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2020年の振り返り+本ベスト5

年明け早々にコロナに感染し、4年も続けられた「1年の振り返り」が出来ていませんでした。おかげさまで、現在は、後遺症もなく、心も身体も、元気溌溂な毎日を過ごしております。と皆さんに報告していたのですが、実は、、、コロナ後、人生で初めて、いぼ痔になりました(^_^;) これがコロナの後遺症かどうかは分かりませんw

なかなか気まぐれな奴で、 1週間に1度くらいでしょうか、「やっほーい\(^o^)/」と存在感を示してきます。ひょっこりはんみたいに、気まぐれに登場してきますw 最初は気になって仕方が無かったんですけどね、段々慣れてくるもので、今では、朝起きて、まずは彼と挨拶するのが毎日の習慣になりました笑

まあ、この子が、コロナ後遺症の影響かどうかは分からないんですけど、とにかく基本的に元気ですw

2020年を振り返ってみると、改めて、不安定な世の中に翻弄されながらも、何とか生き抜き、駆け抜けて来たものだと、お尻の穴が「キュキュッ!」と引き締まるものです。今では、その不安定を前提にした日々を生きているような気もします。

コロナ禍の中で、社会が、経済がどうなるのか、緊急事態宣言が起きるのか起きないのか、不確実で、曖昧で、何が起きるか分からない、未来を予測しにくく、極めて険しい日々を過ごして来たように思います。

会社は、引き続き「IT×福祉」をテーマに、デジタル社会において障がい等のハンディキャップのある方々の活躍を後押しすることで、地域社会に貢献する取り組みに従事して来ました。このような御時世ではあるのですが、地道に成長を続けており、日本を中心にベトナムと韓国を含む3か国、210名ほどの規模感のチームとなり、事業開発と、組織開発の両輪を回しながら、多種多様な挑戦を続けています。

昨年は『過去に感謝し、未来に希望を持ち、今日という日を大切にする』というテーマを掲げていましたが、激動の時代に、改めて、本当に沢山の人たちの協力、支援によって生かされているということを実感し、僕たちらしい企業としての「型」や「文化」、そして複数の「新規事業」を創り上げ、多くの希望の種を仕込んできた1年となりました。

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さて、2021年は、公私ともに、改めて『反脆さ』を追求していくこととしました。

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まずは個として、変わること以上に変わらないことを見極め、万物の原理原則に抗うことなく、謙虚に素直に汎ゆる物事から学び、新たな環境にスピーディーに適応できる体技心を培っていきます。

またチームとして、不確実なウィズコロナの時勢を力強く生き抜くため、『環境に即応できる、変化に強い、反脆い』会社、事業、組織を創っていきます。結果として、コロナ禍においても、社員、社員の家族など、全社グループに関わるステークホルダーの皆々様が、心身ともに健やかに、より豊かに生きていける環境を創ることに貢献していきたいと思います。


””タレブは説きます。「衝撃を利益に変えるものがある。そういうものは、変動性、ランダム性、無秩序、ストレスにさらされると成長・繁栄する。そして冒険、リスク、不確実性を愛する。こういう現象はちまたにあふれているというのに、『脆い』のちょうど逆に当たる単語はない。本書ではそれを『反脆(はんもろ)い』または『反脆弱』(antifragile)と形容しよう」と。

つまり、「反脆弱性」とは、「なんらかのストレスや圧力により、かえってパフォーマンスが向上する性質」のことを意味します。

私たちの体も、運動というストレスをかけることで鍛えられ、健康になります。これも「反脆弱性」の一例と言えます。人間は、「確実性」を求めるが故に、その不確実性を排除することで、より頑健のシステムを構築にしようとしがちです。「組織」をつくるときも、いかに効率的で安定感のある「頑健な組織」を創ることに頭を悩ませがちです。しかし、「反脆弱性」という視点から、「持続できる組織」を設計するアプローチもできるのではないでしょうか?つまり、組織の設計段階から、意図的になんらかの不安定性やストレスを組織に埋め込むようにするのです。””


とまあ、理想を語っていますけれど、当然ながら、コロナ禍を、まずは自分が、自分たちが、サバイブする、生き抜いていくことは大前提です。地に足をつけながら、身近な人たちを守り、支えながらも、その環を拡げ、より多くの人たちに対して、自分たちの成長が、より多くの人達の課題を解決していけるような好循環を創っていくことにチャレンジしていきます。

