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浪漫に満ち溢れた未来。~〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則 、ケヴィン・ケリー~

 

 

””しかし、しかし……ここで重要なことがある。インターネットに関してはまだ何も始まっていないのだ! インターネットはまだその始まりの始まりに過ぎない。それは何より〈なっていく〉ものなのだ。もしわれわれがタイムマシンに乗って30年後に行って、現在を振り返ってみたとすると、2050年の市民の生活を支えているすばらしいプロダクトのほとんどは、2016年には出現していないことに気づくだろう。未来の人々はホロデックやウェアラブルなVRコンタクトレンズ、ダウンロードできるアバター、AIインターフェースなどを見ながら、「あぁ、あの頃には、インターネット(その頃は何と呼んでいるのか知らないが)なんて、まるでなかったんだね」と言うだろう。

2050年の年寄りたちはあなたにこう語りかけるだろう。2016年当時にもしイノベーターでいられたなら、どんなにすごかったか想像できるかね、と。そこは広く開かれたフロンティアだったんだ! どんな分野のものも自由に選んで、ちょっとAI機能を付けて、クラウドに置いておくだけでよかったんだよ! 当時の装置のほとんどには、センサーがいまのように何百じゃなくて、一つか二つしか入っていなかった。期待値や障壁は低かった。一番になるのは簡単だった。そして彼らは「当時は何もかもが可能だった。そのことに気づいてさえいれば!」と嘆くのだ。””

 

なんてロマンチックなのだろう。これ以上の浪漫があるのだろうか。この世界の多くの人達は、只ならぬ変化の真っ只中にいることを、何となく分かっていても、何をすれば良いのかわからない。どうすれば比類なき、このビックウェーブに最高のタイミングで乗れるのかわからない。失敗して苦しむくらいなら様子を見る。要するに、波に巻き込まれて溺れ死ぬような度胸もない。だから慎重に慎重に最高のタイミングを見計らって、何度も乗り過ごしてる。見過ごしてる。

 

上手くうまく大波に乗って英雄になったサーファーたちに憧れ、時に嫉妬する。すでに何度も繰り返してきた光景だった。大きなうねりがある。今までに見たことがない大きな波になるかもしれない。今から準備しておけば、、、今しかない、、、そうやってパドリングをはじめる、パドリングを始めた瞬間、色々なことが頭に浮かんでくる、待てよ、、、体調は万全か?本当にここ波で良いのか?次の波の方が大きな波かもしれない、みんなもこの波を待ちわびていたんじゃないか?ライバルが多すぎるんじゃないか?そうだ、次の波まで待とう、そしたらライバルが少ないかもしれない、そうだそうだ。そんな都合の良い解釈を繰り返してきた。そんな自分の解釈に嫌気がさしている。もう十分に、待ちわびてきたじゃないか。そんな臆病な僕達に、賢者が語りかけてくれる。

 

“”居心地が悪くない世界はユートピアだ。しかしその世界は停滞している。ある観点から完全に正当に思える世界は、他の観点からは恐ろしく不公平だ。ユートピアには解決すべき問題はないが、チャンスもない。  ユートピアは絶対に上手くいかないので、われわれはこうした「ユートピアのパラドクス」に悩む必要はない。ユートピアのシナリオには、どれも自己崩壊につながる欠陥があるからだ。ユートピアに対する私の反感はさらに根深い。自分が住みたいと思えるような、想像上のユートピアにいままで出合った試しがない。どれも私には退屈なのだ。その正反対のディストピアの方が、よっぽど面白い。それに、想像するのもずっとやさしい。

地上に最後の一人しか残っていない黙示録さながらの世界や、ロボットの大君主が支配する世界、徐々にスラム街へと崩壊していく地球規模のメガシティーを想像できない人はいないし、最も簡単なシナリオとしては、核戦争によるアルマゲドンが考えられるだろう。現代文明が崩壊する可能性なら、いくらでも列挙できる。しかし、映画にできそうなドラマチックな話題で、想像するのがずっと容易だからといって、ディストピアが起こるかもしれないというわけではない。””

 

僕なりに解釈すると、僕達が妄想するようなユートピアや、ディストピアは極端なものであって、複雑に見えるこの世界は、いわゆる見えざる手のような何らかの生態系によってバランスされ、着地していくだろう、と。

 

