insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力


本書は、自己認識の重要性について科学的に検証し、体系的に説明してくれ、成功者やリーダーの意見を基に、自己認識の根源や高め方、自分の真の能力を過大評価してしまう恐ろしい状況から抜け出す方法などを提案してくれます。

””このテーマについて長年研究してきた結果、私は「 自己認識は二一世紀のメタスキルだ」と言うまでに至った。本書を読み進めれば分かるように、現在の世界における成功にとって極めて重要な各種の力──心の知能指数、共感力、影響力、説得力、コミュニケーション力、協調力など──は、 すべて自己認識がもとになっている。””

””本書に向けたオンライン調査をおこなってようやく、この認識の乖離の驚くべき原因を突き止めた。たしかに、ブラッドベリー博士の調査は実に五〇万人という膨大な人数を含むものだったが、彼の出した結論は調査した人びと 本人の「 自己評価に基づくもの」だった。それがどういうことか少し考えてみてほしい。自分が知るなかで最も心の知能指数が低いと思われる人を数人思い浮かべてみよう。その人たちに心の知能指数を自己評価してくださいと尋ねたら、賭けてもいいがその人びとは 最低でも 平均以上の評価をくだすと思わないだろうか。そこで、ブラッドベリーによる発見は、言い方を変えて、 自分が考える自分と、他人が見る自分の差が大きくなってきている とする方が、遥かに現実に近い。つまり、EQの 上昇 に見えたものは、自己認識の 低下 を意味している可能性が高いのだ””

””職場であれ、家庭であれ、学校であれ、遊びであれ、 私たちは他人の認識不足はすぐに責めるが、自分に認識が欠けているか自問することは(あるとしても) 極めて稀である。その典型例を紹介しよう。まさに本書の読者となり得る人びとに私がおこなった調査では、九五パーセントもの人が、自分は一定程度もしくはかなり自己認識力があると回答した!””

興味深かったのは、「内的自己認識」と「外的自己認識」についての解説です。内省が自己認識の手段とされてきましたが、本書では内省は考えるツールであり、知る手段ではないと指摘しています。

””内的自己認識 は、自分自身を明確に理解する力のことを指す。それは 自分の価値観、情熱、野望、理想とする環境、行動や思考のパターン、リアクション、そして他者への影響に対する内的な理解 のことだ。内的自己認識の高い人物は、本来の自分に見合った決断をくだし、より幸せで満足度の高い生活を送る傾向にある。””

””外的自己認識 は、外の視点から自分を理解すること、つまり 周りが自分をどう見ているかを知る力 だ。外的自己認識に長けた人びとは他人の視点から自分自身を正確に理解できるため、より強固で信頼度の高い関係を築くことができる。外的自己認識に欠けた人びとは、反対に、自分がどう見えるか分かっていないため、周りからのフィードバックで不意打ちを食らうことがある(周りが伝える勇気を持っていればの話だ)。””

””そうすると、内的自己認識ができる人は、外的自己認識もできると想像するのは自然なことだ──自分の気持ちや感情をよく知っていることは、自分がどう見られているかを察知するのにも役立つだろうと思うはずだ。しかし不思議なことに、私の研究でも他の研究でも、この二つには 何の相関関係も見られない ことが多かった──いくつかの研究では反比例するとさえ示されていた! あなたの知り合いにも、自分のことを考えるのは大好きなのに、周りからどう見られているかはほとんど理解していない人がいるかもしれない。””

””要するに、真の意味で自分を知るには、自分自身を知ると 同時に 自分がどう見られているかを知る必要がある。しかも、その状態へ至る道のりは、多くの人が考えているものとは実に大きく異なる。そう言われて身構えたり、噓じゃないかと感じたとしても、安心してほしい。私の研究では、 自己認識は驚くほど伸ばすことができるスキル であることが分かっている。””

””自己認識をひとつの旅と捉えるなら、インサイトはその道中で起こる「アハ」体験だ。自己認識という高速を走る高出力のスポーツカーに燃料を与えるものだ。そんな燃料を得て、私たちはアクセルを踏む。燃料がなければ、路肩に乗り上げてしまう。””

