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そう遠くない未来を予測するために。~限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭 ~

  数多の未来予測的書籍の中でも、ここまで包括的、統合的に、確固たるコンセプトを持って道標を提示してくれた本に出会ったことがありませんでした。 IoTにより限界費用ゼロの社会が到来した時、どのような社会になっていくのかを想像するのに最適な一冊。 すぐに実現する未来ではないかもしれないけど、僕達が生きているうちに、このような方向に世の中が向かっているのは確かだろうなあ、と参考になりました。

僕達は、諸説ある数十万年人類史の中でも、類まれに見る速度で指数関数的変化を体験できる世代であることは間違いなく、その変化が誰かにとっては幸福であり、誰かにとっては幸福ではない、というような局所的議論に終始するのではなく、人類という主語で、この大変化を俯瞰してみると、見えないものが見えてくると思います。

例えば、最近は、AIが、ロボットが、人間の仕事を奪うという表現が散見されますが、そもそも、人生の大半の時間を労働に費やすことなく、最低限の衣食住が保障される時代が来るとすると、未来の人間は、過去の人間(つまり僕達)の生活を振り返って、「ああ、昔は、大変だったんだなあ」と考えるのではないか?と。

 

””今から半世紀後、私たちの孫は、私たちがかつての奴隷制や農奴制をまったく信じられない思いで振り返るのと同じように、市場経済における大量雇用の時代を顧みることだろう。生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。””

 

パラダイムの変化は、突如として完全に変わるのではなく、じょじょに、その兆候が現れ、現代的なものと、未来的なものの狭間、キャズムに突き落とされ、生活が貧窮し、悲劇的な想いに打ちひしがれるような人達が、一定数存在することを、黙殺されるような社会はあまり好ましくないでしょう。

事が起きてから、対処するのでは遅いので、社会や国家、企業が時代の潮流を掴み、事前にスケープゴートを用意することが出来れば、きっと悲しみに暮れる人達の数を少しは減らせるのではないでしょうか。 他方、過去の歴史や、今、この時流を冷静に鑑みれば、数十年の間に、国家や共同体ごとの闘争がなくなるとは考えづらいし、資本主義的な構造が消滅するとは思えず、本書で提示している協働型コモンズのようなものが台頭するにせよ、それらが国家や超多国籍企業というの支配に抗うだけのパワーを持ちえるまでには、相当な時間を要するのではないか、とも懐疑的にならざるをえない。

確かに、今だけを切り取って見れば、一般的には綺麗事のように捉えられやすい全人類的視点、地球的視点というようなものが否定されにくい時代を迎えつつあり、限界費用がゼロに近づくにつれ、希少性に根付く過当競争が少しずつ弱体化し、同時に、シェアエコノミー、共有型経済が、人と人の繋がりに価値をもたせ、世界中の様々な人種の交流が激増し、世界がより平和な方向に向かっていると牧歌的に考えることも出来るのですが。

著者が言うには、現世代の大半は、生きているうちに、この潮流の変化を体感することになるだろうと確信していて、だからこそ、未来に悲観的になるよりも、来たる未来に備え、人類がより幸福に生きるために、やれるだけのことをやろうと、背中を押してくれる。 いずれにせよ、未来に悲観的であろうが、楽観的であろうが、様々なビジョンを一人ひとりが別々に持ちあわせ、未来を盛んに議論しうる時代は、非常に楽しい。

各人のパラダイムで物事を捉えながら、それぞれの多様性を認めて、それぞれの価値観によって自分のコミュニティを盛り上げていきたい。

 

 

【抜粋】

● 協働型コモンズは、所得格差を大幅に縮める可能性を提供し、グローバル経済を民主化し、より生態系に優しい形で持続可能な社会を生み出し、すでに私たちの経済生活のあり方を変え始めている。

 

● 「これからの年月には、『技術的失業』という言葉を何度となく耳にすることだろう。これは、労働力の新たな使途を発見しうる速さを、労働力の使用を節減する手段の発見が凌駕するために生じる失業を指す」。ただしケインズは、急いでこう言い添える。技術的失業は、短期的には人々を苦しめるものの、「人類が自らの経済の問題を解決していること」を意味するから、長期的には大いなる恩恵である、と。

 

● 機械がほぼ無料の財やサービスを潤沢に生み出し、人類を労役や苦難から解放し、そのおかげで人間が金銭上の利益にばかり心を奪われず、「いかに生きるべきか」や従来の枠を超えることの探求にもっと集中できるような未来の到来を待望していた。

