思考」は「それは本当だろうか?」と考える。  「マッピング思考」は「問題を解決する」「チャンスに気づく」「取る価値のあるリスクを見極める」「自分に合った人生の道筋を探る」、さらには「純粋な好奇心に従ってこの世界をよりよく理解する」ことに適しているので~””

””人間は本質的に「目的が違う複数の考えを同時に持つ」という矛盾を抱えた存在だ。  そのため、これらの考えのうちどれを優先させ、どれを犠牲にするかという「トレードオフ」〔なにかを得るとなにかを失う、相反する関係のこと〕を常に計算していなければならない。  たとえば、私たちは「判断力」と「帰属意識」をトレードオフしている。  集団意識や同調圧力の強い伝統的なコミュニティに溶け込むためには、今いる環境を受け入れ、そのコミュニティの核となる信念や価値観に対する疑念を抱かないようにするのが得策だ。  だが逆に、常識を疑い、コミュニティの道徳や宗教、男女の役割に関する信念や価値観に対して疑問を抱けば、その場所を飛び出して、伝統に縛られない生き方を選んだほうがいいと思うようになるかもしれ ~””

””判断力」と「モチベーション」も同様である。  計画を思いついたとき、ポジティブな側面だけに目を向ければ(「これはすごいアイデアだぞ!」)、実行に向けた熱意や意欲を高められる。  逆に、計画のネガティブな側面に目を向ければ(「どんな欠点があるだろう?」「失敗する可能性はないか?」)、代替案を考えやすくなる。  多くの人は、こうしたトレードオフを常に行なっている。  ただし、たいていはそのことに無自覚である。  もし「ミスを認めるべきか? 否か?」と自問している自分にはっきりと気づいているとしたら、それは自分をだましているとは言えない。  人は「どの目的を優先させるかの選択」 を無意識に行なっているのだ。  あるときは自分の感情や対人関係を優先させ、物事を正確にとらえることを犠牲にすることも~””

””経済学者のブライアン・カプランが提唱する「合理的な非合理性」という仮説は、「人間の心は、このようなトレードオフをうまく行なう能力を進化させてきた」と主張している。  「合理的な非合理性」とは、「人間は、対人関係や感情的な目的を達成するために、みずからの判断力にあまりダメージを与えない程度に非合理な選択をしている」という考えを表している。  これはどういうことだろう。  たとえばある人が、 深刻な問題の存在を否定しようとするのは、そのことで心穏やかに過ごせたり、あれこれ考えたところでその問題を解決できる可能性は低いと判断したりしたとき で  ~””

””私たちが、やらなければならないことをつい先延ばしにしてしまう原因には、「現在バイアス」と呼ばれる認知バイアスが関わっている。  「現在バイアス」とは「目先のことに気を取られ、将来のことを気にしなくなる」という、人間の直感的な意思決定に見られる特徴のこと~””

””それは「自分が『動機のある推論』をしていないか、常に注意すること」だ。そしてこの推論をしていることに気づけたら、それを堂々と受け入れること。くり返しになるが、人間は生まれつき「動機のある推論」をしてしまう生き物である。その点に無自覚だとしても、自分がこの推論をしていないことの証明にはならない。それを減らしていくためには、逆説的だが「自分だっていつもしてしまっているな」ということを「自覚する」のが欠かせないステップになる。””

””それを減らしていくためには、逆説的だが「自分だっていつもしてしまっているな」ということを「自覚する」のが欠かせないステップ になる。  私自身、「守りの思考」が人間の脳に深く刻み込まれているという事実(さらには、頭がよく、善意の人でも、この思考パターンを克服するのはもちろん、自覚することすら困難だという事実)を知って、 他人の理不尽さを以前よりも許せるようになった。  そもそも自分がこうした偏った推論をしているケースは数え切れないほどあるので、人のことをとやかく言える立場ではな

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脳は、モデルを学び、モデルをつくり、モデルにもとづいて予測している。~脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論~

2022/8/11頃。

脳というデバイス(アルゴリズム)が、インプットとアウトプット間に、どんな処理をさせているか、ということを新たなパラダイムで示してくれている本書。

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””私の脳、厳密には私の新皮質は、何を見たり聞いたり感じたりしようとしているか、同時に複数の予測を立てているのだ。私が眼を動かすたびに、新皮質はこれから何を見るのかを予測する。私が何かを手に取るたびに、新皮質は指が何を感じるはずかを予測する。そして私が行動を起こすたびに、何が聞こえるはずかを予測することになる。コーヒーカップの取っ手の手ざわりのようなごく小さい刺激も、カレンダーに示されるはずの正しい月のような包括的な概念も、脳は予測する。こうした予測は、低次の感覚特性のためにも高次の概念のためにも、あらゆる感覚様相で起こる。このことから、新皮質のあらゆる部位、ひいてはあらゆる皮質コラムが、予測をしていることがわかった。予測は新皮質の普遍的な機能なの””

””現在、私は「記憶による予測の枠組み」という表現は使っていない。同じ考えを説明するのに、新皮質は世界のモデルを学び、そのモデルにもとづいて予測するのだと言っている。「モデル」という言葉のほうを好む理由は、新皮質が学習する情報の種類を、より正確に表現するからだ。たとえば、私の脳には私のホチキスのモデルがある。そのホチキスのモデルには、ホチキスがどう見えるか、どういう感触か、使われているときにどんな音を立てるかが組み込まれて””

””脳は予測モデルをつくる。これは、脳は入力が何かをたえず予測する、という意味だ。予測は脳がときおりやることではない。けっして止まることのない固有の属性であって、学習にきわめて重要な役割を果たす。脳の予測が正しいと証明されたとき、それはつまり、脳がもつ世界のモデルが正確だということだ。予測がまちがっていたら、人はその誤りに注意を向けて、モデルを更新””

””思考と経験はつねに、一連の同時に活性化するニューロンが生み出すものである。個々のニューロンはさまざまな思考や経験に参加できる。あなたの思考はどれもニューロンの活動だ。あなたが見るもの、聞くもの、感じるものもまたすべて、ニューロンの活動だ。私たちの精神状態とニューロンの活動は同一で ””

””私の重要なひらめきとは、樹状突起活動電位は予測である、ということだ。樹状突起活動電位が発生するのは、遠位樹状突起上の隣り合うシナプス集団が同時に入力を受け取ったときであり、つまり、そのニューロンがほかのニューロン内の活動パターンを認識しているということだ。活動パターンを検出すると、ニューロンは樹状突起活動電位を発生し、それが細胞体の電圧を上昇させ、細胞をいわゆる予測状態にする。そうするとニューロンは活動電位発生の準備が整う。「位置について、用意……」の合図を聞くランナーが、走り始める準備を整える様子に似ている。予測状態にあるニューロンが次に、活動電位を発生するのに十分な近位入力を受ければ、ニューロンが予測状態ではなかった場合よりも少し早く、細胞は活動電位を発生””

脳(新皮質)は、モデルを学び、モデルをつくり、モデルにもとづいて予測している。

””皮質コラムが何をするかについて、いまでは多くのことがわかっている。コラムそれぞれが感覚運動システムだとわかっている。コラムそれぞれが何百という物体のモデルを学習できることも、モデルの基礎が座標系であることもわかっている。コラムがそういうことをするのだとわかったとたん、新皮質全体は以前に考えられていたのとちがう働きをしていることがはっきりした。われわれはこの新しい見方を「知能の一〇〇〇の脳理論(Thousand Brains Theory of Intelligence)」と呼ぶ。一〇〇〇の脳理論が何かを説明する前に、それが何に取って代わっているかを知ることが役に立つ。””

””こうして世界全体が学習される。つまり、物体どうしの相対的位置の複雑な階層として学習される。新皮質が具体的にどうやってそれをしているかは、まだ明らかではない。われわれの考えでは、各コラム内で一定量の階層的学習が起こっているが、すべてがそうでないことは確実で””