というわけで、改めて、40歳になって、初めてコブ(いぼ痔)付き男子となりましたワタクシではありますがw,昨年に引き続き今年も宜しくお願い致しますm(_ _)m

では、5年目に入りました、昨年のお気に入り本ベスト10ですが、今年は、例年以上にレビューを書いておらず、ベスト5としました。

5位
放っておいて一貫した行動がとられるわけではない~良い戦略、悪い戦略~

”悪い戦略は、良い戦略を練り上げるためのハードワークを自ら避けた結果なのである。なぜ避けるのかと言えば、考えるのは大変だし選ぶのはむずかしいからだ。しかし相反する要求や両立し得ない価値観の中から選択をすることこそリーダーの仕事であり、それを放棄するとなれば、悪い戦略しか生まれない。~的を絞り込んだ戦略では、明確な目標にリソースを集中させる。そのためには、戦略目標以外からリソースを引き揚げて戦略目標に回さなければならない。これは、選択と集中の必然的な結果である。だが、それまで予算も人員も潤沢に投じられていた事業やプロジェクトを打ち切るのは、大きな苦痛を伴う。”

”良い戦略とは最も効果の上がるところに持てる力を集中投下することに尽きる。短期的には、手持ちのリソースを活かして問題に対処するとか、競争相手に対抗するといった戦略がとられることが多いだろう。そして長期的には、計画的なリソース配分や能力開発によって将来の問題や競争に備える戦略が重要になる。いずれにせよ良い戦略とは、自らの強みを発見し、賢く活用して、行動の効果を二倍、三倍に高めるアプローチにほかならない。~良い戦略は、知力やエネルギーや行動の集中によって威力を発揮する。ここぞという瞬間にここぞという対象に向かう集中が、幾何級数的に大きな効果をもたらすのである。これをテコ入れ効果(レバレッジ)と呼ぶ。”

4位
私たちは 今の生に対して 責任を負う~LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界~

”私たちがどれだけ長く健康でいられるようになっても、地球の資源を消費し尽くして身を滅ぼしてしまったら元も子もない。すべきことは明確である。人の寿命が長くなるかならないかにかかわらず、消費量を減らし、革新をさらに推進し、自然の恵みとバランスのとれた関係を築くのだ。それ以外に私たちが生き延びる道はない。”

”私はこれを変えたい──ほかの何にも増して。自分の孫はもちろん、その子どもにも孫にも間違いなく会うのだと、すべての人が思えるようにしたい。いくつもの世代が共に暮らし、共に働き、共に決断を下す。私たちは 今の生に対して 責任を負うのだ。なぜなら、過去に下した決断が未来に影響を与えていくからである。私たちには、家族の、友人の、そして隣人の目をまっすぐに見て、彼らが生を享ける前に自分たちがどう生きてきたかを説明する務めがある。”

3位
人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てる~21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩~

”つまり幸福を感じている人々が今を生きているのに対し、意義ある人生を送る人々には語るべき過去があり、未来に向けた計画があるということだろう。あるいは、意義はなくても幸せを感じて人生を送る人々は 受け取る人 で恩恵を受ける側であり、たとえ不幸を感じても意義ある人生を送る人々は 与える人 で恩恵を施す側ともいえるかもしれない。~結局、人生における意義とはたんに自分の欲求を満たすだけではなく、自分を表現することなのかもしれない。自分とはどういう人間かを明らかにする行動、信望を築く行動により、人生は意義あるものへと高められるのだろう。”

”一般にわたしたちが幸せだと感じるのは、健康で快適で安全で食糧があり、社会的なつながりをもち、性的に満たされ、愛されているときである。つまり、幸福感の機能とは環境に適応するための鍵を探すよう、わたしたちを駆りたてることなのだろう。このことは、人は不幸だと感じると状況を改善してくれそうなものを我先に得ようとし、幸せを感じるときには現状を大切にしようとすることからもわかる。  対照的に、人生の意義とは人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てることだ。”

2位
その決断が正解であるかどうかよりも、その決断を正解にしていく~1兆ドルコーチ~
”で、次のように指摘してくれた。 「私たちは親身になるべきか、厳しくすべきかのジレンマに陥ることが多い。社会科学者はリーダーシップについても、子育てについてと同じ結論に達している。つまり、それが誤った二分法だということだ。本当は親身になり つつ、厳しく挑戦を促すべきだ。高い基準と期待を示し、それに到達できるよう励ましを与える。いわば愛のムチだ。『人当たりの悪いギバー』は、表向きは無愛想で扱いにくいが、内心は相手のためを心から思っている。誰もが聞きたくないが誰もが聞く必要のある、批判的なフィードバックをあえて与える人たちだ」”