“”プロトピアは〈なっていく〉ものなので、それ自体を見るのは難しい。それはプロセスであり、他のものの変化に常に影響を与え、自分自身を変え、変異しながら育っていく。変わり続けるゆるやかなプロセスに喝采を送るのは確かに難しい。でもそれが見えていくかどうかは重要だ。””

 

だけど、何らかのバランスされた秩序、無秩序な世界を、プロセスを見ようとするべきだし、見えていることは重要だよ、と示唆してくれている。

 

“”つまりこういうことだ。いまここですぐに、2016年から始めるのがベストだということだ。歴史上、何かを発明するのにこんなに良いときはない。いままでこれほどのチャンスや、いろいろな始まりや、低い障壁や、リスクと利得の格差や、収益の高さや成長が見込めるタイミングはなかった。いまこの瞬間に始めるべきだ。いまこそが、未来の人々が振り返って、「あの頃に生きて戻れれば!」と言うときなのだ。””

 

 

というわけで、素晴らしい機会に恵まれた時代に生きているなあ、と感謝しつつ、今、目の前にある幸せを噛みしめつつ、大それたことに、思いを馳せる前に、まずは何より、身の回りの事業やお客さん、共に働く仲間、友達、家族を大事にしていかないとな、と考えさせられる日曜の昼下がりでした。

 

 

 

 

【抜粋】

★われわれはAIについて、それが何を意味するのかを再定義してこなかった──人間にとってどういう意味があるかということだけを再定義してきたのだ。過去60年以上にわたり、人間に固有だと考えてきた振る舞いや才能を、機械的プロセスがそっくり再現してきたことで、われわれをそれらと分かつものは何かと絶えず考えてこなくてはならなかった。より多くの種類のAIが発明されれば、人間に固有だと思われていたものをさらに放棄せざるを得なくなるだろう。われわれだけがチェスを指せる、飛行機を操縦できる、音楽を作曲できる、数学の法則を発明できる、という考えを一つひとつ放棄することは、苦痛に満ちた悲しみだろう。これからの30年、もしくは次の世紀まで、人間は一体何に秀でているのかと、絶えずアイデンティティーの危機に晒されることになるだろう。もし自分が唯一無二の道具職人でないなら、あるいはアーティストや倫理学者でないならば、人間を人間たらしめるものはいったい何だろうか? 極めつけの皮肉は、日々の生活で役立つAIのもたらす最大の恩恵が、効率性の増大や潤沢さに根ざした経済、あるいは科学の新しい手法といったものではないことだ。もちろんそうしたことはすべて起こるだろうが、AIの到来による最大の恩恵は、それが人間性を定義することを手助けしてくれることだ。われわれは、自分が何者であるかを知るためにAIが必要なのだ。

 

★これはマシンとの競争ではない。もし競争したらわれわれは負けてしまう。これはマシンと共同して行なう競争なのだ。あなたの将来の給料は、ロボットといかに協調して働けるかにかかっている。あなたの同僚の9割方は、見えないマシンとなるだろう。それら抜きでは、あなたはほとんど何もできなくなるだろう。そして、あなたが行なうこととマシンが行なうことの境界線がぼやけてくる。あなたはもはや、少なくとも最初のうちは、それを仕事だとは思えないかもしれない。なぜなら退屈で面倒な仕事は管理者がロボットに割り振ってしまうからだ。  われわれはロボットに肩代わりしてもらう必要がある。政治家たちがいま、ロボットから守ろうとしている仕事のほとんどは、朝起きてさあやろうとは誰も思えないものだ。ロボットが行なう仕事は、われわれがいままでやってきて、彼らの方がもっと上手にできる分野のものだ。彼らはわれわれがまるでできない仕事もやってくれる。必要だとは想像もしなかった仕事もやってくれる。そうすることで、われわれが新しい仕事を自分たちのために見つけるのを手伝ってくれる。その新しい仕事が、われわれ自身を拡張していくのだ。ロボットのおかげで、われわれはもっと人間らしい仕事に集中できる。  それは不可避だ。ロボットたちには仕事を肩代わりしてもらい、本当に大切な仕事を頭に描くのを手助けしてもらおう。

 