 

● 私たちが営む経済生活にとってIoTが革新的なテクノロジーとなるのは、それが生物圏の複雑な構成の中へと人類が自らを再統合し、地球上の生態系を危うくすることなく劇的に生産性を上げるのを助けるからだ。循環型経済の中で地球の資源をより少なく、より効率的・生産的に使い、炭素系燃料から再生可能エネルギーへ移行するというのが、今出現しつつある経済パラダイムの決定的特徴だ。

 

● IoTの稼働システムの要は、コミュニケーション・インターネットとエネルギー・インターネットと輸送インターネットを、緊密に連携した稼働プラットフォームにまとめることだ。

 

● 資本主義市場は私利の追求に基づいており、物質的利益を原動力としているのに対して、ソーシャルコモンズは協働型の利益に動機づけられ、他者と結びついてシェアしたいという深い欲求を原動力としている。前者が財産権や買い手の危険負担、自主性の追求を促す一方、後者はオープンソース〔ソースコード(原型となる設計)の公開、無料または安価な配布、改変・再配布自由の共同利用形態〕のイノベーションや透明性、コミュニティの追求を奨励する。

 

● 協働型コモンズはすでに、経済生活に多大な影響を与えている。市場はネットワークに道を譲り始め、モノを所有することは、それにアクセスすることほど重要でなくなり、私利の追求は協働型の利益の魅力によって抑えられ、無一文から大金持ちへという従来の夢は、持続可能な生活の質という新たな夢に取って代わられつつある。

 

● 来るべき時代には、新しい世代が協働主義にしだいに共鳴するにつれ、資本主義と社会主義はともに、かつて社会に対して持っていた支配力を失うだろう。若い協働主義者たちは、資本主義と社会主義の原理の双方から長所を採り入れつつも、自由市場と官僚国家に共通の、中央集中化する性質を排除している。

 

● 台頭する協働型コモンズにおけるイノベーションと創造性の大衆化からは、金銭的な見返りを得たいという願いよりも、人類の社会的福祉を増進したいという欲求に基づいた、新しい種類のインセンティブが生まれつつある。そして、それが功を奏している。

 

● この新しいコミュニケーション/エネルギー/輸送マトリックスは、距離を縮めて時間を速め、何世紀もの間孤立していたさまざまな人を束ねて共同で経済的目的を追求させたばかりか、それによって、他者に対して従来は見られなかったほどまで心を開くことを奨励し、国家や民族にこだわらない考え方の拡がりを促した。何世紀も前から生活を貶めていた偏狭な愛郷心や外国人嫌いは徐々に消え始め、新しい可能性が拓けるという感覚が人間の心を捉えた。

 

● 二五年後には、あなたが家を暖め、家電製品を作動させ、職場の機器を動かし、車を走らせ、世界経済を隅々まで駆動させるのに使うエネルギーの大部分も無料に近くなる、と。それは、自宅や仕事場をマイクロ発電所に変え、その場で再生可能エネルギーを採取するシステムを早々と採用した数百万の人にとってはすでに現実だ。

 

● 二〇〇七年、さまざまな装置をIoTにつなぐセンサーは一〇〇〇万個あった。二〇一三年、その数は三五億を超えることになったが、さらに感心すべきは、二〇三〇年には一〇〇兆個のセンサーがIoTにつながると予想されていることだ。

 

● 一〇年以内にインターネットに接続するデバイスが二兆個の域に達するには、各人が「インターネットにつながるモノを一〇〇〇個」持つだけでよいというのだ。経済が発展した国々では、たいていの人がおよそ一〇〇〇個から五〇〇〇個のモノを持っている。法外な数に思えるかもしれないが、自宅や車庫、自動車、オフィスを見回して、電動歯ブラシに電子書籍、ガレージドア開閉装置、建物の出入り用の電子パスといったものを数えてみれば、自分がどれだけ多くのデバイスを持っているかに驚くものだ。こうしたデバイスの多くには、今後一〇年ほどの間にタグがつき、インターネットを使って自分のモノと他のモノとをつなげることになるだろう。

 