””ここで再び強調しておきたい。機械がひとつの仕事を、というか複数の仕事でも、どれだけうまくこなすかでは、知能のあるなしを判断できない。そうではなく、機械がどうやって世界についての知識を学習して保存するかで、知能は決まる。私たちが知的なのは、ひとつのことを特別にうまくできるからではなく、ほぼどんなことでもやり方を学習できるからだ。人間の知能の極端な柔軟性には、本章で説明した特性が必要である。たえず学習し、動きによって学習し、たくさんのモデルを学習し、知識の保存と目標指向の行動のために汎用の座標系を使う。将来的には、ほぼあらゆる形の機械知能は、こうした特性を備えることになる、と私は信じている。ただし、これからの道のりは ””

「知能の一〇〇〇の脳理論(Thousand Brains Theory of Intelligence)」。

知能の謎を解くカギは、大脳新皮質の構成単位「皮質コラム」にある。僕たちが動くことによって、感覚入力が変わり、脳は世界の「モデル」を学習する。モデルの基礎をなすのは、物体の位置とその変化を記述する「座標系」だと仮定される。あらゆる皮質コラムに座標系をつくる細胞があり、あらゆる皮質コラムがモデルを持ている、と。

たとえば、いま、目の前にコーヒーカップがあるとする。それをつかもうと手を伸ばすとき、コーヒーカップのモデルを持つ何千ものコラムが、次にどんな入力があるかを予測し、手ざわり、重さ、温度、机にもどしたときに立てる音など、知覚とは、コラム間の「投票」によってたどり着いた合意であるという。

このメカニズムは、物体の認知にとどまらず、民主主義、人権、数学、すべての概念は座標系内に保存される。思考とは、座標系内を動きまわることである、と。

座標系はカップのような外の世界の物体を認知するためだけでなく、人が直接感知できない知識を整理するのにも使えるという。たとえば政治や数学といった、概念についての知識もすべて座標系に保存されるので、物理的空間内を歩きまわるのと同じように、座標系内の概念から概念へと動いていくことが思考だという。数学者は方程式という数学の概念を座標系にきちんと保存しているので、似たような方程式に遭遇したとき、どういう演算でその座標系内を動きまわればいいかがわかる。しかし数学に疎い人の場合、脳が座標系をつくっていないので、方程式を解こうとしても数学の空間で迷子になる。地図がないと森で迷子になるのと同じだ。このように脳の働きを動的にとらえ、どこも同じように見えるのに異なる機能を果たす新皮質の各領域が、じつは共通の基本アルゴリズムを実行している、と。

””概念知識の学習が難しい理由のひとつがこれだ。私があなたに民主主義に関係する歴史的出来事を一〇個示すとして、あなたはそれをどうやって並べるべきなのか? ある教師は、出来事を時系列で並べて示すかもしれない。時系列は一次元の座標系だ。出来事の時間的順序を把握して、どの出来事どうしが因果関係にあるかを時間的近さから評価するのに役立つ。別の教師は同じ歴史的出来事を、世界地図上に配置するかもしれない。地図の座標系は、同じ出来事に関する異なる考え方を示す。どの出来事どうしが因果関係にあるかを空間的近さ、あるいは海や砂漠や山との近さから評価できる。時系列と地理はどちらも、歴史的出来事を整理する有効な方法だが、歴史についての異なる考え方に””

””民主主義について学習するための最善の構造には、まったく新しい地図、公正と権利に対応する複数の概念上の次元をもつ地図が必要になる。「公正」と「権利」は脳が使う実際の次元であると言っているのではない。私が言いたいのは、研究分野の専門家になるには、関連するデータと事実を表わす優れた枠組みを発見する必要がある、ということだ。 正しい 座標系はないかもしれないし、ふたりの個人は事実をちがうやり方で並べるかもしれない。私たちはほとんど意識していないが、役に立つ座標系を発見することは、学習の最も難しい部分なの””

””先ほどの数学の例は完全に観念的な話だが、明らかに物理的とは言えないどんな問題でも、プロセスは同じだ。たとえば、政治家が新しい法律を制定したいとしよう。その法律の原案を書かなくてはならないが、制定という最終目標に到達するために必要なステップはいくつもある。途中、政治的障害もあるので、政治家は講じられるさまざまな対応策すべてについて考える。ベテラン政治家は、自分たちが記者会見を開いたり、住民投票を強要したり、政策文書を書いたり、別の法案を支持する取引をもちかけたりしたら、何が起こりそうかを知っている。腕の立つ政治家は、政治のための座標系を学習しているのだ。政治活動が座標系内の位置をどう変えるかも座標系の一部であり、政治家はそうした活動をすればどうなるかを想像する。目指すのは、新しい法律を制定させるという望みどおりの結果につながる、一連の活動を見つけること””

感覚的にではなく、科学的(脳科学的)に、人間が、脳が、新皮質が、このように世界(モデル)を学習しているというモデルを知ることが出来て、とてもワクワクしました。本論を踏まえ、第2部、第3部では、機械知能(AIないしAGI)の未来や、それを扱う人間や人間と機械の融合した先にある未来が、どうなっていくか、リスクや可能性についての論考も、とても興味深いものがありました。この10~20年の間に、どのような未来になっているかは誰も予測できずとも、想像を超える未来が訪れることだけは疑いの余地が無いでしょう。引き続き、最先端の潮流をキャッチアップしていきたいものです。

目次

第1部 脳についての新しい理解(古い脳と新しい脳;ヴァーノン・マウントキャッスルのすばらしい発想;頭のなかの世界モデル ほか)

第2部 機械の知能(なぜAIに「I」はないのか;機械に意識があるのはどういうときか;機械知能の未来 ほか)

第3部 人間の知能(誤った信念;人間の知能による人類存亡のリスク;脳と機械の融合 ほか)

””要するに、運動野には本質的に運動であるものはないし、感覚野には本質的に感覚であるものはない。したがって、どこであれ新皮質の局所的なモジュール回路について、その動作モードの解明を一般化することには大きな意味がある。  この二文でマウントキャッスルは、自分の小論が提案する主要な考えを要約している。それによると新皮質の部位はどれも同じ原理で働くのだという。私たちが知能と考えるもの──視覚から触覚、言語、高次の思考まで──すべて、根本的に同じなの~””

””マウントキャッスルは、領域が同じように見える理由はみな同じことをしているからだ、と提案した。ちがうのは本質的な機能ではなく、何とつながっているかである。皮質のある領域を眼とつなげれば、視覚が生まれる。同じ皮質領域を耳とつなげれば、聴覚が生まれる。領域をほかの領域とつなげれば、言語のような高次の思考が生まれる。そして、新皮質のあらゆる部位にある基本機能を見つけられれば、全体の仕組みを理解できる、とマウントキャッスルは指摘 ””    

       

””最後に、極端な柔軟性の根拠がある。人間は進化圧力のないさまざまなことができる。たとえば、私たちの脳はコンピューターをプログラムしたり、アイスクリームをつくったりするように進化してはいない──どちらも最近の発明だ。私たちがこういうことをできるという事実から、脳は汎用の学習手法に頼っていることがわかる。私にとって、この最後の論拠が最も説得力がある。事実上どんなことでも学習可能であるためには、脳が普遍の原理にもとづいて働く必要が ””

   

””なぜ、何かが理解できないと考えるのだろう? 人間による発見の長い歴史が、最初は理解できないように思えることも、最終的には論理的に説明できることを、繰り返し示してきた。意識は神経活動によって説明できないと科学者が強く主張するのであれば、私たちは疑ってかかるべきであり、理由を示す責任は彼らにあるはず””