”彼は愛情や思いやり、気づかい、やさしさの文化をつくりあげた。仕事以外の生活を持つ、まるごとの存在として人々を心から気にかけ、熱狂的な応援団長になり、コミュニティをつくり、できるかぎり人の頼みを聞き入れ、力を貸し、創業者や起業家のために心のなかの特別な場所を空けておくことによって、その文化を生み出した。 偉大なチームを偉大たらしめているものの一つは、愛である。”

1位
人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破って結びつけていく~愛するということ、エーリッヒ・フロム~

””共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した 愛 は、 自分の全体性と個性を保ったままでの結合 である。愛は、 人間のなかにある能動的な力 である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。””

””誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆく。もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、私の愛は永遠だなどと、どうして言い切ることができよう。””

P.S.
2019年2018年2017年2016年のベスト本は、こちらからどうぞ。

人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破って結びつけていく~愛するということ、エーリッヒ・フロム~

皆さんは、「愛は、愛するということは、技術である」なんて考えたことがあるだろうか。この書籍のタイトルを一瞥して、中身を覗いてみようとさえしない日本人は多そうな気がするのですが、本当に学びに溢れていました。

”読む者の人生経験が深まるにつれて、この本は真価を発揮すると思う” と谷川俊太郎さんが仰られていた通り、いやはや、10代後半だったか20代前半に読んだ時とは、全く異なる読書体験をすることが出来たように思います。

それにしても、自分が、家族や社員、友人、社会を、世界を愛することが出来ているのか?とエーリッヒ・フロムさんに問われると、まだまだ足りないなあと思うわけです。

””愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも 与える ことであり、もらうことではない、と言うことができよう。””

””共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した 愛 は、 自分の全体性と個性を保ったままでの結合 である。愛は、 人間のなかにある能動的な力 である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。””

””人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、 ほんとうは、 無意識のなかで、 愛することを恐れているのである。  愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。””

何の保証もない中で行動を起こす、相手に求めず、自分らしさを失わず、人に与え、人と人を結びつける力なんぞ、自分が持ち得ているとは到底思えないのですが、だからこそ、愛を、愛するということを学び、強い信念を創り上げていくしかないのだとも思います。

益々分断が拡がる、この時代に、家族を、社員を、友人を、社会を深く愛して、人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破っていく、というのは、人生をかけて追求しがいのある挑戦だなあと感じました。

””愛することをやめてしまうことはできない以上、愛の失敗を克服する適切な方法は一つしかない。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。  そのための第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、 愛は技術である と知ることである。どうすれば人を愛せるようになるかを学びたければ、他の技術、たとえば音楽、絵画、大工仕事、医学、工学などの技術を学ぶときと同じ道をたどらなければならない。””

””技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることができる。一つは理論に精通すること、いま一つはその習練に励むことである。もし医学を習得したければ、まず人体やさまざまな病気についての多くの事実を学ばなければならない。しかし、そうした理論的知識をすべて身につけたとしても、それだけでは医学を身につけたことにはならない。実際の体験を山ほど積んで、理論的知識の集積と実践の結果が一つに融合し、自分なりの直観が得られるようになったときにはじめて、医学をマスターしたといえるのだ。””

””孤立しているという意識から不安が生まれる。実際、孤立こそがあらゆる不安の源なのだ。孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮できないということである。したがって、孤立している人間はまったく無力で、世界に、すなわち事物や人びとに、能動的に関わることができない。つまり、外界からの働きかけに対応することができない。このように、孤立はつよい不安を生む。””

””人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。この目的の達成に 全面的に 失敗したら、発狂するほかない。なぜなら、完全な孤立という恐怖感を克服するには、孤立感が消えてしまうくらい徹底的に外界から引きこもるしかない。そうすれば、外界も消えてしまうからだ。””

””どの時代のどの社会においても、人間は同じ一つの問題の解決に迫られている。いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人的な生活を超越して他者との一体化を得るか、という問題である。””

””現代の西洋社会でも、孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。集団に同調することによって、個人の自我はほとんど消え、集団の一員になりきることが目的となる。もし私がみんなと同じになり、ほかの人とちがった思想や感情をもたず、習慣においても服装においても思想においても集団全体に同調すれば、私は救われる。孤独という恐ろしい経験から救われる””

””生産的活動で得られる一体感は、人間どうしの一体感ではない。祝祭的な融合から得られる一体感は一時的である。集団への同調によって得られる一体感は偽りの一体感にすぎない。完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち 愛 にある。 自分以外の人間と融合したいというこの欲望は、人間のもっとも強い欲望である。それはもっとも根源的な熱情であり、この欲望こそが、人類を、部族、家族、社会を結束させる力である。融合を達成できないと、発狂するか、破滅する。自分が破滅する場合もあるし、ほかの人びとを破滅させる場合もある。この世に愛がなければ、人類は一日たりとも生き延びることはできない。””