さらに、本書では組織における自己認識の重要性やリーダーの役割についても言及し、組織全体が現実を把握し、メンバーが自己認識を持つことが求められると述べています。リーダーは自己認識の手本となるだけでなく、メンバーが正直にフィードバックできる環境を作る必要があるとしています。

””「コックニーの青年の旅」  ロンドン下町っ子と呼ばれるコックニーの青年は、同じロンドンに住む人から「あなたは何者か?」と尋ねられると、誇りを持って「私はコックニーだ」と答えた。そんな彼が同国オックスフォード州を訪れ「あなたは何者か?」と問われると、「ロンドン人だ」と答えた。さらに彼はフランスに渡り、同じ問いに「私はイギリス人だ」と答えた。同じように、アジアに行けば「ヨーロッパ人だ」と答え、将来、宇宙を旅して、違う星の人に尋ねられたら、「私は地球人」と自らを紹介するだろう。言うまでもなく、「彼」は同じ人。つまり、彼は出会う人ごとに、自己(アイデンティティ) を変化させるのだ。自分の存在とは、己だけで成り立たず、他者と向かい合うことによってはじめて確立される。””

僕自身の体験で言えば、狭い世界とはいえ自分なりのアイデンティティが確立され始めた27歳で、なんのゆかりもない韓国に、何者でもない人間として働き始め5年ほどを過ごし、ようやく言葉にも慣れ生活を整えた矢先に、またもや何者でもない寧ろマイノリティとしてベトナムで暮らし始め、言語も何もわからない中で5年間を過ごし、今度は沖縄、九州とド・スタートアップさながらで、カプセルホテルや、社宅を転々として、東京に凱旋的帰国をしている。

何度も、自分のアイデンティティをぶち壊して来た(壊さざるを得なかった)中で、所詮、自己認識などというものは、外部環境によっていとも簡単に変わってしまうのである、ということが身に染み込んでいる。

””結局のところ、この世には二種類の人間が存在する──自分には自己認識があると思い込んでいる人間と、実際に自己認識している人間だ。この世界を後者で満たしたい、というのが私の大きな願いだ。自己認識にとっての障害は無数にあるが、外からの視点といくつかの強力なツールを持ってすれば、それらを乗り越えていくことも不可能ではない。そうして乗り越えたとき、まったく新たな次元の自信と成功の礎を手に入れることになる。何にしても、インサイトがなければ、自分に喜びと幸せをもたらす道筋を描くこともできない。””

というわけで、ついつい、同じような環境に長くいると、自分が何者かっぽくなって来てしまうが、定期的に付き合う人や、住まい、仕事、時間など、大きな環境変化を創り出すことで、自己認識を刷新しながら生きていきたいと感じました。

””猛烈な変化の引き金となる爆弾を落とした。「重要なのは目標じゃない、重要なのはそこへ至るまでのプロセスだ」  ランチタイムに得たその金言が、ベンの言うように、「この惑星に自分が存在する理由を探る」一年にわたるプロセスに入るきっかけとなった。死ぬまでにしたいことのリストを増やすのではなく、自分自身に向けて遥かに核心的な問いを投げかけ始めた。自分がこの人生に 本当に 求めていることは何だ?””

””目標の設定は比較的簡単であるものの、それが必ずしも真のインサイトや完璧な幸福につながるわけではないということも示している。「自分は何を達成したい?」ではなく、より良い問いは「 本当は人生に何を求めている?」だ。目標はいったん達成されると気が抜けたり物足りない気分になる可能性があるが、願望は決して完全に達成されることはない。毎朝目を覚ますと、やる気で満たしてくれるものなのだ。また、仕事を辞めて世界を旅するといったうらやましい身分になくても、人はみな自分がこの惑星に存在するあいだに何を経験し成…””

””自分の価値観を知り、自分が情熱を燃やすものを知り、人生で何を経験したいか知ることで初めて、自分にとって理想的な環境を思い描くことができるようになる。サムの例を思い返してみてほしい。苦労して最初に勤めた会社を辞め、彼は幸運にもキャリアのかなり早い時期に、自分が一番フィットする環境に対する貴重なインサイトを得たのだった。自分と同じ価値観を持ち、自分の愛することをさせてくれる会社を見つけることは、自分を疲弊させるのではなく力づける環境を見つけることに等しかった。そしてどんな生活環境や、職場や、人間に囲まれていたいかを考える際、「フィット」にとって一番の指標になるのが「エネルギー」だろう。結局のところ、あなたの環境はエネルギーを生むものだろうか、それとも奪うものだろうか?””