””知能とは、世界のモデルを学習するシステムの能力だ。しかし、結果としてでき上がるモデルそのものには価値観も、感情も、目標もない。目標や価値観は、なんであれモデルを使っているシステムによって提供される。知能の働きは、一六世紀から二〇世紀にかけての探検家が、地球の正確な地図の作成に果たした役割に似ている。無慈悲な将軍は、敵軍を包囲して殺す最善の方法を計画するために、地図を使うかもしれない。貿易商は同じ地図を使って、平和裏に商品を取引する可能性がある。地図そのものがこうした利用法を決定するわけではないし、使われ方に価値をつけることもない。地図は地図であって、残忍でも平和的でもない。もちろん、地図は細部や内容がさまざまだ。したがって、戦争に適した地図もあれば、貿易に適したものもあるかもしれない。しかし、戦争をしたいとか、貿易をしたいという願望は、地図を使っている人から生まれる。  同じように、新皮質は世界のモデルを学習するが、モデルそのものには目標も価値観もない。私たちの行動を導く感情は、古い脳によって決まる。ある人の古い脳が攻撃的なら、攻撃行動をうまく実行するために新皮質のモデルを使う。別の人の古い脳が情け深ければ、情け深い目標をうまく達成するために新皮質内のモデルを使う。地図と同じように、ある人の世界モデルは特定の目標に適しているかもしれないが、新皮質は目標を生み出さない。””

””まず覚えておいてほしいのは、新皮質が自力で目標や動機や感情を生み出すことはない、ということだ。新皮質を説明するのに使った、世界の地図のたとえ話を思い出してほしい。地図は私たちに、現在地から目的地への行き方や、なんらかの動きをしたらどうなるか、さまざまな場所に何があるかを教えてくれる。しかし地図そのものに動機はない。地図はどこかに行きたいと望まないし、自発的に目標や野心を考え出すこともない。同じことが新皮質についても””

””機械に目標と動機を与えるには、目標と動機のための具体的なメカニズムを設計してから、それを機械の身体性に埋め込む必要がある。目標には、遺伝子で決まっている食欲のように不変のものもあれば、幸せな人生を送るという社会に左右される目標のように、学習される場合もある。もちろんどんな目標も、アシモフの第一および第二原則のような、安全対策をふまえて立てられるべきだ。要するに、知的機械にはなんらかの形の目標と動機が必要だが、目標と動機は知能がもたらす結果ではなく、しかも勝手には現われ  ””

””人口過剰の妙なところは、人口を減らすという考えは論争の的にはならないのに、どうやって現状からそれを達成するかについて話すことは、社会的にも政治的にも許されていないことだ。私たちは激しく非難された中国の一人っ子政策を思い出すのかもしれない。無意識に、人口を減らすことを大虐殺や優生学と結びつけるのかもしれない。理由はどうあれ、意図的に人口減少を目指すことについて検討されることはめったにない。それどころか現在の日本のように、国の人口が減っているとそれは経済危機と見なされる。日本の人口減少が世界のロールモデルとして語られることはほとんど””

””脳をアップロードするのは、最初はすばらしいアイデアに思える。永遠に生きたくない人がいるだろうか? しかし脳をコンピューターにアップロードして自分のコピーをつくることは、子どもをつくることと同じように、不死を実現しない。自分をコピーするのは分かれ道であって、道の延長ではない。分かれ道のあとには、知覚できる存在がひとつではなく二つになる。ひとたびこのことに気づくと、脳のアップロードの魅力は薄れ ””              

””何もしないという選択肢はない。知的生命体として、私たちは選択をしなくてはならず、その選択が未来をいずれかの方向に向かわせる。地球上の動物に関して、私たちは助けるかどうかを選ぶことができる。しかし私たちがここにいるかぎり、事態を「自然」に任せる選択肢はない。私たちは自然の一部であり、未来に影響をおよぼす選択をしなくてはなら     ””          

””私の目から見ると、私たちは難しい選択に直面している。古い脳か新しい脳、どちらに味方するかの選択だ。もっと具体的には、いまの私たちをつくり上げたプロセス、すなわち自然選択、生存競争、そして利己的な遺伝子の欲求によって、自分たちの未来が決定されるのを望むのか? それとも、世界を理解したいという欲求と知能によって、未来が決定されるのを望むのか? 主要な原動力が知識の創造と普及である未来か、主要な原動力が遺伝子の複製と伝播である未来か、選択するチャンスが  ””             

””私がいつも楽しむ空想がある。広大な宇宙と何千億もの銀河を想像するのだ。銀河それぞれに何千億という恒星がある。恒星それぞれの周囲に、果てしなく変化に富んだ惑星を思い描く。そうしたものすごく大きな物体が何兆も、広大な何もない宇宙の中で、ゆっくりと互いの周りを何十億年も回り合う。私が感心するのは、このことを知っているのは、というか、そもそも宇宙が存在することを知っているのは、宇宙の中で私たちの脳だけであること”” 

             

””宇宙と知能の特異性についての考察は、私が脳について研究したかった理由のひとつだ。しかし地球上にほかにも理由がたくさんある。たとえば、脳の仕組みを理解することは、医薬や精神衛生にも影響する。脳の謎を解くことは真の機械知能につながり、それは社会のあらゆる面でプラスになる。かつてコンピューターがそうだったのと同じだ。さらには子どもへのより良い教育法につながる。しかし最終的に話は、類を見ない私たちの知能にもどる。私たちは最も知的な種である。私たちが何ものであるかを理解したければ、どうやって脳が知能をつくり出すかを理解しなくてはならない。脳のリバースエンジニアリングを行ない知能を理解することが、私に言わせれば、人間が取り組む最も重要な科学的探求で ””        

     

””本書の第1部では、新皮質の仕組みとどうやって新皮質が世界モデルを学習するかについて、新しい理論を説明した。われわれはこれを知能の一〇〇〇の脳理論と呼ぶ。私の解説はわかりやすく、私の主張には説得力があったと信じたい。途中、そこで終わりにすべきかどうか熟慮した。一冊の本に書く内容として、新皮質を理解するための枠組みだけで十分に野心的であることはたしかだ。それでも、脳を理解することは当然ほかの重要な問題につながるので、私は進み続け ””  

           

””第2部では、現在のAIが知的でないと主張した。真の知能であるには、新皮質がやるのと同じように、機械が世界のモデルを学習しなくてはならない。そして、大勢の人が考えるように、機械知能が人類存亡のリスクではない理由を説明した。機械知能は、私たちがつくり出す最も役立つテクノロジーになる。ほかのあらゆるテクノロジーと同様、それを悪用する人はいるだろう。そのことのほうがAIそのものより心配だ。機械知能そのものは、人類存亡のリスクにはならない。そしてメリットのほうがデメリットよりはるかに大きいと””   

           

””最後に第3部では、知能と脳の理論をとおして人類の状況を見てきた。おわかりのように、私は未来について心配している。人間社会の幸福と人類の長期生存についても心配している。私の目標のひとつは、古い脳と誤った信念の組み合わせが、現実的な人類存亡のリスクであることの認識を高めることだ。考えられているAIの脅威より、よほど大きなリスクで””               

””私たちが直面する問題の多くは──戦争から気候変動まで──誤った信念、または古い脳の利己的な欲望、またはその両方によって生み出される。あらゆる人間が自分の脳内で起きていることを理解したら、対立は減り、私たちの未来予想はもっと明るくなると””

””知的生命体としての私たちについても、同じような疑問を投げかけることができる。  なぜ私たちは知的で、自己を認識しているのか?  人類はどういう経緯で知的になったのか?  知能と知識の運命はどうなる?  こうした疑問に答えがあることだけでなく、私たちは答えを見つけることにすばらしい進歩をとげつつあることを、あなたに納得してもらえたと信じたい。人類の未来についての懸念とは別に、知能と知識の未来についても懸念すべきであることも、納得してもらえたと信じたい。私たちの優れた知能は唯一無二であり、わかっているかぎり、広大な宇宙が存在することを知っているのは、宇宙で人間の脳だけである。人間の脳だけが、宇宙の大きさ、その年齢、そして動きの法則を知っている。だからこそ、私たちの知能と知識は保存に値するのだ。そしていつの日か、私たちはすべてを理解するかもしれないという希望が ””      