””たとえば、つよい不安と孤独感にさいなまれて休みなく仕事に駆り立てられる人もいれば、野心や金銭欲から仕事に没頭する人もいる。どちらの人も情熱の奴隷になっており、彼の活動は、能動的に見えてじつは「受動的」である。自分の意志ではなく、 駆り立てられて いるのだから。””

””幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。””

””ほとんどの人は、愛を成り立たせるのは対象であって能力ではないと思いこんでいる。それどころか、誰もが、「愛する」人以外は誰も愛さないことが愛のつよさの証拠だとさえ信じている。これは、私たちが先に述べたのと同じ誤りである。””

””誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆく。もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、私の愛は永遠だなどと、どうして言い切ることができよう。””

””愛するという技術に関していえば、こういうことになる――この技術に熟達したいと思ったら、まず、生活のあらゆる場面において規律と集中力と忍耐の習練を積まなければならない。””

””いうまでもなく、いちばん集中力を身につけなければならないのは、愛しあっている者たちだ。ふつう、二人はさまざまな方法でたがいから逃げようとするが、そうではなく、しっかりとそばにいることを学ばなければならない。集中力を身につけるための習練は、最初のうちはひじょうにむずかしい。目的を達成できないのではないかという気分になる。したがって、いうまでもないことだが、忍耐力が必要となる。何事にも潮時があるということを知らず、やみくもに事を急ごうとすると、集中力も、また愛する能力も、絶対に身につかない。忍耐力がどういうものかを知りたければ、懸命に歩こうとしている幼児を見ればいい。転んでも、転んでも、転んでも、けっしてやめようとせず、だんだん上手になって、ついには転ばずに歩けるようになる。おとなが自分にとって大事なことを追求するのに、子どもの忍耐力と集中力をもってすれば、どんなことでもなしうるのではなかろうか。””

””客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が 謙虚さである。子どものときに抱いていた全知全能への夢から覚め、謙虚さを身につけたときにはじめて、自分の理性をはたらかせることができ、客観的にものを見ることができるようになる。””

””自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。””

人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てる~21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩~

コロナ禍という壮絶に悲惨な事態を前にすると、ひどく悲観的になり、鬱蒼とした気持ちにさせられる。少子高齢化の加速、所得格差の拡大などによって、多くの国で社会がどんどん不安定になっている。国内外の分断が煽られ、国際経済のブロック化と相まって、世界はまるで破綻へと進んでいるかのようにも見える。

そのような見方が支持を集める時代にあって、世界は決して絶望へ向かってなどいない、世界は進歩していると、多種多様なデータを活用して、僕たちに希望の光を照らし出してくれる書籍。

寿命が伸び、病気も減り、飢餓は減り、富は増大し、貧困は減少し、戦争が減り、災害で死ぬ人が減り、民主主義は広がった、と。さらに、人々に心配を与えている格差の拡大、環境問題、テロリズム、核戦争などの実存的脅威についても、言われているほど悲観すべきでない、と。

しかしまた、世界は段々良くなっていると主張すると、いやそんな事はない。トランプが台頭し、差別主義者が増え、戦争が起こり対立が深まっている!と反論する人が多い事も間違いない。人間は認知機能の仕組みからして、ネガティブな情報の方が記憶に残り易く、日々ニュースに触れる中で世界の状況が悪くなる一方だと感じるのも仕方がない側面がある。

そのような人間の習性を軽視せず、著者ピンカー氏は、人間のそうした本能を理性と共感によって乗り越える事ができる、と指し示してみせてくれる。人間は、「認知のゆがみ」「認知バイアス」といった、歪んだ認知に基づき、判断・行動してしまう。では、僕たちはどうすれば、正しく世界の現状を認識できるのか?と問い、その答えは「数える事」であると著者は語る。

「今生きている人が何人で、その中の何人が暴力の犠牲になっているのか」といった事を数え、それが過去から現在に向かい減っているのか増えているのかを見る事――。すなわち「データ」で世界をとらえ直す事、それによって啓蒙の理念の実践が確実な成果を上げている、上げていけるという事を示してくれる。

すべての問題が「危機的状況、大災厄、異常発生、存亡の危機」というわけではなく、すべての変化が「何々の終焉、何々の死、ポスト何とか時代の夜明け」というわけではない。課題や問題は決してなくならないけれど、解決し続けていけると信じ、行動する。

僕たちは常に、僕たちを打ち砕こうとする力(エントロピー)との向き合っているけれど、改善、改革にチャレンジし続ける事によって、進歩、進化して来ている(と信じられる)。僕たちはこの宇宙や世界、生命や心についても、段々と理解を深め、寿命は延ばし、苦しみを軽減させ、より多くを学び、より賢くなり、そしてより多くの喜びを得られるようになっている。