● 指数関数的増加は人の目を欺く。知らぬ間に増えてゆくのだ。一五日目になっても、たった一万六三八四ドルにしか達しておらず、即時に一〇〇万ドルの現金をもらうことを選んだのは正しかったと私は信じていた。だが、さらに六日分倍にし続けたときには驚いた。わずか六回、倍増を繰り返しただけで、数字はすでに一〇〇万ドルを超えていたのだ。さらに一〇日分続けてみて、衝撃を受けた。三一日目までくると、一〇億ドルを超えていた。なんと一〇〇万ドルの一〇〇〇倍以上だ。これには啞然とした。こうして私は指数関数的増加を初めて目の当たりにしたのだった。

 

● 将来のエネルギー源としての太陽光の計り知れない可能性を考えたとき、それが社会に及ぼす影響はなおさら著しいものとなる。人類は年間に四七〇エクサジュール〔エクサは一〇の一八乗〕のエネルギーを使う。これは、太陽が八八分間に地球に向けて放つエネルギーの量と等しい。地球に届く太陽エネルギーの〇・一パーセントを手に入れられれば、現在、グローバル経済全体で使われているエネルギーの六倍が得られることになるのだ。

 

● この運動を推進してきた原理としては、新しいイノベーションのオープンソースでの共有、協働型の学習文化の促進、コミュニティの自給自足という信念、持続可能な生産手法への傾倒の四つが挙げられる。

 

● 彼らのスローガンは、「グローバルに考え、ローカルに行動する」で、それは各自の地元コミュニティで持続可能な形で生活して地球を大切にすることを意味した。

 

● ガンディーにしてみれば、幸福は、個人の富を蓄積することではなく、思いやりと共感に満ちた人生を送ることに見出されるのだった。彼は次のように述べさえしている。「真の幸福と満足は……欲求の拡大ではなく意図的・自発的な削減にある」、そのおかげで、人は他者との親睦のうちに、より献身的な人生を送れる。彼はまた、自らの幸福論を地球に対する責任と結びつけていた。持続可能性が人気を博する半世紀近く前に、ガンディーはこう明言した。「地球はあらゆる人の必要を満たすだけのものを提供してくれるが、あらゆる人の強欲を満たすことはできない。

 

● 市場経済のあらゆる部門での仕事の自動化によって、すでに人間が労働から解放され、進化を続けるソーシャルエコノミーへと移行し始めている。市場経済時代には勤勉が重要だったが、来るべき時代には、協働型コモンズでのディープ・プレイ〔市場ではなくシビル・ソサエティで人々が才能や技能をシェアし、社会関係資本を生み出すことを意味する著者の用語〕がそれと同じぐらい重視され、社会関係資本の蓄積は、市場資本の蓄積に劣らぬほど尊ばれる。

 

● 重要なのは、コモンズは公共広場にとどまらず、外に向かって地球の生物圏の端々にまで拡がるという点だ。私たち人類は、地球を満たすさまざまな種から成る進化の拡大家族の一員だ。生態学は私たちに、個々の生物の繁栄があって初めて生物学的な家族全体も繁栄しうることを教えてくれている。共生関係、相乗作用、フィードバックによって、ある種の大規模なコラボレーションが生じ、それがこの拡大家族の活力を維持し、生物圏という大所帯を存続させてゆくのだ。

 

● 第三次産業革命における新体制は性質が大きく異なる。この体制は、それ以前の体制と比べると、金融資本はそれほど要らないが、より多くの社会関係資本を必要とし、垂直ではなく水平に展開し、厳密に資本主義的な市場の仕組みよりむしろコモンズ方式の管理で最もうまく機能する。社会は、開かれた、分散型・協働型で、ネットワーク化された形態をとるべく設計される度合いがしだいに増してゆくだろう。これはつまり、資本主義市場がこのまま生き残れるかどうかは、そうした社会体制に新たな効率性や生産性が見つかる世界で、価値を見出せるか否かにかかっているということだ。

 

● 自由とは人生を最大限活用できる能力であり、最高の人生は、一生の間にかかわりを持つさまざまなコミュニティで、多様な経験を積み、広範な人間関係を結ぶことによって実現できる。自由は市場における資産の所有よりも、ネットワークにおける他者へのアクセスによって評価される。人間関係が深く包括的であるほど多くの自由を享受できる。フェイスブックやツイッターなどのソーシャルスペースにおいて絶え間なく他者にアクセスできることは、人生に意味を与える。インターネット世代にとって自由とは、ピアトゥピアの世界で制限なく他者とコラボレーションする能力なのだ。

 