       

””ホーキンスの脳理論には大きな進歩があった。脳がどうやって予測するかを解明したのだ。第1部でその理論的枠組みが明らかにされる。カギは「動き」と「座標系」。予測するにはまず、世界はこういうものだというモデルを学習する必要がある。たとえばコーヒーカップという物体がどういうものかを知るのに、一点に触れたままでは何も学習できない。指を動かすことによって、指で感じるものがどう変わるかを知るのが学習だ。そうするとカップのふちや底や取っ手のような特徴の位置関係、つまり物体の構造を記憶することになり、その記憶をしまうために脳がつくり出すのが、地図に似た座標系である。しかもその座標系を、新皮質を構成する何千何万という「皮質コラム」という要素それぞれがつくり出し、それをもとに皮質コラムそれぞれが予測を行なう。言ってみれば、脳はひとつではなく何千もあるというのが「一〇〇〇の脳」の意味なの””       

””座標系はカップのような外の世界の物体を認知するためだけでなく、人が直接感知できない知識を整理するのにも使えるという主張だ。たとえば政治や数学といった、概念についての知識もすべて座標系に保存されるので、物理的空間内を歩きまわるのと同じように、座標系内の概念から概念へと動いていくことが思考だという。数学者は方程式という数学の概念を座標系にきちんと保存しているので、似たような方程式に遭遇したとき、どういう演算でその座標系内を動きまわればいいかがわかる。しかし数学に疎い人の場合、脳が座標系をつくっていないので、方程式を解こうとしても数学の空間で迷子になる。地図がないと森で迷子になるのと同じだ。このように脳の働きを動的にとらえ、どこも同じように見えるのに異なる機能を果たす新皮質の各領域が、じつは共通の基本アルゴリズムを実行しているとする理論は画期的で””

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「どうやるか」は直線的で、時間がかかる。 「誰か」は直線的でなく、瞬間的で、指数関数的だ。~WHO NOT HOW (フーノットハウ) 「どうやるか」ではなく「誰とやるか」~

2022年6~7月頃。

リーダー、経営者、起業家はもちろん、現状の延長線上にないゴールを設定している方、10X、ムーンショット的な成果を創造しようという野心的な方に、オススメの書籍。

「出来るか出来ないか?」、ではなく、「どのようにすれば出来るか?」と問いかけられるかどうか、が、凡庸ではない何かを成し遂げるスタンスであると理解していましたが、 「私たちがこれを達成するのを助けてくれるのは誰か?」 の方が、早く、大きく、思考を飛躍させることが出来る。確かに、自分の単なる「思い込み」でしかなかった。成し遂げたいことが、こんなにも沢山ある中で、自分がなすべきことは、ほとんど無限に生まれてくる。

とすれば、自分がすべきこと、自分だからこそなすべきことは何か?

””この本は、人生をかけて途方もないことをやり遂げたい人のための本だ。 人生で、より大きく、より良い成果を着実に出していきたければ、必要なのは「どうやるか」ではなくて「誰とやるか」だ。 短時間で効果的に成果を出したいのなら、適切な「誰か」を見つけて任せてしまおう。 目指すものが大きくなればなるほど、なかなか思いどおりにならない「どうやるか」をさっさと見限らなければならない。適任の「誰か」を見つけられれば、あなたが望む成果を出すことが、彼らにとってはびっくりするほど簡単だということを思い知るだろう。自分の凝り固まった思い込みに気付けるはずだ。 そして、確実に結果を出す有能な「誰か」のサポートにより、あなたは、より大きな目標を掲げることができ、かつ、いち早く全力で取り組めるようになるだろ~””

””起業家やリーダーが陥りがちな最大の過ちが、ここにある。 それは、欲しいのは最終結果だけなのに、「誰か」をマイクロマネジメントし、特定の方法で仕事をしろと強いることだ。どのような状態になれば成功なのかを明確にしたら、「方法」を知りたがったり、気にしたりしないようにしなければならない。あなたが気にすべきは、それが完遂されることだけだ。 彼らには、彼らの「方法」でやらせよう。 あなたにホイットニーのような「誰か」を探してくれる人がいない場合は、ビジョンを明らかにしたものを、可能な限り多くの場所で公表する必要がある。目標や「インパクト・フィルター」をソーシャルメディア上で共有するのもよいだろう。目標やビジョンを共有することによって、意外な場所で必要な助けが得られることは、結構多い(実はこれは、私がホイットニーを見つけた方法で~””

2022年は100名を超える人財が入社し、グループ400名を超える規模感になりました。ガバナンスに試行錯誤し、七転八倒な日々。バックヤードのオペレーション全般に対して、あまりにも未熟で、課題が山積み、ジョインしてくれた多くの人たちには、申し訳無さもありますが、ようやく、1歩ずつ、会社として当たり前のレベルが上がってきている実感があります。かくして、試行錯誤しながらも、この数年で1000人を超えるように体制にシフトしている臨場感が高まって来ています。その未来において、僕たちは、より一層に、人間の可能性を発見し、引き出し、十二分に発揮してもらうことに、とてつもなく拘り抜いていることを確信しています。

””人生で高いレベルのチームワークを活用するつもりであれば、物事のやり方をコントロールすることは諦めなければならない。 代わりに、有能な「誰か」を信頼し、彼らに「どうやるか」の部分を完全に任せる必要がある。そうして初めて、最高の仕事をしてもらうことができるのだ。アルベルト・アインシュタインの言葉にあるように、「真に素晴らしく感動的なものは、自由に働ける個人によって創られる」のだ。””

新たなゲシュタルトが構築されていく過程で、個人としても、法人としても、自己変容のレベルに達している(達する必要がある)ことに気付かされます。

””自己変容が自己主導と異なるのは、個人主義的であったり競争的であるというよりは、人との関係性に基づくものであり、協力的だという点だ。このレベルに達すると、変容するための協力的な人間関係を持つようになる。皆それぞれ、自分なりの物の見方や信念、課題がある。それでも集まるのは、自分たちなりの見解や、アイデンティティ、自己拡張感を得るためだ。生まれる結果は、各自が持ち寄ったパーツの単純な合計よりも、全体として新しく、大きくなる。 協力、努力、成長、つながりを通して、人は変わることができる。個人でできる範囲をはるかに超えて、発展することができる。」”

大事なことは、競争的ではなく、協力的な人間関係が生まれる仕組みを、意識的に設計する必要があるということ。組織の中で、一人ひとりの人財たちが、主体的に、自ら進んで協力的な人間関係を持てるようにする。オペレーションも、カルチャーも、理想的な組織の在り方をイメージして、アーキテクトしていく。

””「取引ベースの人間関係」とは反対側の考え方である「変容をもたらす人間関係」を結ぶ目的は、変化と成長だ。「変容をもたらす人間関係」の中では、すべての関係者は、「テイクする(もらう)」よりも「ギブする(与える)」ほうが多い。そこには、豊かな発想と、新しいことや変化を受け入れようとする態度がある。取引ベースの発想では、人やサービスに投じるお金を「コスト」と考えるが、この人間関係では、すべてを投資と考え、 10 倍、100倍、あるいはそれ以上のリターンや変化を得る可能性があると考える。 あなたの人生や事業で 10 倍や100倍の結果を生むなど、途方もないことと思えるかもしれない。しかし、これは、「どうやるかではなく、誰とやるか」を実践すれば、当たり前のことになる。 あなたには、今より大きな目標が必要だ。大きなビジョンも必要だ。ダンの言葉のとおり、「今を良くする唯一の方法は、未来を大きくすることだ。」~””