僕たちが完璧な世界を手に入れることは決してなく、そんな事を求めるべきでもないのだろうけれど、僕たちが人類の繁栄のために挑戦する事をやめないかぎり、人類の向上に限界はない、そう信じさせてくれるよう、著者ピンカーさんの主張には、とても共感できるものがありました。

””飛行機事故は必ずニュースになるが、それよりはるかに多くの命を奪っている自動車事故はほとんどニュースにならない。それはもちろん、空を飛ぶのは怖いと思う人が多いのに対して、車の運転を怖いと思う人は圧倒的に少ないからだ。また、アメリカ人は竜巻のほうが喘息より多くの命を奪うと思っているが(実際は米国の年間死者数は前者が五〇人で、後者が四〇〇〇人以上)、これもおそらく竜巻のほうがテレビ映えするからだろう。””

””ジャーナリズムの性質と認知バイアスが組み合わさると、相互に最悪の部分を引き出してしまうわけだが、だとしたら世界の状況を正しく評価するにはどうしたらいいのだろうか。答えは「数えること」である。今生きている人が何人で、そのなかの何人が暴力の犠牲になっているのか。何人が病気にかかり、何人が飢えていて、何人が貧困にあえぎ、何人が抑圧されていて、何人が読み書きができず、何人が不幸なのか。そしてその人数は増えつつあるのか、減りつつあるのか。定量的な考え方というと、なんだか生真面目でオタクっぽい感じがするかもしれないが、これは実は道義的にも賢明な方法だといえる。””

””心理学の研究論文によって、人は得を期待する以上に損を恐れ、幸運を楽しむ以上に不運を嘆き、称賛に励まされる以上に批判に傷つくと確証されている””

””経済学者のポール・ローマーはのんきな楽観主義(complacent optimism)〟と〝条件付き楽観主義(conditional optimism)〟を区別する。〝のんきな楽観主義〟とは、子どもがクリスマスの朝にプレゼントをひたすら待っているときの考え方である。対して〝条件付き楽観主義〟とは、ツリーハウスを欲しいと思う子どもが、それなら木と釘を手に入れて、ほかの子どもたちにも頼んで手伝ってもらえば、木の上に家をつくることができると理解しているときのような考え方である””

””つまり幸福を感じている人々が今を生きているのに対し、意義ある人生を送る人々には語るべき過去があり、未来に向けた計画があるということだろう。あるいは、意義はなくても幸せを感じて人生を送る人々は 受け取る人 で恩恵を受ける側であり、たとえ不幸を感じても意義ある人生を送る人々は 与える人 で恩恵を施す側ともいえるかもしれない。””

””結局、人生における意義とはたんに自分の欲求を満たすだけではなく、自分を表現することなのかもしれない。自分とはどういう人間かを明らかにする行動、信望を築く行動により、人生は意義あるものへと高められるのだろう。””

””一般にわたしたちが幸せだと感じるのは、健康で快適で安全で食糧があり、社会的なつながりをもち、性的に満たされ、愛されているときである。つまり、幸福感の機能とは環境に適応するための鍵を探すよう、わたしたちを駆りたてることなのだろう。このことは、人は不幸だと感じると状況を改善してくれそうなものを我先に得ようとし、幸せを感じるときには現状を大切にしようとすることからもわかる。  対照的に、人生の意義とは人生をさらに広げるような新しい目標を打ち立てることだ。””

””集団で暮らすホモ・サピエンスにとって、社会的孤独は一種の拷問であり、孤独によるストレスは健康や生命を脅かす大きなリスクになる。もし他者とつながりやすくなったせいで、逆にわたしたちがこれまで以上に孤独になっているとしたなら、現代社会を皮肉るジョークがもう一つ増えることになってしまう。””

””国が豊かになっていくかぎり、人はいっそう幸せを感じるようになるはずである。また孤独や自殺、鬱病や不安の蔓延という不吉な警告も、ファクトチェックによって誤りだと判明した。さらに、どの世代も自分より若い世代は困った事態になっていると懸念するが、世代が若くなるにつれ状況は良くなっており、ミレニアル世代は過干渉な親世代よりも幸福感が高くて、精神的にも健康な様子である。””

””自由の獲得という点からすると、若干の不安とは、自由という不確かな状態を引き受けるために、わたしたちが支払わねばならない対価なのかもしれない。言葉を換えれば、不安とは自由と引きかえに求められる警戒心、慎重さ、内省心のことなのだろう。””