★経験の価値は上がり続けている。高級なエンターテインメントは毎年%伸びている[222]。レストランやバーの利用は、2015年だけでも9%伸びた[223]。一般的なコンサートのチケット価格は、1981年から2012年までの間に400%伸びた[224]。これはアメリカにおける医療介護についても同じだ。それは1982年から2014年の間に400%伸びた[225]。アメリカにおけるベビーシッターの価格は時間当たり15ドルだが、これは最低賃金の2倍だ[226]。アメリカの大都市では両親が夜間に外出するとき、子どもの世話を頼むのに100ドルを払うのは当たり前だ。身体の経験そのものに個人的な注目を集中して振り向けるパーソナルコーチは、一番成長が著しい仕事だ。ホスピスでは、薬や治療の価格は下がっているが、在宅訪問といった経験が絡むものは高くなっている[227]。結婚式のコストは上限がない。それらはコモディティーではなく経験なのだ。われわれはそうしたものに、希少で純粋な注意を向けている。こうした経験をデザインするクリエーターにとって、われわれのアテンションには大いに価値がある。経験を創造したり消費したりするのに人間が優れているのも偶然ではない。そこにはロボットが出る幕はない。

 

★没入環境やVRの世界も将来は不可避的に、以前の状態に戻れるようになるだろう。実際のところ、デジタルであれば何でも、リミックスされるのと同様、やり直しや巻き戻し可能性を持つだろう。  もっと先の話としては、われわれはやり直しボタンが付いていない経験に我慢できなくなっていくだろう──たとえば食事といったものに。実際には食事の味や匂いを再度表現することはできない。でもそれが可能になったら、料理の世界を変えてしまうだろう。

 

★セカンドライフの成功は、想像力に富んだ仲間同士で交流できることで高まったが、社会の熱がモバイルに移行すると、スマートフォンではセカンドライフの洗練された3D世界を処理できず、多くのユーザーが他に移ってしまった。マインクラフトにはさらに多くの人が流れていった──高解像度ではないためスマートフォンでも使えたからだ。しかしセカンドライフに忠実なユーザーはいまだに何百万人もいて、想像上の3D世界の中を常時約5万のアバターが歩き回っている[255]。そのうちの半分はバーチャル・セックスをするためで[256]、それはリアルさを求めるというより付き合いに重点が置かれたものだ。セカンドライフの創設者フィル・ローズデールは数年前に新しいVRの会社を立ち上げ、オープンな擬似世界が生み出す社会的可能性を利用し、もっと納得できるVRを発明しようとしている。

 

★われわれと人工物との間のインタラクションが増えることで、人工物を物体として愛でるようになる。インタラクティブであればあるほど、それは美しく聞こえ、美しく感じられなければならないのだ。長時間使う場合、その工芸的な仕上がりが重要になる。アップルはこうした欲求がインタラクティブな製品に向けられていると気づいた最初の企業だ。アップルウォッチの金の縁取りは感じるためのものだ。結局われわれは、毎日、毎週、何時間もアイパッドをなで回し、その魔法のような表面に指を走らせ、スクリーンに目を凝らすことになる。デバイスの表面のなめらかな感触、流れるような輝き、その温かみや無機質さ、作りの仕上がり、光の温度感などが、われわれにとって大きな意味を持つようになるのだ。

 

★安価で潤沢になったVRは、経験の生産工場になるだろう。生身の人間が行くには危険過ぎる環境──戦場、深海、火山といった場所──を訪れることもできる。人間が行くことが難しいお腹の中や彗星の表面といった場所も経験できる。それに、性転換したり、ロブスターになったりもできる。また、ヒマラヤの上空を飛び回るような非常にお金がかかる経験も安価にできる。しかし経験というのは一般的に持続するものではない。われわれが旅行の経験を楽しめるのは、そこを訪れるのが短い期間だからでもある。VRの経験も、少なくとも当初は、ちょっと試してみる程度のものになるだろう。そのプレゼンスはあまりに強烈なので、ほんの少しだけ楽しめればいいとわれわれは思うかもしれない。それでも、われわれがインタラクションを強く求めるものに対しては際限がない。  こうした大規模ビデオゲームは、新しいインタラクションの草分けだ。無限の地平によって提示される完全にインタラクティブな自由は、こうしたゲームが生み出す幻覚だ。プレーヤーや観客は、やり遂げるべき任務を与えられ、最後までたどり着くように動機付けされる。ゲームでのそれぞれの行動が、物語全体の中で次の難関へとプレーヤーを導く仕掛けになっており、そうやってゲームの設定した運命がだんだんと明らかになるのだが、それでもプレーヤー個々の選択は、どんな種類のポイントを獲得していくかという点で意味がある。この世界全体にはある傾向があり、あなたが何度その中を探検したとしても、最後にはある不可避な出来事に行き当たるようになっている。運命付けられた話の展開と、自由意思で行なうインタラクションが正しいバランスになれば、「ゲームで遊んだ」という素晴らしい感覚が得られる──自分がより大きな何かの一部になって前に進んでいるが(ゲームの物語性)、それでもまだ自分が舵を握っている(ゲームのプレー性)という甘美な感覚が生まれるのだ。