まずは、自身が、誰よりも、「誰か」に投資する意志を持ちたい。人財投資、人材開発、組織開発の意思なくして戦略はありえない。つまり、経営そのものであるな、と。経営とは組織の目標を定め、人材を始めとする資源をその目標達成へと導いていくことにあると。人によっては、あまりに当たり前のように受け止めてしまうかもしれませんが、僕自身にとっては、ただ「知っていたこと」が、「使えること(できること)」にシフトしているような感覚。しっかりと血肉化していくような実感があります。断片的に存在していた情報が、脳内のシナプスが結合し、モデルとしてパターン認識できるように変容しているような感覚であります。

””実は「誰か」への投資こそが、目標に全力を傾けようという覚悟を強めてくれるのだ。他の人を巻き込むと、その巻き込むという行動によって、本気になって集中しなくてはという欲求や動機がいっそう強くなる。より大きなチャンスに向けて立ち上がる状況に、そしてあなたの成功を助けようと尽力してくれる人たちがいる状況に、自らの身を置くことになる。””

””問題は、進んで「誰か」に投資する意思があるか、だ。あなたには、思い切って、自分の夢を実現するという覚悟を決める意思があるか? あるいは、中途半端な関与のしかたにとどまるのだろうか? 一歩踏み込んで、投資をしよう。ただし、自分一人では無理なことを実現するために、他の人のリソースも使えるようにしよう。彼らの知識や時間、人とのつながりを手に入れるのだ。一人ですべてをこなさなければならない状態から、自分を解放しよう。最も必要で効果的なことに力を集中しよう。現在の自分と将来の可能性を広げよう。””

この感覚を、自分が身につけ、実践していくだけではなく、組織に取り入れていきたいと強く共感しました。まずは、リーダー、マネージャー陣の自己変容を支援し、結果、コレクティブエフィカシーが高まっていく臨場感が極めて高まりました。組織やチームのWant(Goal)を明確にすることは勿論、そこに、パートナーたちのWant(Will)を出来る限り重ねて合わせて、貢献していく。お互いに。

””自律性は高いが目標が明確でなく、パフォーマンスに対するフィードバックをほとんど受けないチームは、自律性が低いチームよりも、実際のパフォーマンスのレベルが低い。ところが、チームの①自律性が高く、②目標が明確で、③結果に対するフィードバックを定期的に受けると、パフォーマンスは急上昇する。 簡単に言うと、明確さを欠いたまま自律性に任せると、最終的には悲惨な結果を招くということだ。チームのメンバーは確かに自由に動けるが、同じところをぐるぐる回るだけで、意味のある方向に進むことができない。””

僕たちは、間違いなく、新たなステージにシフトしようとしている真っ只中にいるだと思います。僕たちのような規模感の会社、たとえば100人の壁から、300人の壁を感じているような会社は、乗り越えるために必要な工程として、同じような課題と対峙して来たのではないかと。(なかなか、似たような経験をしているリーダー、経営者と出逢うことが少ないので、具体的なイシューとして話し合うことは少ない)

それにしても、良いタイミングで出会えた書籍でした。ある意味では、やるべきことは明確とも言えるので、当たり前のことをちゃんとやっていこうと、腹が括れました。感謝。

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〈目次〉

はじめに

Who Not Howとは?なぜそれが重要なのか?

PART1 時間の自由

1. 「Who」は富や自己展開をもたらす

2. 先延ばしの真実とやめる方法

3. 人生のあらゆる場面において

「Who」を見つけよう

PART2 お金の自由

4. 時が金をつくり出す

5. 具体的な結果にコミットする

6. 問題解決のための資金があれば、問題は無いも同然

PART3 人間関係の自由

7. 周囲の人間にとって良い「Who」になるには

8. どんなに魅力的でも、間違った「Who」は避ける

9. 効果的なコラボレーションを生み出すには

PART4 目標の自由

10. 競うのをやめて協力しよう

11. 「Who」はあなたの未来像や目標をより大きなものにする

おわりに

””ダン自身が最も大切にしている理念「どうやるかではなく、誰とやるか」 をまさに実践したというのが、その答えだ。   では、説明しよう。   大きくより良い未来を思い描こうとすると、必ず直面する問題がある。今の自分では達成する方法が分からないということだ。 未来を思い描くときに、多くの人が最初にすることは、「どうすれば(How)この目標を達成できるか?」 と自問することだろう。 実は、これが最悪の質問なのだ。 とはいえ、私たちは生まれてこのかたずっと、「どうやるか(How)」を自問するように教え込まれてきた。学校教育も、「どうやるか」の考え方に基づいてできている。幼いころから、何でも自分でやりなさいと教えられてきたことだろう。   では、 この質問を変えたら どうなるだろう? 時間が取れないからと先延ばしにしてイライラすることもなく、気が遠くなるほど時間のかかる孤独な道程を進むこともなく、目標を思いついたその瞬間に、やる気とパワーを湧き上がらせるにはどうしたらよいか? すべて自分でやらずに、結果を出すには? 複数の大きな目標を同時に達成するとしたら? ここで、「どうやるかではなく、誰とやるか」の出番~””

””より良い問いかけに変える   より大きく力強い未来を実現したいのなら、「どうやって達成するか?」 と自分に問いかけるのはいますぐやめよう。 この問いでは、平凡な結果や失望を招き、後悔しながら人生を過ごすことになる。   「私がこれを達成するのを助けてくれるのは誰か?」 がより良い問いかけだ。   叶えたいことすべてに、この問いかけをしたら、あなたの人生はどうなるだろう””

””望む人生を手に入れられるように助けてくれる人─「誰か(Who)」─を見つけることができるとしたら、あなたの目標はどう変わるだろうか? 結果を出している「誰か」が何人かそばにいたら、あなたの自信はどのように変化するだろうか? すべてを一人でやらなくてよくなったら、時間をどのように使うだろうか? 目標が一部だけでなく、すべて達成できるようになったら、収入はどう変わるだろうか? 優秀な「誰か」がいたら、あなたの目的意識はどのように広がるだろうか? 時間とお金を人間関係にもっと投資できたら、人間関係の質はどのように変わるだろう””

””「あなたは、永遠に生きる運命であるかのように生き、自分の弱さについて考えを至らせることもなく、どれほどの時間がすでに過ぎ去っているかに注意を払うこともない。まるであふれるほど豊富な供給源から引き出すかのように、時間を浪費している。そうしている間にも、誰かに、または何かに費やしたその日が、もしかするとあなたの最後の日になるかもしれないのに」 ─ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人””

””目標達成に関して言えば、つい「どうやるか?」と問いかけてしまう習慣に抵抗することが大切だ。動機付けや効力感は、すでに認識されている能力とのつながりよりも、人間関係とのつながりのほうがはるかに~””

””あなた自身と効力感を広げるのは、人間関係だ。 大きな成功を収める人は、人間関係を活用している。成長の段階が進むにつれ、「誰か」が成功に占める割合が増え、「どうやるか」が減っていく。 この事実に目をつぶることはできない。すべての行動において、「どうやるか」から「誰とやるか」に移行しなければならないのは、この理由からだ。人生の自由度を広げたいのであれば、あらゆる「どうやるか」に手を出していては、どうしたってその状態に近づくことはでき~””

””多くの人の「誰か」になればなるほど、さらに成功の道を進むことになる。 自己啓発分野の人気講演者ジグ・ジグラーはかつて、「他の人が欲しいものを手に入れる手助けをするだけで、自分の人生で欲しいものすべてを手に入れることができる」と語っている。人が欲しいものを手に入れる手助けをするということは、あなたがありとあらゆる「方法(How)」を実行するということではない。自分が持つリソースが何であれ、それを使って、彼らが欲しいものや必要なものを手に入れられるようにするということだ。 ダンはよく、自分の進歩を測る最も良い方法は、人生の中で起きるコラボレーションの量と質を記録することだと ~””