””このように世界の状態を良い面と悪い面からの二通りで表したのは、何もわたしにだってちゃんとそれができることを──いわばグラスのなかの飲み物が「こんなに残っている」と話すだけでなく「こんなに減ってしまった」というふうにも話ができることを──示したかったからではない。そうではなく、進歩とはユートピアではないと念を押したかったからであり、わたしたち人類には常に進歩を継続しようと努力する余地が、というよりもむしろ責務があると強調したかったからである。””

””超予測者たちは頭がいいが、必ずしも天才ではなく、IQ分布でいうと人口の上位二〇パーセント以内といったところだった。また彼らは数字に強いが、ざっくり見積もるのが得意だという意味であって、数学の達人ではない。彼らの性格の特徴は、心理学者がいう「経験への開放性」(知的好奇心が強く、変化を好む) が高く、「認知欲求」(知的活動を楽しむ) が強く、「統合的複雑性」(不確実性を受け入れ、物事を多角的にとらえる) が高い。そして衝動的ではなく、最初の直観を信用しない。また左派でも右派でもない。必ずしも自分の能力に謙虚ではないが、特定の信念については謙虚で、それを「守るべき宝ではなく、検証が必要な仮説」として扱う。””

””この世界を理解するうえで、「これはこういうものだから」とか「つまり魔法だよ」とか「わたしがいうことに間違いはない」などといわれて、そうですかと引き下がらざるをえないことなどまずない。世界は理解可能だと考えることは、信じる信じないの問題ではなく、科学的に説明できる部分を増やしながら少しずつ立証していくことである。たとえば生命の仕組みにしても、以前は神秘的な 生の飛躍 で説明されていたが、今では複雑な分子同士の化学的・物理的反応によるものだとわかっている。””

””この物語は特定の部族のものではなく、人類全体の物語である。理性の力と、生きようとする衝動を備えた、すべての「感覚をもつ存在」のための物語である。なぜならこの物語に必要なのは、死より生が、病気より健康が、欠乏より潤沢が、抑圧より自由が、苦しみより幸福が、そして迷信や無知より知がいいという信念だけなのだ””

私たちは 今の生に対して 責任を負う~LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界~


あっという間に2020年も終わりを迎えようとしています。11月にもなると1年の終わりを予感し、気付けば12月を迎え、慌ただしい1ヶ月を走り抜け、新たな1年の決意をする。やりたいことが山ほどあって、人生の尊さを感じることが増えました。年ですかねw


先日、ファイザーが、90%の予防効果があるというコロナワクチンを発表し、株式市場は狂喜していましたが、専門性の高い医療業界・バイオテクノロジーの世界は、極めて激しく指数関数的な進化を遂げているらしい、ということを本書LIFESPANからも学びました。


バイオテック最先端の世界で、どのようなことが行われてきたか(過去)、行われているのか(現在)、行われていくのか(未来)について。


白状しますと「直近の科学的視点で、●●な行動を取れば、健康寿命が延びやすいよ!」程度の情報を獲得できれば良いかな、程度の気持ちで読み進めていましたが、全くの期待はずれ、おもいっきり裏切ってくれました、良い意味で。

人類がより長寿になる、それも圧倒的に若々しく健康寿命を延ばせることは大前提、その上で、この世界が、この社会が、どのように変化していくか、僕たちはどのように生きていくべきか、について考えさせてくれる書籍でした。
もちろん妄信的に全てを鵜呑みにできるような情報ばかりではないのですが、それにしても、非常に興味深い思考実験をさせてもらえました。この週末は、偶然にも沖縄が誇るケラマブルーの世界を堪能しておりまして、この景色や自然を未来に遺していくことを、あれこれ考えさせてもらいました。



”私は約 25 年にわたって老化を研究し、何千本という科学論文を読んできた。そんな私にできるアドバイスが 1 つあるとすれば、「食事の量や回数を減らせ」である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。”


”1978 年には、 100 歳以上の住民が多いことで知られる沖縄で、生体エネルギーを研究する香川靖雄が 1 つの発見をした。沖縄の児童の摂取する総カロリー量が、本土の児童の 3 分の 2 に満たなかったのである。当時の沖縄では成人の総カロリー量も少なく、本土の成人より約 20% も低かった。沖縄の人々は長生きするだけでなく、健康寿命もまた長いことに香川は気づく。しかも、脳血管系疾患、悪性腫瘍、心臓病が非常に少なかった ”


”断食と運動を 組み合わせ たら、寿命は長くなるのだろうか? 間違いなくその通りだ。その 2 つをどちらもうまくこなせるなら、おめでとう、あなたの願いはじきに叶う。”