 

★AIはVRやARの中にも別の形で入り込んでいる。あなたが実際に立っている物理的世界を見てマッピングすることで、あなたを合成された世界に運ぶのに使われるのだ。それにはあなたの物理的な身体の動きのデータも含まれる。AIは例えばオフィスであなたが座ったり立ったり動き回ったりしているのを、特別なトラッキング装置がなくても観察し、それをバーチャル世界に反映することができる。AIは合成された世界の中でのあなたの進む道筋を読んで、まるでちょっとした神のように、ある方向へと導くのに必要な手出しをするのだ。

 

★われわれが日中のほとんどの時間を過ごすこのセンサーだらけの現実世界を非バーチャルVRだと考えてみよう。周囲からトラッキングされ、また実際には自分でも定量化された自己をトラッキングしているので、VRと同じインタラクションの手法が使えるのだ。たとえば、VRで使うのと同じジェスチャーで、家電や自動車とコミュニケーションが取れる。インセンティブを作り出すゲーミフィケーションの手法を使えば、実際の生活でも参加者を好ましい方向に誘導することができる。日常生活がすべてトラッキングされているので、正しく歯磨きができたり、1万歩歩いたり、安全運転をしたりするたびにポイントが溜まる。クイズでいちいち良い得点を競わなくても、あなたのレベルは日々上がっていく。ゴミを拾ったり、リサイクルしたりすればポイントが得られる。VRの世界ばかりか、日常生活もゲーム化できるのだ。

 

★人間の一生のうちに社会に破壊的変化を起こす最初の技術的プラットフォームがパソコンだった。モバイルがその次のプラットフォームで、これは数十年のうちにすべてを革命的に変えてしまった。次に破壊的変化を起こすプラットフォームがVRで、まさにいま訪れようとしている。それではVRやARにプラグインするすぐ目の前の未来の1日について見てみよう。

★私はVRの中にいるが、頭には何も被っていない。2016年まで遡ってみて驚くのは、ベーシックで十分なARを体験するのに、ゴーグルやメガネさえ要らないことを予想していた人がほとんどいなかったことだ。部屋の隅の小さな光源から目に直接、3D映像が投影されるため、顔の前には何も着ける必要がない。VRのアプリは何万もあるが、ほとんどの場合これでクオリティーは十分だ。  ごく初期に私が入れたアプリは、ID情報のオーバーレイ・サービスだった。人の顔を認識し、彼らの名前や所属や、私との関係があればそれを表示してくれるものだ。いまではこれに慣れてしまい、外に行くときもこれなしには出かけられない。友人たちは、知らない人の素性でもすぐ分かる非正規IDアプリを使っているが、その場合、相手に失礼にならないように、自分が見ている表示が自分にしか分からないようなギアを着ける必要がある。

 

★私は友人から個人として扱われたい。こうした関係を保つには、友人が私のことを十分に理解して個人として付き合ってくれるよう、開放的で透明性を保ち、人生をシェアしなくてはならない。私は会社やお店にも自分を個人として扱ってほしいので、彼らが対個人として振る舞えるよう、開放的で透明性を保ち、情報をシェアしなければならない。政府にも個人として扱ってほしいので、そのために個人情報を開示しなければならない。パーソナライズすることと透明性を保つことには一対一の関係がある。よりパーソナライズするにはより透明性を持たなくてはならない。究極のパーソナライズ(虚栄)には、究極の透明性(プライバシーはない)が必要だ。もし友人や機関に対してプライバシーを保ち不透明な存在でありたいなら、自分という固有の条件は無視され、通り一遍の扱いを受けることを容認しなくてはならない。そうすれば、私は一般人のままだ。

 

★現在のソーシャルメディアが教えてくれるのは、シェアしたいという人類の衝動が、プライバシーを守りたいという気持ちを上回っているということだ。これは専門家をも驚かせた。今までのところ、選択ができる分岐点に来るたびに、われわれは平均的にはよりシェアし、よりオープンで透明な方向へと向かう傾向にある。それを一言で表すならこうだ──虚栄がプライバシーを凌駕している。

