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繰り返してはならない5つの伝言ゲーム

 

 

 

多かれ少なかれ、
社会人として、ビジネスに関係する、ほとんどの人達は、
自分が担当する会社や事業の業績を報告する義務を持っている
または、あるサイトの、とある特集の担当者で、結果を報告する必要があったりする

報告をする側の経験も、
報告を受ける側の経験もした上で、
改めて、このレポートは無いな、と思うことが多々あるので、
まとめておきたい。

1,数字が羅列されているだけ
2,何が言いたいか分からない
3,実は自分の意見ではない
4,次のアクションが見えない
5,相手の立場を考えていない

はっきり言って、
究極的には愛が無いのではないか、と思う。
違う言い方をすれば、思いやりが無い。
自分を客観的に見ることが出来ないから、いつまでも、こんなアホなレポートしか出来ない。

1,数字が羅列されているだけ

レポートを見てくれる人が、
事業やサービスの隅々まで把握している人という前提で、
報告するのは、大きな間違いだ。

 

2,何が言いたいか分からない

何のためのレポートなのか、全く分かっていない。
レポートを受け取る意味、この時間を創っている意味を考えなければならない。

 

3,実は自分の意見ではない

このデータから、どうして、そのような意見を考えたのか質問してみると、答えに詰まる輩がいる。
掘り下げてみると、自分がまとめたものではないという。
とんでもない言い訳である。
自分が考えたわけでなくても、自分が考えたかのように、振る舞わなくてはならない。
それがレポートする者の責務である。

 

4,次のアクションが見えない

データから見て取れるものを、しっかり、分かりやすくサマライズしている。
ところが、そこで満足してしまっている惜しいレポートが、世の中に、いかに多いことか。
この数字から、結果、次にどんな行動をなすべきなのか。
アクション無きところに変化は無い。
必ず、次のステップを構想してみたいものだ。

5,相手の立場を考えていない

非常に分かりやすく、まとめられていて、
本当に、納得感のある分析と結果、加えて、次の行動まで示唆したレポートがある。
しかし、あと一歩、もう一歩、そのレポートを見ている人にとって、何が必要なのか、
自分の視点からだけではなく、相手の視点で考えてみただろうか?
レポートを受け取る側の立場になって、そのレポートを仕上げてみるべし。

本当に、仕事が出来るなあ、と感心する場面は、
実は、頭の良し悪しよりも、愛があるかどうか、思いやりがあるかどうか、ということの方が重要だったりする。

改めて、心がけていこう。

何者でもない自分を何者かにする方法

 

 

 

 

ある時点で、何者でもない人が偉そうなことを書いても全く相手にされない状態がある。

 

それでも、その時点で何者でもない人が、何者かになるためには、何者かであるかのように振る舞い続ける以外にない。
何者かになった幾人の人達は、同じようなことを語ってくれるわけだが、
結局、その内容は、基本的には、何者かになった後に目にすることがほとんどで、
何者かになった人の語っていたものとして受け取られていることになる。

 