”ファインマンの言葉には、引用したくなる名言が非常に多いが、科学者がこの先もずっと座右の銘とすべきは次の言葉だろう。「何より大事なのは、けっして自分を欺かないことだ。そして、自分とは最も欺きやすい人間である」。”


”リプログラミングの安全性が高まって、予防目的でも使用できるようになると、倫理問題はより一層複雑になってくる。何歳でリプログラミングが行なわれるべきなのか。リプログラミングのスイッチを入れる抗生物質を処方されるには、まず何らかの病気を発症しなければだめなのか。主流の医師たちが支援を拒んだ場合、人々は海外を目指すことになるのか。この技術によって医療費が著しく削減されるなら、リプログラミングを義務化すべきなのか。”


”より長く健康な人生を子どもたちに与えてあげられるのなら、私たちにはそうする道義的責任があるのか。子どもの眼を治したり、脊髄の損傷を回復させたりするのにリプログラミングが役立つのなら、何も事故が起きないうちからリプログラミング遺伝子を体内に導入しておくべきなのだろうか。そうしておけば、いざというときにも救急車の中で抗生物質の点滴をするなどして、ただちにリプログラミングのスイッチを入れることができる。  ”


”疑問はまだある。敢えて老化することを選ぶ権利もすべての人に与えるべきなのか。それともその選択は、ほとんどのワクチンがそうであるように、個人と人類双方の利益を考えて判断されるべきものなのか。若返る選択をした人たちは、そうではない人たちのためにやはり医療費を支払わなくてはいけない? 人より早く家族の重荷になるのを承知のうえでリプログラミングを受けないのは、倫理にもとる行為になるのだろうか。”


”希望は私たちすべてにある。人間は男女を問わず、 115 歳より長く生きられるのを私たちは知っている。過去にはいたし、これからだって現われる。たとえ 100 歳の誕生日までにしか届かないにしても、八十代と九十代を素晴らしい時代だったと振り返れる人生を送るのは夢ではない。”


”私たちは、病気の発見・診断・治療のやり方が根本から新しくなる世界に向かって進んでいるということだ。「まず症状ありき」という欠陥あるアプローチはまもなく変わろうとしている。私たちは症状の先回りをするのだ。ずっとずっと先まで。さらには、「なんとなく調子が悪い」の先も行く。明確な症状として現われる前に、遺伝子を調べることで判明する病気はたくさんある。きわめて近い将来には、事が起きる前に個人の DNA をスキャンしておくことが、歯を磨くのと同じくらい当たり前のものになるだろう。いつのまにか医師たちは、「もっと早く見つかっていれば」という言葉をあまりいわなくなっているのに気づく。ついには、そんな言葉をいっさい口にしなくなる日が来る。”


”高齢の有権者は高齢の政治家を支持する。現状を見ると、政治家たちは七十代や八十代で引退することを頑なに拒んでいるかのようだ。”


”高齢者が多少偏った考えに囚われていても、「昔はそうだったから」といって私たちはたいがい大目に見ている。そこには、我慢するのもどうせ長いことではないという思いも働いている気がする。ところが、六十代の有権者が、あと 20 年や 30 年ではなく 60 年か 70 年先まで投票を続けるとしたらどうだろうか。サーモンドのような男が、半世紀どころか 丸々 1 世紀 のあいだ議員の椅子から離れなかったら?”


”健康な 寿命を延ばすことができれば、社会の投資は何倍にもなって戻ってくる。労働力として貢献できる期間が長ければ長いほど、その見返りは大きい。だからといって、人が仕事をし続け なくてはいけない といっているわけではない。社会からの投資を返し終えたら、そして自活できるなら、気の済むまで好きなことをすればいいと思う。ただ、今よりずっと長く健康でいられる生物へと私たちが進化していくにつれて、どういう人が働くべきかという古い固定観念がたちまち改められていくのは間違いない。”


”労働市場はピザではない。切り取れるピースの数が決まっているわけではないのだ。誰もが 1 切れもらうことができる。それどころか、男女を問わず高齢者の労働参加が増えることは、社会保障制度の破綻という懸念を解消する特効薬になるかもしれない。制度を維持するための答えは、人々を 無理やり 長く働かせることではなく、働きたい者が働くのを 許す ことである。元気なまま数十年間長く仕事をし、それに伴う給与と敬意とメリットを得ることができるなら、そうしたいと願う人は大勢いる。しかも、意味ある仕事を通して、人生の目的を見出すことができるのならなおのことだ。”


”健康寿命が延びたときに社会がどんな恩恵を受けるかを考えるとき、この側面が注目されることはほとんどないかもしれない。しかし、これこそが最も大きなメリットとなる可能性を秘めている。時間が刻々と過ぎていくのがそれほど怖くなくなれば、 ことによると 私たちは急ぐのをやめ、深呼吸をするようになるのではないか。”