 

★夢が何のためにあるのかは分かっていないが、唯一言えるのは意識の根源的な欲求を満たしているということだ。私がウェブをサーフィンしているのを見た人は、次々と提示されたリンクをただたどっている姿を見て、白日夢を見ているようだと思うはずだ。最近私はウェブの中で、人々に混ざって裸足の男が土を食べているのを取り囲んで見ていたり、歌っている少年の顔が溶け出すのを見たり、サンタクロースがクリスマスツリーを燃やしたり、世界で最も高所にある泥の家の中を漂っていたり、ケルトの結び目文字が自然に解けたり、ある男から透明なガラスの作り方の講釈を受けたり、その次には自分自身を眺めていて、それは高校時代のことで、自転車に乗っているという具合だった。しかもそれは、私がある朝に数分間ウェブをサーフィンしていた間に見た話だ。どこに行くのかも分からないリンクをたどってトランス状態に陥るのは、大変な時間の無駄をして──あるいは夢を見て──いるように思えるかもしれないが、とても生産的な時間の無駄遣いなのかもしれない。多分われわれは、ウェブをうろついている間、集合的な無意識の中に入り込んでいるのだ。きっと、個々にクリックするものは違っても、このクリックが誘う夢はわれわれ全員が同じ夢を見るための方法なのだ。

 

★この新しいあり方──波を乗りこなし、飛び込み、駆け上がり、ビットからビットへ飛び回り、ツイッターでつぶやき、新しいことに難なく入り込み、白日夢を見て、あらゆる事実に一つひとつ疑問を抱くこと──は決して不具合ではない。そういう機能なのだ。それは押し寄せてくる大海のようなデータ、ニュース、事実に対する正しい反応だ。われわれは流動的でしなやかに、アイデアからアイデアへと渡っていくべきだ。というのも流動的であることが、われわれを取り巻く荒れ狂う情報環境への答えだからだ。こうした態度は何もせずに失敗することでも、贅沢に溺れることでもない。それは前に進むために必要なことなのだ。白いしぶきを上げる激流でカヤックを操るには、水の流れと同じぐらい迅速に漕がなくてはならないし、変化しながらあなたに向かって崩れてくるエクサバイト級の情報の波を乗り切るには、その波頭と同じ速さで流れていかなくてはならない。

これから何千年もしたら、歴史家は過去を振り返って、われわれがいる3000年紀の始まる時期を見て、驚くべき時代だったと思うだろう。この惑星の住人が互いにリンクし、初めて一つのとても大きなものになった時代なのだ。その後にこのとても大きな何かはさらに大きくなるのだが、あなたや私はそれが始まった時期に生きている。未来の人々は、われわれが見ているこの始まりに立ち会いたかったと羨むだろう。

 

★その頃から人間は、不活性な物体にちょっとした知能を加え始め、それらをマシン知能のクラウドに編み上げ、その何十億もの心をリンクさせて一つの超知能にしていったのだ。それはこの惑星のそれまでの歴史で最も大きく最も複雑で驚くべき出来事だったとされるだろう。ガラスや銅や空中の電波で作られた神経を組み上げて、われわれの種はすべての地域、すべてのプロセス、すべての人々、すべての人工物、すべてのセンサー、すべての事実や概念をつなぎ合わせ、そこから想像もできなかった複雑さを持つ巨大ネットワークを作ったのだ。この初期のネットから文明の協働型インターフェースが誕生し、それまでのどんな発明をも凌駕する、感覚と認知機能を持つ装置が生まれる。この巨大な発明、この生命体、このマシンとでも呼ぶべきものは、これまで他のマシンが作り上げてきたものをすべて包含し、実際にはたった一つの存在となってわれわれの生活の隅々にまで浸透し、われわれのアイデンティティーにとってなくてはならないものになる。このとても大きなものは、それまでの種に対して新しい考え方(完璧な検索、完全な記憶、惑星規模の知的能力)と新しい精神をもたらす。それは始まっていく

パーソナル・コンピューターの命名者でもあるアラン・ケイが言ったように、「未来は予測するものではなく発明するもの」であるなら、本書が述べるように「最高にカッコいいものはまだ発明されていない。今日こそが本当に、広く開かれたフロンティアなのだ。……人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない」と考えることで、われわれは誰もが同じスタート地点に立って、この混迷した時代にきちんと前を向いて未来を変えていくことができるのではないだろうかと思う。