””今ここで、自分の人生を見直してみよう。 コラボレーションやチームワークが不足しているのはどの部分か? ビジョンが小さいせいで、すべてを自分でやってしまっているのはどの部分か? 自分が最終的にやりたいことの達成を助けてくれる「誰か」が必要なのはどの部分か? すでに構築できている人間関係で、あまり活用できていないのはどれか? 広い視野で考えてみよう。自分のビジネス以外のことも考えてみよう。 健康に関するビジョンに、「誰か」は存在しているか? 家族に関するビジョンについてはどうか? 情熱を傾けているものや趣味のつながりで、「誰か」になりうる人は ~””

””自分の目標に「誰か」に関与してもらうということは、すなわち人に投資をするということだ。私たちは、そのような投資は難しいと思ってしまうことが多い。自分が自分の目標に十分に納得できていないのに、なぜ他人をそんな目標に巻き込めるだろう~”” 

””問題は、進んで「誰か」に投資する意思があるか、だ。あなたには、思い切って、自分の夢を実現するという覚悟を決める意思があるか? あるいは、中途半端な関与のしかたにとどまるのだろうか? 一歩踏み込んで、投資をしよう。ただし、自分一人では無理なことを実現するために、他の人のリソースも使えるようにしよう。彼らの知識や時間、人とのつながりを手に入れるのだ。一人ですべてをこなさなければならない状態から、自分を解放しよう。最も必要で効果的なことに力を集中しよう。現在の自分と将来の可能性を広げよ ~””

””自信とは、目標を想像し、概念化し、達成できるという自分の能力を信じることだ。自信は、想像力の基盤となる。ある研究によると、自信とは、目標に向かっての最近の実績または最近の進歩から生じる副産物にほかならないということだ。自信を育てることで、あなたの想像力と未来も同時に育っていく。 先延ばしは想像力も抑制するため、より大きな目標を描けなくなり、アイデンティティや自己概念の限界も決まってしまう。アイデンティティは主に行動によって形作られるので、自分が大きな目標を達成できるとは思えなくなる。そしてこの思考パターンによって、未来も何も変わらないと思い込んで ~””

””実は、「適切な」「誰か」はいつも準備万端で待ち構えている。あなたがすべきことは、自分のビジョンを明確に表現することだけだ。 心理学で、「選択的注意」という用語がある。これは、人間の脳には理解を超える量のデータが五感を通して流れ込むが、意識が情報にフィルターをかけ、関係のあるもの、あるいは重要と思われるものだけに注意を向けるという考え方だ。新車を買ったらどこにいても同じ車種がやたら目に入ってきたり、うるさい部屋の雑音の中でも自分の名前が聞き取れるのは、こういうわけ~””

””「目は、脳が探しているものしか見ないし、耳もそれしか聞こうとしない」 自分の望むものをすでに明確にし、加えて成功の基準がすべてはっきりしているのであれば、それはもう、単に視覚化できるだけでなく、望むものを伝えられる状態だということだ。世界に向けて望むものを伝えていると、自分のビジョンが明確な形を持つようになる。そして、100台の車から1台を簡単に見分けることができるように、適切な「誰か」を見つけることができるようになる。それどころか、適切な「誰か」があなたを見つけてくれるように~””

””「『どうやるか』ではなく『誰か』を得ることに集中すれば、私の可能性は事実上無限になることに気付いたんだ。今、私の目標は、私自身の能力の限界に縛られない。世の中には数えきれないほどの『誰か』がいて、私が達成しようとしていることが何であろうと、彼らの能力に加勢してもらうことができる」   「クリエイティブな人々は、常に自分たちの過去および現在、未来を創り出して  ~””

””本当に自分の注意力をこの仕事に注ぎ込みたいか? より良い、もっとワクワクするやり方で、自分の時間を使うことができるのではないか? 自分に代わってこれをしてくれる「誰か」を─それをすることを望み、そのチャンスを与えると、あなたを自分にとっての「誰か」と見なしてくれる人を─見つけられるのではないか? 「誰がいるだろう?」と自問するだけで、たちまち、自分の能力と自由度のレベルを上げることができる。   「どうやるか」と問うと、あなたの時間と注意力が求められる。 「誰とやるか」と問えば、求められるのは他の人の時間と注意力~”” 

””様々な仕事から自分を解放すると、自分の時間が解放される。それだけではない。おそらくもっと大切なのは、自分の心が解放されて、今までとは異なる場所に向かえることだ。解放された心で、自分のビジョンを創造的に広げることに取り組める。これまで考えたことのないような、新しいチャンスを追求することができる。教育やメンターシップ、コラボレーションに投資することも~””

””今のあなたの心は、今あなたが考えていることにとらわれて離れられなくなっている。 自分の時間が解放されなければ、心は籠の中に閉じ込められたままだ。時間を解放すれば、心も解放される。心が解放されれば、思考のレベルが高くなる。自分を強く信じることができるようになる。新しい、より優れた思考を手に入れることができる。自己改革やさらなる学習に、時間とエネルギーを集中させ、スキルや技能を磨くこともできる。ビジョンや提供するサービスの改革や拡大に取り組む時間が  ~”” 

””多くの意思決定を重ねていると、フロー状態から遠ざかるだけでなく、意思の力を使い果たし、最終的にはビジョンを枯らしてしまうことになる。重要なことでも些細なことでも、意思決定が必要な面倒なことを「誰か」に見てもらえれば、必要な「余白」が手に入る。余白があれば、ビジョンが広がる。ビジョンが広がれば、あなたの生活の質や収入が飛躍的に向上 ~””

””問題は、 あなたには、「誰か」に加わってもらおうという気持ちがあるか? だ。 あなたは、自分の時間と心を解放したいと思っているだろうか?   人生と仕事において、今、最も「誰か」を必要としているのはどの領域だろうか? ここで、新しい問いをマスターしておこう。 「私がこれを達成するのを助けてくれるのは誰か?」 だ。   「誰か」に助けてもらうという決断をして、決断疲れから自分を解放しよ    ~””

””ニコールにとって重要なのは、具体的な成果にまずは自分がコミットし、そこにチームも巻き込むことだ。そのためには、彼らを苦しい状況から逃げさせてはいけない。課題に直面する機会を取り上げてはいけない。一方で、彼らは障害に正面から向き合い、打ち破らなければならない。そうしなければ、自分のビジョンを実現するために必要な、そして彼らの目標を達成するために必要な、自信とコミットメントを育てることができないからだ。 ニコールが実践しているのは、心理学者が変革型リーダーシップ(Transformational Leadership)と呼ぶもの    ~””

””あなたは、人生で、とてつもなく素晴らしいことを成し遂げることができる。これからあなたの仕事相手や仲間と共にする仕事こそが、あなたの最高の仕事になる。あなたのビジョンを広げ、チームメンバーにそのビジョンの実現を助けてもらうことによって、あなたは、あなたにしかできない数少ない「方法」に集中できるようになる。   あなたは、なりたい自分になれる。 自分を変容させ、人としての幅を大きく広げることができる。 仕事仲間との間に育った深い結びつき、そして顧客との間に育った深い結びつきに、驚くこともあるだろう。他の人たちからあなたに対するコミットメントや、あなたの貢献に対して彼らが抱く愛情と心からの感謝を受けて、人のありがたさを感じることもあるだろう。 人生とは、人であり、人間関係であると気付くようになるだろう。あなたが生み出した素晴らしいコラボレーションとチームワークによって、時には予期しないような方法で、人として何度も変容し、拡大する、自己変容を経験するようになるだろう。 すべては、目標を設定することから始まる。目標とは、自分自身の将来をより大きく設定し直した新しい未来のことだ。そして、その次のステップは、「私がこれをするのを助けてくれるのは誰か?」 と問うことだ。   このプロセスをマスターすれば、あなたは、想像もできないような喜びと意義があふれる道を進む人生を送ることになるだろ~””