● ソーシャルエコノミーで指針となるのは、「買い手危険負担」ではなく、社会的信頼だ。そして、伝統的なコモンズの場合と同じく、新たな協働型コモンズも、社会関係資本を確保して協働の精神を築くために必要な社会的信頼を高いレベルで維持しようと、フリーライダーや妨害をする人々を罰し、さらには排除さえするような制裁を含め、さまざまな規約を試してきた。主要な協働型のソーシャルネットワークではほぼ例外なく、会員の信頼性を格付けする評価制度を設けている。市場経済における各人の支払い能力を格付けする従来の信用格付け制度とは異なり、評価制度はコモンズにおける各人の社会関係資本を格付けすることを目的とする。

 

● ベネフィット・コーポレーションは、社会的起業家精神という名称で緩やかに定義される、より大きなうねりの一部で、このうねりは世界中で経営大学院出身の若い世代の心を捉えている。社会的起業家精神は、コモンズの中心を担う非営利団体から市場の支配的事業体である従来の持株会社まで、幅広く網羅する。非営利団体と営利企業という二つのモデルは、ソーシャルエコノミーと市場経済が接する辺縁でかかわりを持つだけでなく、互いに相手の特質をいくらか採り入れているので、非営利事業と利益追求型事業の相違は曖昧になってきている。社会的起業家精神という大きな天幕の下、営利の世界と非営利の世界は、市場経済と協働型コモンズの双方から成る二層構造の商業空間に対応するため、あらゆる類の新たなビジネスの取り決めや規約を生み出しつつある。

 

● 遅くとも今世紀なかばまでには、世界の雇用者の半数以上が協働型コモンズの非営利部門に属し、ソーシャルエコノミーの推進に尽力する一方で、必要とする財やサービスの少なくとも一部を従来の市場で購入するといった状況になるのではなかろうか。そして伝統的な資本主義経済は、少数の専門職と技術職が管理するインテリジェント・テクノロジーによって運営されることになるだろう。

 

● 八〇年以上も前に孫たちに向けて記した先見性の高い評論の中で、ジョン・メイナード・ケインズは、人間が機械によって市場での苦役から解放され、より高邁で従来の枠を超えた目的を追い求めて、コモンズで意義深い文化的役割に従事する世界を見越していた。このビジョンは、ケインズの経済予測のなかでも最も正確なものとなるかもしれない。  当面の課題は、世界中でIoTインフラの大規模な整備が実施されることに伴って生じる、新たな職種や商機への移行を円滑に進めるために、既存の労働力を再教育したり、労働市場に参入する学生に適切な技能の育成を行なったりすることにある。一方学生たちは、協働型コモンズで新たに提供される雇用機会に見合った、これまでにない専門技能を身につける必要があるだろう。これには一方ならぬ努力が求められるだろうが、そのような努力ができることを、人類はこれまでにも身をもって証明してきた──とりわけ、一八九〇年から一九四〇年にかけて、農業から工業へと生活様式が急激に移行したときがそうだった。

 

● 俗に「共感ニューロン」と呼ばれるものだ。人間に近い数種の霊長類やゾウも共感ニューロンを有するが、その他の種についてはまだわかっていない。ミラーニューロンとその他の神経回路が相まって、私たちは他者の感情を自分のものとして経験することができる──理性的にだけでなく、生理的にも、情動的にも。たとえば、誰かの腕をクモが這い上がってゆくのを眺めていたら、私も自分の神経回路網で、クモが自分の腕を這い上がっているかのように感じるだろう。私たちはこうした日常的な感覚を当たり前だと思っているが、他者を自分自身として経験する──その喜びや恥ずかしさ、嫌悪感、苦しみ、恐れを感じる──この生理的能力こそ、私たちを現在のような社会的存在にしているという事実は、ようやく理解され始めたばかりだ。共感を覚える能力があればこそ、私たちはしっかりと統合された社会に組み込まれ、自分の延長として相手に接することができる。共感という感覚をまったく欠き、他者への思いやりや配慮がまったく見受けられない振る舞いをする人物の話を聞くと、私たちは人間味がないと思う。社会病質者は、究極のつまはじき者となるのだ。 ● 物質主義的行動と、共感という動因の抑圧もしくは消失に密接な相互関係があることは、さまざまな調査によって繰り返し示されている。冷淡で自分勝手、サディスティックで思いやりに欠ける親の元で育ったり、精神的虐待や体罰を受けたりした子供たちは、長じて攻撃的になって人を利用したり、逆に殻に閉じこもって孤立したりする場合が多い。そうした子供の共感の働きは抑え込まれ、恐れや不信、見捨てられたという感覚に取って代わられる。対照的に、愛情深く、相手に敏感に反応しながら幼児を養育でき、自我の発達を促す安全な環境を子供に提供できる親は、共感性の開花に欠かせない社会的信頼感を伸ばしてやれる。