”私たちがどれだけ長く健康でいられるようになっても、地球の資源を消費し尽くして身を滅ぼしてしまったら元も子もない。すべきことは明確である。人の寿命が長くなるかならないかにかかわらず、消費量を減らし、革新をさらに推進し、自然の恵みとバランスのとれた関係を築くのだ。それ以外に私たちが生き延びる道はない。”


”私はこれを変えたい──ほかの何にも増して。自分の孫はもちろん、その子どもにも孫にも間違いなく会うのだと、すべての人が思えるようにしたい。いくつもの世代が共に暮らし、共に働き、共に決断を下す。私たちは 今の生に対して 責任を負うのだ。なぜなら、過去に下した決断が未来に影響を与えていくからである。私たちには、家族の、友人の、そして隣人の目をまっすぐに見て、彼らが生を享ける前に自分たちがどう生きてきたかを説明する務めがある。”

放っておいて一貫した行動がとられるわけではない~良い戦略、悪い戦略~

10月半ばに久々の経営合宿。
そこで、読みかけの書籍を早起きして見直しておりました。

いよいよ200名という規模感の会社となり、対峙する課題、機会の大きさが指数関数的に増えています。
常に謙虚に素直に、日々是新たに、学びですね。


良い戦略、悪い戦略

・良い戦略は、第一に、狙いを定めて一貫性のある行動を組織し、すでにある強みを活かすだけでなく、新たな強みを生み出す。

・悪い戦略とは、戦略が何も立てられていないという意味ではなく、また失敗した戦略を意味するのでもない。悪い戦略では、目標が多すぎる一方で、行動に結びつく方針が少なすぎるか、まったくないのである。多くの人が戦略というものを誤解している。大方の経営者は、目標を掲げることだけが自分の仕事だと心得ているらしく、矛盾する目標や、どうかすると実行不可能な目標を得々として発表する。そのような「戦略」では壮大な言葉遣いが高揚感を演出し、中身のなさを隠している。

・良い戦略は、一つか二つの決定的な目標にエネルギーとリソースを集中投下し、それを達成することによって次々と新しい展開へとつなげていく。これに対して悪い戦略では、いろいろなことを詰め込みすぎてごった煮状態の目標が掲げられていることが多い。  

・悪い戦略は、良い戦略を練り上げるためのハードワークを自ら避けた結果なのである。なぜ避けるのかと言えば、考えるのは大変だし選ぶのはむずかしいからだ。しかし相反する要求や両立し得ない価値観の中から選択をすることこそリーダーの仕事であり、それを放棄するとなれば、悪い戦略しか生まれない。

・良い戦略は重要な課題にフォーカスする。となれば当然、たくさんある課題の中から選びとる作業が必要になる。どれかを選んで残りは捨てなければならない。この困難な作業をやらずに済ませようとすると、ごった煮ができあがってしまう。

・的を絞り込んだ戦略では、明確な目標にリソースを集中させる。そのためには、戦略目標以外からリソースを引き揚げて戦略目標に回さなければならない。これは、選択と集中の必然的な結果である。だが、それまで予算も人員も潤沢に投じられていた事業やプロジェクトを打ち切るのは、大きな苦痛を伴う。

・戦略の極意は、ほんとうに重要な問題をみきわめ、そこにリソースや行動を集中することにある。これは、非常に厳しい。何かに集中すれば、それ以外を捨てることになるから。

・会社という複雑なシステムはてんでんばらばらに動こうとする傾向があるが、それを抑えて一つにまとめる力が働くという意味で、戦略の力はまさに強制的と言える。大きな組織では、放っておいて一貫した行動がとられるわけではない。どこかで指揮をとり、方向づけをすることが必要である。行動のコーディネーションは、戦略がない限り実現しないという意味において、組織にとって自然発生的なものではない。

・良い戦略とは最も効果の上がるところに持てる力を集中投下することに尽きる。短期的には、手持ちのリソースを活かして問題に対処するとか、競争相手に対抗するといった戦略がとられることが多いだろう。そして長期的には、計画的なリソース配分や能力開発によって将来の問題や競争に備える戦略が重要になる。いずれにせよ良い戦略とは、自らの強みを発見し、賢く活用して、行動の効果を二倍、三倍に高めるアプローチにほかならない。

・良い戦略は、知力やエネルギーや行動の集中によって威力を発揮する。ここぞという瞬間にここぞという対象に向かう集中が、幾何級数的に大きな効果をもたらすのである。これをテコ入れ効果(レバレッジ)と呼ぶ。