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いかに利活用するか~コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略~

2022/5/30頃。

全体を通じて、特に真新しい情報が得られたというわけではなく、既知の情報が多かったのですが、「知っていること」と、「できること」には、本当に大きな隔たりがあるなと、痛感させてもらった書籍となりました。

AI、センサー、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、IoT、ブロックチェーンなどを組み合わせて、カスタマージャーニーの全工程で価値を生み出し、伝え、提供し、高めていけると書かれているのですが、さて、と。

最新のテクノロジーを組み合わせることで、色々なことにトライ出来そうではあるのですが、いやはや、手段としてテクノロジーを利活用するのではなく、顧客体験を高めていく目的のために、ROI高く、適正な投資として、どういうテクノロジーを、どのように使っていけるだろうか、と。

「データドリブン・マーケティング」「予測マーケティング」「コンテクスチュアル・マーケティング」「拡張マーケティング」「アジャイル・マーケティング」といった、マーケティング5.0を構成する5つの方法論も提示してくれているので、具体的にこれらをどう活用していくかにも触れられてはいるものの、実際に、今の僕たちが、すぐに利活用するイメージを鮮明に描くことが難しかったです。

しかしながら、その「気付き」を得られたタイミング(2022年5月頃)が良かった気がしていまして、マーケティングはもちろんのこと、経営全般に、どのようにテクノロジーを利活用していけるか、真剣に向き合い直す良い契機となりました。

目次
第1部 序論
第2部 デジタル世界でマーケターが直面する課題
第1章 マーケティング5.0へようこそ
   人間のためのテクノロジー
第2章 世代間ギャップ
   ベビーブーム世代とX、Y、Z及びアルファの各世代に対するマーケティング
第3章 富の二極化
   社会のために包摂性とサステナビリティを生み出す
第4章 デジタル・ディバイド
   テクノロジーをパーソナルに、ソーシャルに、そしてエクスペリエンシャルにする
第3部 テクノロジー支援マーケティングのための新戦略
第5章 デジタル化への準備度が高い組織
   すべての組織に合う戦略はない
第6章 ネクスト・テクノロジー
   人間のようなテクノロジーが離陸する時だ
第7章 新しい顧客体験
   マシンはクルーだが人間は温かい
第4部 マーケティング・テクノロジー活用の新戦術
第8章 データドリブン・マーケティング
   よりよいターゲティングのためにデータエコシステムを構築する
第9章 予測マーケティング
   先を見越した行動で市場需要を予測する
第10章 コンテクスチュアル・マーケティング
   パーソナライズされた感覚体験をつくる
第11章 拡張マーケティング
   テクノロジーを活用したヒューマン・インタラクションを提供する
第12章 アジャイル・マーケティング
   迅速かつ大規模に業務を実行する

””マーケティング5・0は、世代間ギャップ、富の二極化、デジタル・ディバイドという三つの大きな課題を背景に登場する。態度や選好や行動が大きく異なる五つの世代が地球上でともに暮らしているのは、今が史上初めてだ。ベビーブーム世代とX世代は、まだ企業でリーダー的地位のほとんどを占めており、他の世代より高い購買力を持っている。しかし今では、デジタルに精通しているY世代とZ世代が、最大の労働力人口はもちろん最大の消費市場も構成している。ほとんどの決定を下す年配の企業役員と、もっと若い管理職や顧客たちとの断絶は、重大な障害になるだろ~””

””マーケティング5・0とは、人間を模倣した技術を使って、カスタマー・ジャーニーの全行程で価値を生み出し、伝え、提供し、高めることだ。マーケティング5・0の重要なテーマの一つが、マーケターの能力を模倣することをめざす一群のテクノロジー、いわゆるネクスト・テクノロジーである。こうしたネクスト・テクノロジーには、AI、NLP、センサー、ロボティクス、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、IoT、ブロックチェーンなどがある。””

””われわれの基本理念は、「技術は戦略に従うべきだ」である。したがって、マーケティング5・0のコンセプトはツールを問わない。企業は市場で入手できるいかなる支援ハードウェアや支援ソフトウェアを使ってでも、マーケティング5・0を実行できる。ただし、それらの企業には、さまざまなマーケティング上の使用例に適切な技術を使う戦略をどのように設計するべきかを理解しているマーケターが存在していなければなら~””

””ネクスト・テクノロジーは、マーケターがカスタマー・ジャーニーの全行程にわたって価値を生み出し、伝え、提供し、高める手助けをするために使われる。摩擦のない魅力的な新しい顧客体験(CX)を生み出すことが目的である【図1―1】。それを実現するにあたり、企業は人間の知能とコンピューターの知能とのバランスのとれた共生を活用しなければなら~””

””必ず成功するマーケティング投資などありはしない。だが、あらゆるマーケティング活動のリターンを計算するという考えは、マーケティングの説明責任を引き上げてくれる。AI搭載の分析ツールのおかげで、今では新製品の発売や新キャンペーンの発表前にマーケターが結果を予測することが可能になっている。予測モデルは、過去のマーケティング活動からパターンを見つけ出して何が成功するかを理解し、その学習に基づいて未来のキャンペーンの最適設計を推奨してくれる。これを利用することで、マーケターはブランドを失敗の危険にさらさずに先手を~””

””マーケティング5・0を応用する企業は、最初からデータドリブンでなければならない。データエコシステムを構築することは、マーケティング5・0を実行するための必要条件だ。これによってマーケターは、予測マーケティングを行って、あらゆるマーケティング投資の予想利益を推定することができる。また、売場で一人ひとりの顧客にパーソナライズされたコンテクスチュアル・マーケティングを提供することもできる。最後に、現場のマーケターは拡張マーケティングの利用によって、顧客とのシームレスなインターフェースを設計することができる。これらすべての実行要素は、市場の変化にリアルタイムで対応するために企業としての俊敏性が求め~””

””そのうえ、若い世代の従業員を引き付け、維持するためには、企業の価値観がこれまで以上に重要である。選ばれる雇用者になるためには、企業は従業員に対しても顧客に対して使うものと同じストーリーテリング・ナラティブ〈対話をしながらストーリーを共創していく手法〉 を使う必要がある。企業の価値観は、手がけている事業とうまく整合しているとき、もっとも本物だと感じ~””

””マーケターが今日直面しているおもな課題の一つは、雇用から思想、ライフスタイル、市場に至るまで、人間の生活のあらゆる面で極端な二極化が起こっていることだ。その根本原因は、社会経済階級の最上層と最下層の格差の拡大である。中間の市場は、下降するか上昇するかのどちらかになって、消滅し始めて~””

””あらゆるものが二極化しているとき、ブランドや企業のポジショニングを決める意味のある方法は〈包摂性とサステナビリティという〉 二つしかない。二極化は企業が活動できる市場を限定する。だが、もっとも重要な点として、二極化は、とくに経済が鈍化し、プレーヤーが急増している中で、成長の機会を限定してしまう。  持続可能な開発計画(SDGs)と整合する包摂的でサステナブルなマーケティングは、よりよい富の分配を通じてこの問題を解決する。そして、それによって社会は元の形に戻るだろう。企業は人間中心というコンセプトを自社のビジネスモデルに組み込んで、目的を持って社会に投資し、同時にテクノロジーを活用しなければならない。テクノロジーは進歩を加速し、すべての人に機会を開くことによって、大きな役割を果たすからで~””

””マーケティング5・0では、企業はテクノロジーの正しい利用は人間の幸福を高める可能性があることを、顧客に対して実証する必要がある。テクノロジーは顧客の問題を解決するためのパーソナライズされたアプローチを可能にし、さらにオプションによるカスタムも可能にする。デジタル化は社会的関係を消し去るわけではないということを、企業は顧客に確信させなければならない。社会的関係を破壊するどころか、デジタル化は顧客と顧客コミュニティの間により親密な繫がりを築くプラットフォームを提供する。人間対マシンという二分法には終止符を打つ必要がある。優れた顧客体験を提供するためには、ハイテク・インタラクションとハイタッチ・インタラクションの統合が必要不可欠なのだ””