世の中のほとんどの人達は、何者かになる前に、
何者でもない自分が、何者かのように振る舞い続けることは出来ない。
100人のうち99人以上は、何者でもない自分を、
信じ続けることが出来ず、何者でもない自分のままの自分を受け入れていく。
すでに著名になったような人達のブログ、コラム、メルマガ、インタビュー、書籍など、
様々なチャネルで、様々な情報に触れるものの、
実際には、そちら側に回る人と、こちら側のままでいる人との差は、
ほとんどの場合、「実行」しているか否かではないかと思う。
つまり、「実行」を「続ける」ことが出来たかどうかということになる。
33歳の僕は、今更ながら、「続ける」ことに固執している。
誰にでも出来る当たり前のことを、誰にもできないくらいに徹底してやろうと決めている。
所詮は、言葉の遊びであって、誰と比較するかによって、
「当たり前」という基準さえ、「当たり前」ではなくなってくる。
ただ、夢ばかり大きく、理想を語り続けてきた今までの人生は、
決して、順風満帆なものではなく、むしろ、20代前半に、思い描いていたようなステージに、
全く辿りつけていない、自分の有り様を疑うしか無いような状況にあると思っている。
しかしながら、それが功を奏したと言うことも出来る。
自分が考えていること、自分が信じていることなんて、
どれだけ間違っていることなのか、と前向きに自分を疑うことが出来る。
つまり、素直に、謙虚に、周囲の様々なことから学ぼうと思うことが出来ている。
もちろん、あらゆるものに迎合しようという意味ではない、
自分らしさ、自分の信念を大切にしながらも、
自分が思い描く未来を実現するために、
昨日より今日、今日より明日のスタンスで、向き合っていこうという話である。
33歳の自分が、5年後、10年後に、
何者かであるために、僕は、繰り返し、繰り返し、
理想に向かって、挑戦し続けようと思っている。
失敗することを恐れず、
何事にも立ち向かい、学び、次に繋げようと思っている。
何者でもない自分を何者かにするためには、
なりたい自分を描き続け、決してあきらめず、「実行」を「続ける」
そして、「学び」、次に繋げていくべきだろう。
人生を楽しもう。

幸はきっと願うでも叶えるでも無く気がつけばそこにあるもの?

 

 

 

 

『そもそも、幸せって何なんだい?』

一つ屋根の下のあんちゃんが語りそうなセリフ。

幸せの形は、人それぞれですが、

明らかに、あの人は幸せそうだよね!っていう人、いませんか?
私達は、ほとんど例外なく、誰もが幸せになりたい、幸せでありたいと願っているはずですが、

どれだけの人が、幸せになるために、準備をしているのでしょうか。

不思議なことに、確かに、「幸せ」とは、とても曖昧なもので、

お金を稼ぐために「貯金」するとか、

フルマラソンを感想するために、「練習」する、みたいな、

目標と準備の関係性を明確に創り出せていないことが、ほとんどだと思います。

 

しかしながら、現代において、「幸せ」になるためには、どうすれば良いか?

ということを、真剣に学問として、科学している人達がいます。

ペンシルバニア大学や、ハーバード大学では、非常に著名な授業となっている、

「ポジティブ心理学」が、その代表例で、様々な研究結果によれば、幸せとはスキルが如く扱われています。

私達は、「幸せ」になるために、「幸せ」をより感じやすくなるために、「スキル」を磨くことが出来るというのです。

 

幸せはスキル!幸せだから成功できる

2014年2月17日

「がんばることで成功でき、成功することで幸福になれる」は間違い

多くの人は、思い通りの人生になった時、幸せが得られると思っています。でも、本当のところ、幸せは、人生が思い通りにならない困難な状況に直面した時に、大騒ぎすることなく人生を導くことのできるスキルです。待っていても、採りにいっても、幸せは、外にはありません。幸せは、私たちの中にあるのですから。

 

例えば、上記のように、『「幸せ」になるために、成功したい』、という考え方が、一般的だとは思いますが、

実際には、一般的成功を収めた方々の「幸福度」は、思いの外、高いわけではない、という研究結果が出ています。

改めて、「幸せ」というものに向き合い、

どうすれば「幸せ」を感じやすくなるのか、これからも研究していきたいと思います。

 

 

重要なのは理想を実現するために準備する意欲。

 

 

 

 

目標の達成は、大抵の場合、あらゆる行動の集積であることが多い。

理想的な状態を描いた後は、その状態に到達するために、何をすべきか考える。

徹底的に逆算し、考え抜いた後に、待っているのは、小さなタスク達だ。

そうだ。

それは、まさに、準備と同義だ。

徹底的に、準備を行った者だけが、

その他大勢の者達が到達することの出来ない高い頂に立つ。

執念に近い強烈な意志こそが、

その完膚なきまでの準備を、何重にもやり遂げる。

この真理を理解し、どんなに大きな試練に見舞われようと、

あきらめずに、ひたすらに、やり続けられるかどうかが、大きな大きな分かれ道を創る。

 

 

『「勝つ意欲」はたいして重要ではない。
そんなものは誰もが持ち合わせている。
重要なのは、勝つために準備する意欲である。』
By ボビー・ナイト(バスケットボールコーチ)

 

 

率直、率直、率直!