””では、どうすればピースをひっくり返す方法を学ぶことができるのか? そのひとつのアプローチが、 過去にした予測と実際の結果を比較検証する習慣を身につける ことだ。著名な経営学者のピーター・ドラッカーは、自身も二〇年以上活用してきたシンプルで実践的なプロセスを紹介している〔 43〕。重要な決断を下すたびに、そのとき自分が考えた将来の予測を書き記しておくのだ。それから、何か上手くいかなくなったときに、過去におこなった予測と、実際に起こったことを比較する。””

””盲点を最小化する二つ目のテクニックは、特に自分がすでによく知っていると思っている分野をひたすら 学び続けること だ。一九九九年の記念碑的な研究で、デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、能力が低くて自信過剰な人物でも、ある作業のパフォーマンスが向上するように訓練を受けると、実際に能力が向上しただけでなく、以前は自分に能力が足りていなかったことにも気づくことを突き止めた〔 44〕。心から継続的な学びに尽力すること( 自分は分かっているという気持ちが増せば増すほど学びが必要になってくる、と自分に言い聞かせること) は、認識の盲点を乗り越え、自身の影響力を高める効果的な方法だ。””

””そして最後に、 自分の能力や行動に対するフィードバックを求める べきだ。これまでに紹介してきたすべてのツールのなかで、自分を見つめ、三つの盲点を克服する手助けとなる可能性が一番高いのが、客観的なフィードバックだ。それはなぜか? のちに語るように、周りの人間には必ずといっていいほどいつも、こちらには見えないものが見える。そのため、職場であれ家庭であれ、自分に真実を告げてくれる人を周りに置いておく必要がある。””

””どうすれば、色メガネをかけるべきときと、外すべきときを見分けることができるだろう? 目安としては、 絶え間なく挑戦を続けてきて気力を養う必要があるときや、粘り強く続ければ成功できる場合は、フィール・グッド効果が役に立つ。これはオーディションなどで落とされることが日常茶飯事の役者のような仕事に特に当てはまる。さらに、「出版するか、消え去るか」の科学の世界にも当てはまる。ダニエル・カーネマンは、「ありとあらゆる失敗が繰り返され成功はめったにない、というのが大方の研究者の運命である〔 39〕。自分の研究の重要性について妄想を抱けない人間は、そうした状況に直面したらすっかり気落ちしてしまうにちがいない」と語った。しかしここにはひとつ極めて重要な注意事項がある。色メガネをかけて自分の道に固執する前に、その道が実際にどこかへ行き着くものであるかを確かめなければならない。””

””ユニコーンたちの方が多くの時間(およそ二〇パーセント以上) をソーシャルメディアに費やしていることが分かって驚いた。ただし、その時間の使い方が大きく違った。ログインしてセルフィーや、まもなく向かうバケーションについてや、最新の仕事の成果について投稿するのではなく、ユニコーンたちは他人と真に関わり合い、つながりを維持するためにソーシャルメディアを利用していた。五〇代の起業家であるユニコーンは、私たちにこう語った。「ソーシャルメディアは私が大切に思っている人たちが何を考えているかを見せてくれるものです。私はフェイスブックに多くは投稿しませんが、気持ちを高めるものや、笑えるものや、特別なものを週に数回シェアするように心がけています。写真を投稿するときは、木にとまるワシや夕暮れの写真が多いです。周りとシェアできる美しいもの、ということです」。””