””デジタル・インタラクションを促進するためには、企業はデジタル化のメリットがはっきり見えるようにしなければならない。デジタルへの移行を促す正のインセンティブや負のインセンティブを提供するのも一案だろう。正のインセンティブは、デジタル・プラットフォーム上でのキャッシュバック、割引、消費者プロモーションなど、即時の満足という形をとるかもしれない。負のインセンティブは、インタラクション中にオフライン・メソッドを選んだら追加料金を課すという形をとるかもしれないし、極端な場合はオフライン・モードを利用できないようにすることも~””

””企業はカスタマー・ジャーニー中の顧客のフラストレーション・ポイントを特定し、デジタル化でそれに対処する必要がある。物理的インタラクションには、とりわけその効率の悪さに関して、特有の弱点がある。フラストレーションの大きな原因になるのが、オフライン・タッチポイントにおける長い待ち時間や行列だ。複雑なプロセスも、往々にして混乱や顧客の時間の浪費に繫がる。迅速で簡単な解決策を望む顧客にとって、デジタルはプロセスの一部を引き受けることが~””

””パンデミック後の時代には、デジタル顧客体験を構築できる企業が成功するだろう。デジタル化は基本的な顧客エンゲージメントのレベルで終わってはならず、マーケティングから販売、流通、製品の配送、修理まで、顧客接点全体のあらゆるものを含んでいなければならない。そして、それらすべてのデジタル・タッチポイントが、一貫性のある顧客体験に統合されるべきで~””

””デジタル変革の成功を決定づけるもっとも重要な要因は、おそらく組織だろう。従業員は、遠隔で働いたりバーチャル空間で他者と協働したりするためのデジタルツールを装備されなければならない。変革を進めている途中の従来型企業では、これらの新しいデジタルツールを既存のITシステムと統合する必要がある。  組織の学習プロセスを加速するために、企業はデータ科学者、UXデザイナー、ITアーキテクトなどの新しいデジタル人材をリクルートしなければならない。また、文化にも力を入れるとよいだろう。文化はデジタル変革を阻むおもな障害であることが多いからだ。企業が構築する必要があるのは、迅速なテストに加えて事業マネジャーとデジタル人材との協働も継続的に行われるアジャイルな文化で~””

””データと情報と知識はマシンの領域として確立されている。コンピューターは、無秩序なデータを高速で、しかも無限に近い能力で処理して、意味のある情報にするのが得意である。これによって生まれる新しい情報は、関連情報や他の既知の文脈の貯蔵庫に追加されて、いわゆる知識を発展させる。コンピューターは自身のストレージ〈記憶装置〉 の中にある大量の知識を整理して管理し、必要に応じて取り出すことができる。処理の量的性格と量の多さゆえに、マシンはこの種の仕事にうってつけだ。  他方、三つのいくぶん曖昧で直観的な要素(ノイズ、知見、知恵)は、人間の領域にある。ノイズはデータの 歪みや逸脱で、データを構造化されたクラスターに分類する際に大きな妨げになる恐れがある。この好例は外れ値だ。コンピューターは、外れ値を他のデータセットからの大きな逸脱と素早く認識できる。だが、外れ値は有効なばらつきである場合もあれば、エラーの場合もある。そして、それを判定する唯一の方法は、現実世界の理解に基づく主観的判断~””

””人間とマシンは、 収斂 的思考と拡散的思考で協働することもできる。コンピューターは収斂的思考の能力を持つことで知られている。文字や数字だけでなく画像やオーディオビジュアルも含む、多様な非構造化データセットの中のパターンやクラスターを識別できる。それに対し、人間は拡散的思考に長けており、新しいアイデアを生み出したり、多くの潜在的解決策を探求したりすることが~””

””人間とマシンは顧客インターフェースでも協力することができる。通常、チャネルの選定は顧客の階層によって決まる。人間とのインタラクションは対応コストが高いため、一般に有望な見込み客と重要な顧客に適用される。一方、マシンは見込み客を絞り込むためや、高コストの対応をする必要がない顧客と接するために使われる。このように対応のセグメント分けをすることで、企業はコストをコントロールしながら、同時にリスクを管理するのである。  実際、インタラクションのためにAIを利用するのはリスクが高い。マイクロソフトの今では廃止されているチャットボット、テイ(Tay)は、これをよく示している。テイは挑発的なユーザーの攻撃的なツイートから学習して、ツイッターで同様に攻撃的なメッセージを投稿するようになった。そして、お披露目からわずか十六時間後に引退させられた。グーグルも似通った問題を経験している。同社の画像認識アルゴリズムが、ユーザーの黒人の友人たちにゴリラというラベルを付けたのだ。同社はラベルから「ゴリラ」という言葉を完全に除去することでアルゴリズムを修正した。AIの無神経さは、対処すべき最大の脅威の一つで~””

””人間とマシンの共生が最善の結果をもたらす分野の一つが、顧客インターフェースである。基本的かつ単純な質問に対しては、デジタル・インターフェースで十分だ。だが、より相談的要素の強いインタラクションについては、コンピューターはまだ人的インターフェースには及ばない。したがって、階層構造の中での分業は理にかなっている。  販売プロセスでは、ファネルのトップと中間はマシンに任せることができ、一方、ファネルのボトムは販売部隊によって実行される。顧客サービスでは、大部分の顧客にはデジタルのセルフサービス・インターフェースで対応し、顧客サービススタッフはもっとも価値のある顧客にのみ対応する。企業は特化型AIを活用して、デジタル・インタラクションの質を確保するべきで~””

””従来のような事前に計画した新製品投入戦略は、もはや有効ではなくなっている。変動性、不確実性、複雑性、曖昧性(VUCA)に満ちた時代には、企業が長期計画を立ててそれを実行することは、途中で無数の調整を行わないかぎり、不可能になっている。実際、ほとんどの長期計画は、節目の目標に到達したときにはすでに時代遅れになっている。  企業は顧客の変化の速さに対応すると同時に、競争相手より速く行動する必要がある。俊敏性がもっとも重要なのだ。かつては事業の安定性が、企業の拡大と成長における唯一の重要な成功要因だった。事業の安定性は依然として重要ではあるが、新しい成長エンジンの推進力になるアジャイルなチームによってそれを補完することも必要になっている。アジャイル・マーケティングは、企業がマーケティング5・0を実行するためのパズルの最後のピー~””

目次
第1部 序論
第2部 デジタル世界でマーケターが直面する課題
第1章 マーケティング5.0へようこそ
   人間のためのテクノロジー
第2章 世代間ギャップ
   ベビーブーム世代とX、Y、Z及びアルファの各世代に対するマーケティング
第3章 富の二極化
   社会のために包摂性とサステナビリティを生み出す
第4章 デジタル・ディバイド
   テクノロジーをパーソナルに、ソーシャルに、そしてエクスペリエンシャルにする
第3部 テクノロジー支援マーケティングのための新戦略
第5章 デジタル化への準備度が高い組織
   すべての組織に合う戦略はない
第6章 ネクスト・テクノロジー
   人間のようなテクノロジーが離陸する時だ
第7章 新しい顧客体験
   マシンはクルーだが人間は温かい
第4部 マーケティング・テクノロジー活用の新戦術
第8章 データドリブン・マーケティング
   よりよいターゲティングのためにデータエコシステムを構築する
第9章 予測マーケティング
   先を見越した行動で市場需要を予測する
第10章 コンテクスチュアル・マーケティング
   パーソナライズされた感覚体験をつくる
第11章 拡張マーケティング
   テクノロジーを活用したヒューマン・インタラクションを提供する
第12章 アジャイル・マーケティング
   迅速かつ大規模に業務を実行する