 

●共感に触れる機会を持たずに成長した子供たちは、大人になったときに他者に共感を示せない場合が多い。最も基本的なレベルで他者と関係を築くことができず、彼らはまったく孤立無援の存在になる。物質主義は彼らにとって、喪失感を埋めるためのささやかな代替手段となる。モノへの執着が、人間に対する愛着の喪失を埋めるのだ。物質的成功や名声、注目されることへのこだわりもまた、社会に受け容れてもらうための方策となる。

 

● 有意義な生活を送っていると答えたミレニアル世代の若者のほうが、「自分を他者志向だと見なしている──より具体的には、与える者であるがゆえにそう考えている」ことが判明した。他者のために何かをすることが自分にとって重要だと言う人々のほうが、「自分の人生にはより大きな意義がある」と答えた。

 

● 物質主義的精神の衰退は、持続可能性や環境保全の取り組みの拡大にも反映されている。物質主義者たちが仲間の人間だけでなく、地球の生物や地球環境全般にもあまり共感を示さないとしても、驚くには当たらない。彼らはあくまで功利的な立場から、自然を利用するべき資源と捉え、保全すべきコミュニティとは見なさない。彼らにとって、環境は他者との関係と同じく、有用性と市場価値によってのみ評価されるもので、その本質的な価値は一顧だにされない。

 

● 潤沢さが稀少性に取って代われば、明日がどうなるか不安で、なんとしてもより多くのモノを手に入れようとする執拗なまでの衝動から、人間の気質のかなりの部分が解放される可能性が高いということだ。稀少性の経済を潤沢さの経済に転換するという発想は一見したところ、地球に残された恵みを手当たり次第に消費し尽くす事態を招く危険性を想起させるかもしれないが、実際には、これまでに述べた数々の理由により、地球上で私たち人類が持続可能な未来を確実に手に入れるための、唯一の有効な道である可能性が高い。

 

● 「私たちは今、第三次産業革命の幕開けに臨んでいると思われるので、UNIDOのすべての加盟国に、このメッセージを聞いて、『どうすればこの革命の一翼を担えるか』という重要な問題について考えていただきたかった」。目標は、二〇三〇年までに誰もが電力を利用できるようにすることだ。地球上のあらゆるコミュニティに電力が供給されれば、世界の貧しい人々が貧困から抜け出し、万人がまともな生活の質を保てる程度の快適さを手に入れるための弾みとなるだろう。

 

●人類史における経済の大パラダイムシフトは、コミュニケーション革命とエネルギー体制を新しい強力な形態に統合し、社会の経済生活を一転させるだけではない。新たなコミュニケーション/エネルギー/輸送マトリックスは必ずや、人間の意識をも転換し、共感の動因を時間的・空間的により広い領域へと拡大して、いちだんと大きな比喩的家族や相互依存を深めた社会という形で人々を団結させるはずだ。

 

● 枢軸時代の主要宗教はどれも、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という黄金律を生んだ。このように、共感という感性が宗教的帰属を基礎にした架空の拡大家族にまで拡がったおかげで、灌漑農業による生産と書字が一つになって誕生した、時間的・空間的に以前よりずっと広い新たな文明の領域全体で、多くの人々が社会的な絆を育むことが可能になった。

 

● 人類の歴史的なナラティブには別の側面がある──人間の意識の進化と、より広く包括的な領域への共感の拡大こそがそれだ。記録にこそ残されてはいないが、人類史には、たえず自己の枠を超えて、いっそうの進化を遂げた社会的枠組みの中にアイデンティティを見出そうとする人間の衝動によってもたらされた、幸福で調和のとれた時代が含まれている。

 

