未来を確定的なものとして認識する。『未来予見〜「未来が見える人」は何をやっているのか?21世紀版知的未来学入門~』


 

「未来を予想する最善の方法は未来を創ることだ。」というような表現は有名ですが、本書では「未来を確定的なものとして認識することで、その流れにそって現実がやってくる」というような表現がなされています。

確かに偉大は発明家や起業家は、時代を創ったと言われるほどのことを成し遂げていますが大多数の人たちにとっては難易度が高過ぎる挑戦でしょう。しかし、例えば、AIが発達し単純労働が減少する未来や、アフリカ大陸に暮らす10億人を超えるマーケットが勃興する未来を確定的なものと認識し、その未来に合わせて何らかの準備や仕込みをしていけば、その他大勢との競争から抜け出すことは、そう難しくないかもしれません。

何らかの理想を実現することが得意な人たちは、無数の情報の中から、不要な情報に気を取られることなく、自分に必要な情報のみ純度高く手繰り寄せていて、そういう人たちは、未来を確定的なものとして認識し、未来から流れている時間を、エネルギーを、うまく利用しているというのはおっしゃる通りだなあと思いました。

 

 

 

 

【抜粋】
●未来学というのはそういうことに対して歯止めをかけるための知恵の体系といえるでしょう。想像力を働かせることによって、本当は起こってもらっちゃ困るけれども、それは人為的なミスもあれば、想定外の巨大な自然災害もあるわけだから、そういうことに対して常に最悪の事態を想定して、「想定外」という言い訳ができないようにしておくっていうのが未来研究の真髄・エッセンスなんです。

● 負けなければ、続けられるからね。勝つためには負けないこと、そのとおりです。常に夢を追いかける、理想を追い求めるっていうのは、それは大事なことなんですが、夢や理想を実現するためには、その反動というかその途中でいろんな落とし穴があったり障害物が必ずあるわけだから、そういう負の側面・負のファクターをどれだけ想像力を豊かにして思いつき、考え出して、それを防いでいくことができるかどうか。それも未来学という学問の一つの側面ですね。

 

● 毎年、アメリカで開催されている「世界未来学会」の総会に出席してみて下さい。私自身、何度も参加しているのですが、毎回、驚きの連続です。というより、ビジネスチャンスの宝庫なのです。なぜかというと、この学会は、最先端の人たちの本気の集まりだからです。世界最大の予算を投入して最先端の研究に取り組んでいる国防総省の先端技術開発庁(DARPA)の専門家や民間企業やシンクタンクのフューチャリスト(未来研究者)が集まります。世界未来学会へ参加するということは、彼らの持ち寄る「時代の先を行く」アイディアや試作品との出会いがあるのです。

定点的にウォッチしているとそういうシグナルがシグナルだと分かるようになるわけですよね。感度が立つというか、張り付いて見ているからこそ微差に敏感になるというか。魚釣りでもそうですけど、ずーっと糸を垂らして注視していると、わずかな引きですら、敏感に感じ取れるようになる。そういうことに似ています。

● そういうものって、過去からずっと積み重ねてきていないと、なかなか気づけない。未来学が、単なる思いつきみたいな「予言」や、スピリチュアル的な「占い」とは全く違うというのはそういう部分です。張り付いて、積み上げたエビデンスを元に仮設を組み立てていく。極めて精度の高い未来予見アプローチだというのはそういうことです。

● まず大事な視点として一つ。未来学という学問は、単に5年先や10年先に実用化されそうな、技術開発の動向や社会の変化に焦点を当てて満足するものではないということです。むしろ、既存の常識を一度ご破算にして、人類や地球環境の望ましい姿、あるいは人と自然や機械との関わりを見つめ直し、そこから新たな未来へのシナリオを描くための意識改革の手段に他ならないということをお伝えしておきたいと思います。

問題そのものはずっと存在していたにも関わらず、人々が関心を寄せるまではその問題はあたかも存在しないような扱いを受ける傾向が強い。当然のことだけど、社会の関心が向かなければ対策はなおざりにされてしまいますね。ようやく、その日を契機に、政府も企業も、環境対策に本腰を入れて取り組まざるを得なくなったんです。一事が万事で、人々の認識を変える力の存在を知り、それをどうマスコミを通じて情報提供するかを考えるのも、未来戦略。

● 未来予測の最重要指標は、人口動態。
浜田 世界から見ると、日本は自分の国のことだけしか考えていないという具合に見られるわけです。それが本当に日本のビジネスにとってプラスかどうかということです。いろんな日本を取り巻く世界の環境、人の動き、物の流れ、そういうものを常にこのままの状態で5年経ったらどうなるか、10年経ったらどうなるか、そういう未来を予測する時の一番確実な指標は「人口動態」なんです。