 

 

 

海外で働くようになって、
日本人以外の人と働くようになって、
「ああ、自分は、日本人的な考えを引き摺っているなぁ」と、
考えさせられることが、ある。
今週は、改めて、
そんなことを考えることが多かった気がする。
「遠回し」に物事を伝えようとすることなどは、
その典型的な例じゃないかと思う。
逆に言うと、「率直さ」が無いということだ。
相手を傷つけたくないから?
いや、自分が傷つきたくないから?
なんとなく察してもらえるように、
遠回しに、遠回しに、表現する人が多い気がする。
はたまた、考えているのだけど、
それを口に出さない、ということも、
日本人的な考え方ではないか、と感じる。
しかし、韓国人は違う。
日本人と比較して、明らかに、単刀直入だ。
なんてデリカシーのない人たちなんだろう、と、
考えてしまったこともあるが、
慣れてくると、よっぽど、気が楽で良い。
5年弱も住んでいたので、
僕自身は、かなりストレートに物事を言えるようになった。
と思っていたが、
やっぱり、まだまだ、遠回りだ、と思うことが多々ある。
今日のエピソードは、
あるメンバーのために、
そんなわけで、良かれと思って、
言わなくても良いであろうことを言ってしまった話である。
厄介だったと感じたのは、
「思いやり」という言葉だった。
相手のために、と思って、
ストレートに、伝えるべきことを伝えてみた。
すると、どうだろう、それはそれは、ションボリなさる。
相手は日本人だった。
そのせいもあったかもしれない。
しかし、これは、やり過ぎた、、、と反省させられた。
もっとよく考えて発言すべきだった、と猛省した。
フランスには、こんな諺があるそうだ。
『思いやりは友をつくるが、
真実を言うことは敵をつくる』・人に言ってはいけないこと
・人に言わないほうがいいこと
・人に言わなくてもいいこと
・人に言ってあげたほうがいいこと
思いやりを欠いた一言で人を傷つけてしまうこともあれば、
本人のために言ってあげたほうがいいこともある、
それも思いやりだ、と。
言うべきか、言わぬべきか、
そんなことを考えていて、
大きな大きな意思決定が出来た。
それは、迷うくらいなら、
率直に言う、ということだ。
これは、人生の方針となるだろうと確信する。
率直さを維持することは、本当に難しいが、
それでも、率直に、物事を言い合える人間関係を築くことが、
強いチームを創ることになる。
久し振りに、ジャック・ウェルチ先生の言葉を思い出した。
・ 言うべきことを言わないでいることが、ビジネス界の最大の恥だ
・ 官僚主義、屋上屋を重ねるような組織、社内政治、表面的な礼儀正しさは、全て率直さの欠如が生み出す産物だ
・ 競争相手のことなんかどうでもいい。社内でコミュニケーションが取れないことの方が、よっぽど恐ろしい敵だ!
・ 率直でないのはつまるところ自分のためで、自分が楽するためなのだ
・ 勝ち抜くためには率直であることが極めて重要だ
・ 率直さを引き出すためには、報酬を与え、褒め、語り続けることだ。率直に行動した人は皆の前で大々的に褒めあげる
・ 非実力制度の良い点があるとすれば、やがてそれが自滅するということだ。自分の重みに耐えかねて潰れるか、変化せざるを得ない。その結果、継続が困難になる
・ ヤンキースをはじめとするスポーツチームの団結力は、率直な業績評価とそれに呼応した報酬の上に成り立つ、オープンで正直な経営システムのプラスの影響を雄弁に物語ってくれる
Jack Welch
20世紀最高の経営者と言われた、ジャック・ウェルチ先生は、
「率直さ」が、どれほど経営に大事かということを、
どれだけ説いて下さったことか。
自らが意識するだけでなく、
「率直さ」をカルチャーの土台におけるよう、
チーム創りに励んでいきたい。