報酬体系の多様化とポスト資本主義~お金2.0 新しい経済のルールと生き方~


 

社会や歴史の授業で、数千年とか、数百年の単位で、なんちゃら革命が起きたというようなことを学んできたけれど、今まさに、今こそ、そういう教科書に載ってしまうような革命の、ど真ん中に居るのだろうな、と感じることがある。

 

そして、それは、テクノロジーの流れ、すなわち、IT革命や、AI革命という文脈で語られるものだと、ずっと考えていたのだけど、そういうコンテキストではなく「経済のルール」が変わるという新たな潮流が生まれていることを、身近に感じるようになって来た。

 

 

本書の著者である佐藤航陽さんは、この本に書かれているような内容を、かなり前から語ったおられた。2年前に出版された「未来に先回りする思考法」にも、以下のように書かれている。

 

”「これから私たちの社会がどう変化していくのか」は、現在の社会をどれだけ真剣に眺めていてもわかりません。巷にあふれる未来予測本を読んでも、おそらくわかることはないでしょう。ニューヨーク・タイムズの例を挙げるまでもなく、私たちはいつも未来を予測し、そして外し続けてきました。人は未来を見誤るというのも、私たちが持つパターンのひとつです。 また、「何十年後にこうなる」という未来予測の結論のみを知ったところで、そこに至るまでのプロセスがわからなければ、一切応用が利きません。   しかし、もしも社会が進化するパターンを見抜いていれば、状況が変わっても未来を見通すことが可能になります。そのための汎用的な思考体系をお伝えするのが本書のテーマです。”

 

このような問いを持ち、およそ2年間、思考、実践を繰り返され、上梓なされた「お金2.0 新しい経済のルールと生き方」について、佐藤さんは、『このような思索については、数年来、構想してきたものだが、ようやく時代が追いついてきたので、出すことを決めた』というようなことを仰っていました。事実、佐藤さんのブログには、今年、大衆にも分かりやすい形で台頭してきた新たなパラダイムを、前もって言い当てているエントリーが、多数並んでいます。

 

佐藤航陽のブログ
http://katsuaki.co

 

例えば、2014年7月7日 に投稿されているエントリーで、すでに、「価値主義」を提唱なさっておられました。

 

ポスト資本主義社会を考えてみた:『価値主義』と『情報経済』

 

”情報技術の普及と共に「お金」を中心とした資本主義から貨幣換算が難しい「価値」を中心とした社会に移りつつあるとすれば、これをとりあえず「価値主義」とでも呼んでおくことにします(安易なネーミングw)。”

 

僕が、面白いと思う佐藤さんの考察の中で、経済の構造を、自然の構造と仮説し、掘り下げている箇所があります。

 

”経済が自然を模した仕組みでありその一部であると捉えた時、自然の構造をより深く考察してみたくなりました。  自然がここまでバランスよく成り立っている要因としては、前述の「極端な偏り」「不安定性・不確実性」というネットワークの性質に加えて、さらに3つの特徴があげられます。”

 

僕は、タレブが提唱する「反脆弱性」に没頭しているせいか、この考察に、とても惹かれました。

 

”「絶えずエネルギーが流れるような環境にあり、相互作用を持つ動的なネットワークは、代謝をしながら自動的に秩序を形成して、情報を内部に記憶することでその秩序をより強固なものにする」”

 

本書で述べられている価値主義に則れば、これから、どのような志向性を持つことが、生きやすいのか?という問いについて、一定の示唆を得ることが出来ると思いますが、僕が言うには、改めて、「反脆弱性」を意識し、身につけていくことが肝要なのだと思うに至りました。

 

 

”ネットが十分に普及した世界では、「どれが一番正しいのか?」という考え方ではなく「どれも正しい、人によって正解は違う」という考え方が徐々に受け入れられても良いはずです。1つに統一しなければいけないというのは、レイヤー化された世界が技術的にありえなかった過去の時代の考えです。  つまり、私たちがどんな職業につき、誰と結婚して、どんな宗教を信じ、どんな政治思想を持つのも個人の自由であるのと同様に、何に価値を感じて、どんな資産を蓄え、どんな経済システムの中で生きていくのかも自分で選んで自分で決められるようになっていく。私たちはその過程にあります。  そこでは優劣を決めようとしたり自分の基準を他人に押し付ける必要は全くなく、ただ個人が自分に最も適した経済を選んでいくという「選択」があるだけです。”

 

自分が、経済を選べる存在なのだ、と認識できたとしても、「反脆弱性」を身につけることが出来ているかどうかによって、自己選択したパラダイムの中で、より幸福感を得やすいかどうかが決まるのではないかと思うのです。

 

これは、今の僕が、言語化できる範囲で、とても便利な表現であると認識しているからなのですが、僕にとっては、以下のような習慣を持つことこそ、「反脆さ」を創り上げる最上の方法なのではないかと考えます。

 

”何かの疑問が浮かんだら、それに関する情報をかき集めて読み漁り、自分なりの仮説を立てて、試してみる。そうすると次の疑問が浮かんできて、同じようなことを毎週繰り返していく。休日に情報を整理し仮説を組み立てて、平日は実務を回しながら検証を行い、また休日には平日に得た結果を元に次の疑問と次の仮説に繫げていく。 ”

 

”掘り進めていくと何か重要なものが隠れているような感触がありますし、皮を剝いては玉ねぎの芯に近づいているような気分でもあります。根気よく続けていくと、たまに非常に重要な法則性が見つかったり、全く関係ないように見えていた様々なものに普遍性があったり、自分の偏見や常識が覆る場面に遭遇します。そんな気づきを得られた瞬間は毎回とても衝撃的です。自分が世界の真実に直に触れたような感覚になり、そこで得た気づきをすぐに試してみたくなったり、そこから派生する別の疑問が湧いてきたりと、まさに本書でも紹介したように快楽物質がドバドバと分泌されている状態です。  その体験を通して得られる刺激が大きすぎて、それに比べると日常生活で感じる快楽は非常に色褪せた退屈なもののように映ってしまっていました。これがこのような生活に没頭し続けていた理由です。”