● 人類の歩んだ歴史を振り返ると、幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出されることがわかる。人生の黄昏時を迎えて来し方を振り返ったとき、記憶の中にはっきりと浮かび上がるのが物質的な利得や名声、財産であることはほとんどないだろう。私たちの存在の核心に触れるのは、共感に満ち溢れた巡り会いの瞬間──自分自身の殻を抜け出して、繁栄を目指す他者の奮闘を余すところなく、我がことのように経験するという超越的な感覚が得られた瞬間なのだ。  共感の意識は、ユートピア的な理想主義と混同されることがままあるが、それは実際には正反対のものだ。あなたや私が、他の人間であれ他の生物であれ他者に共感を抱くとき、そこには相手にいずれ訪れる死の気配と、目の前に存在する命に対する称讃が漂っている。相手の喜び、悲しみ、希望、恐れを感じ取っている間、私たちの命はどれも心もとないものであることが、私にはしきりに思い出される。他者に共感するとは、自分の命に対するのと同じように相手の唯一無二の命を認識すること──それが文明社会を生きる人間であれ、森の中で暮らすシカであれ、彼らの時間も自分の時間と同じく、巻き戻しも繰り返しもできず、生ははかなく、不完全で、困難なものであると理解することだ。共感を抱いているとき、私は相手の存在の脆さとはかなさを感じる。共感を抱くとは、他者が繁栄するよう応援し、相手の短い生涯に秘められた可能性のすべてを自ら実感することだ。思いやりとはすなわち、地球上で生命の旅をする仲間として連帯の絆を認めて、互いの存在を祝福する私たちなりの方法なのだ。  天国に共感は必要なく、ユートピアに共感の入り込む余地はない。というのも、こうした異世界には、悩みも苦しみも、弱さも欠点もなく、完璧さと不死があるのみだからだ。共感溢れる文明社会で仲間とともに生きるということは、互いの力になり、思いやりを通して、不完全な世界で繁栄に向かって邁進する互いの奮闘をたえず称え、それによって、私たちがはかない存在であるという現実を認め合うことを意味する。最高に幸せな瞬間とはつねに、最も大きな共感を覚える瞬間にほかならないことを、ほんのわずかでも疑う者がいるだろうか?

 

● 生物圏意識  こうした事柄はどれも、人類の個人としての幸福と集団としての幸福を推進するという問題に、私たちを立ち返らせる。人類の将来の見通しに、そして種として存続する能力についてさえももはや希望を抱けない人々──加えて、ある程度の集団的な幸福の確保となるといっそう心もとない人々には、私はこう問いかけてみたい。どうしてここで歩みを止めるのか? 人々が共感に満ち溢れて関与し、協働して管理する、より包括的な領域へ私たちを導いてきた旅路に終止符を打つことなどできるだろうか、と。私たちが神話的意識から神学的意識へ、さらにはイデオロギー的意識、心理的意識へと移り変わり、共感の動因を血縁から宗教的つながりへ、そして国民としてのアイデンティティ、共通点を持つ人々のコミュニティへと拡大してきたのだとしたら、人類の旅路における次の飛躍を思い描くことも可能ではないか──生物圏意識に移行し、共感の対象を拡大して、人類全体を自らの家族とするのみならず、進化上の家族の延長として仲間の生物たちも含めることができるのではないだろうか? ● 双方向型のコミュニケーション、エネルギー、輸送の各インターネットから成る新たなスマートインフラは、Wi‐Fiのようにノードを介して地域から地域へと拡がり、大陸をまたいで社会を結びつけ、広範に及ぶグローバルなニューラルネットワークを形作りつつある。IoTであらゆるモノをあらゆる人と結びつけるのは、人類史を転換する一大事件で、人類全体が史上初めて、人間という一つの大家族として共感し合い、親交を持つことを可能にする。

 

● 協働の感性とは、各人の存在は相互に密接に結びついており、個人の福祉は最終的に、私たちが暮らすより広いコミュニティの福祉にかかっていることを認識する能力だ。

 

● 若者たちが新たに見出した開放性は、性別や社会階級、人種、民族、性的指向などによって長い間人々を隔ててきた壁を打ち壊しつつある。共感という感性は、グローバルなネットワークがあらゆる人々を結びつけるのと同じ速さで、水平に拡大中だ。共感が、社会が真に民主的であるかどうかを判定する究極の試金石となった今、何億もの、いやことによると数十億もの人が、「他者」を「自分自身」として経験し始めつつある。そこまでは目にはつかないものの、何百万もの人、とりわけ若者たちは、極地をさまようペンギンやホッキョクグマから、わずかに残された手つかずの原初の生態系に暮らす絶滅の危機に瀕した種に至るまで、人間の同胞たる動物たちにも、その共感の動因を拡大する方向に動きだしている。若者たちは、生物圏というコミュニティに心地良く収まった共感の文明を構築する機会の一端を、ようやく目にし始めたところだ。

 

● 起業家は成功したいのなら、他者の幸福に敏感でいるほうが得なのだ。