● 人間というのは誘惑に弱い。だから、平気で人を殺めたり、戦争をしたり、環境を破壊している。それは事実なわけで、では、果たしてそんな人間に地球の未来を託していいのか。そんな問いがある一方で立つ仮説というのは、人工知能が人類を含めて地球のあらゆる生物や環境に最適な未来図を描いて、それに反するものは人間であろうと動物であろうと排斥していく。そんな未来というのもある。人間より上位概念を人間が作り出してしまうことへの疑問はあるかもしれないけど、そのことによって人類が生き延びる、地球が生き延びるっていうことになるのであれば、それが宇宙の真理というか、世界の未来にとって欠かせないということになる可能性も否定できない。どちらが正しいというのは言えないけど、複雑な問題だよね。

自分が何を未来に託しているか。
浜田 荒唐無稽な話だからといって、非現実的だとは言えない。もうどんどん夢が現実のものになる。人間は想像力が豊かですよね。でも、想像したものは必ず実現する。良い想像もあれば、悪い想像も。そこのところを押さえておかないといけないんです。そういう悪い想像の産物が現実のものにならないように、どう歯止めをかけていくのか。それが個人の意識のレベルでは押さえが効かなくなるような現状に我々は常に背中合わせしていると思うので、そこのところをどう意識改革できるかどうか。そういうことを考える余裕・スペースがあれば、日頃のいろんな人との、あるいは自然との接し方、あるいは何を食べたり飲んだり、何を身につけたり、そういう日常的な活動にもいろんな新しい意味が付与できる。そこがまた新しいビジネスになるという無限大の可能性の前に我々はいると思うんです。そういう柔軟な発想がどこまでできるかどうかというところで一人一人の人生設計を考える。

せっかくこのタイミングでこの環境に我々は生を受けて今、生きているわけだから。 「生きている」っていうことの意味は何かというと、「未来へ繋げられる」っていうこと。未来への道筋を試行錯誤するにせよ、自分の肉体や自分の意識を通じてどこまで進化させることができるかどうかっていうことですから。自分自身の挑戦は社会を変える挑戦に繋がりますよ。そんな可能性が手の中にある、みなさんの中にあるっていうことですから。そう捉えると素晴らしい可能性しかないですよ。

● 日本人って動物としての本能みたいな部分がすごく弱くなっちゃっているんじゃないかなと思うんです。鋭敏に尖っていた部分が全て丸くなっちゃっているというか。平和ボケというか。あまりに無自覚で、無条件に世界を信じすぎている。それは信じるというより、もはや無思考に近い放棄具合というか。 浜田 弱くなってる。あまりにも抗菌思想というか・・・。 原田 抗菌・除菌。潔癖なところがある。(笑)
浜田 そう、抗菌・除菌。そして潔癖。 原田 世界は綺麗で美しい、みたいな性善説100%みたいな捉え方「しか」ないっていうのが問題なんですよね。変に潔癖なくせに、本当に危険なものを察知できないぐらい嗅覚だとか、触覚だとかみたいなプリミティブな動物としての本能が弱っちゃってるわけですよね。

 

●時間は、未来から現在に向かって流れている。  ・・・で、この原則を逆手にとって考えれば、裏技が見えてくる。  それは、未来は自分で勝手に決めればその流れになるということ。  だって、時間というのは未来から流れてくるんだから、先回りしてこれからやってくる未来をまず確定させてしまう。そうすれば、その流れにそって現実がやってくるってわけ。  これを俺は「確定未来」を決める、という表現をしている。~未来を自ら決めること・・・すなわち、未来を確定的なものとして認識することをしてしまうわけ。 「確定未来」という考え方は、つまり、未来を自分自身で確定してしまう、という発想だ。  未来から時間が流れているのだから、その未来の確定事項を決めてしまえば、エネルギーはその方向から流れてくる。つまり、イメージが現実に限りなく接近するような流れになる。  私も含めてだが、思い描いたことを実現するのが上手な人たちを観察していたり、会話をしていると、ほぼ例外なくこのパターンを使いこなすことが『当たり前』となっていることにあるとき気がついた。これは1つの法則と呼んでもいいんじゃないかというレベルで例外なく、夢を叶えたり、途方もないことを達成したり、何かの分野でナンバーワンになったりする人たちというのは、このパターンに従って生きている。

 


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