””ここでのメッセージは明快だ。自己陶酔を脱して自己認識へと至るには、 インフォーマーになろうと励むこと ──つまり、自分への注目を減らし、他人と関わり、つながっていくことだ。次の二四時間は、オンラインでもオフラインでも、自分がどれだけ自分のことを話していて、どれだけ自分以外のことに注意を払っているか観察してみよう。「ミーフォーマー」になりたくなる会話のトピックや投稿があるときは、自分にこう問いかけよう。「これをしてどんな効果を狙ってる?」。気をつけてほしい、これは初めのうち簡単なことではない。本書に取り組み始めてから、私はこのテクニックを使い始めたものの、自己陶酔への引力がずいぶん強くて驚いた。この問いかけのおかげで、これまで気づかなかった多くの行動が明らかになった。それからというもの、私は特にオンライン上で、自分の見せ方を変えようと努力した。数日のあいだ実践してみれば、必ずや驚くようなことを発見できるだろう。  一方で、他人へ関心を向けること自体は、「自分教」と戦う助けにならない。関心を向けるだけでなく、自分自身の能力に対する、より現実的な視点が必要になる。言い換えれば、 謙虚さを養うこと だ。””

””なぜと問うと、人は被害者のメンタリティになってしまうんです。だから永遠にセラピーへ通うことになる。心の平穏が乱されたとき、わたしは「何が起こってる?」と自分に声をかけます。「自分は何を感じてる?」。「自分のなかでどんな会話が繰り広げられてる?」。「どんな風にすれば、この状況を別の観点から眺められる?」。「よりよく対応するためには何ができる?」  そのため内的自己認識においては、 なぜではなく何 というシンプルなツールが、かなり大きな効果をもたらし得る。””

””「なぜ」の質問は自分を追いつめ、「何」の質問は自分の潜在的な可能性に目を向けさせてくれる。「なぜ」の質問はネガティブな感情を沸き起こし、「何」の質問は好奇心を引き出してくれる。「なぜ」の質問は自分を過去に閉じ込め、「何」の質問はよりよい未来を作り出す手助けをしてくれる。  事実、「なぜ」から「何」への変化は、被害者意識から成長への変化 だ。””

””ユニコーンたちの多くが、短い、的を絞ったチェックをおこなう習慣があると語っていた(ベンジャミン・フランクリンのように)。建築家から起業家となったあのジェフは、自身のプロセスについて、こう語った。「批判的な第三者の立場になって、こう問うんだ。『今日の自分はどうだった? 今日の過ごし方を自分はどう感じる?』」  内省(あるいは、もっとひどく、反芻) に時間を費やすのではなく、日々のチェックは、その日に下した選択を振り返り、パターンを検討し、上手くいった点といかなかった点を観察することに使うべきだ。””

””毎晩五分の時間を作ってみよう──帰宅中の車のなかでも、食後にゆっくりしているときでも、ベッドに入ったあとでもいい。意識的に自分にこう問いかけてみよう。 今日は何が上手くいった? 何が上手くいかなかった? 何を学び、明日からどのように賢くなれる?””

””愛のない批判者と無批判な熱愛者にフィードバックを求めるべきでないなら、誰に求めればいいのだろう? 答えは 愛のある批判者 だ。正直でありながら、心底こちらのことを思ってくれる相手だ。しかしこの理想の相手は、明らかにそうと分かる人物だとは限らない。最も近しい人(パートナーや親友など) が、一番の愛ある批判者だと考えがちだが、こちらを一番よく知っているというだけでは、この役には不十分だ。考慮すべき要素が、他にもいくつかある。  そのひとつが 相互信頼の度合い だ。愛ある批判者は、あなたが死体を埋めるのを手伝ってくれたり、深夜二時に刑務所から逃げるのを手伝ってくれたりする相手である必要はない(そんなことをしてくれる友人が必要にならないことを願う)。しかし愛ある批判者は、心からこちらのことを思ってくれているであろう相手でなければならない。自分に近しいからといって、必ずしも信頼できるわけではない。相手のことを長く知っているほど、そして実際に関わり合いがあるほど、関係は複雑なものになる可能性がある(「 友のフリをした敵」という言葉は、特にこの状況を言い表すために生まれたものだと思う)。長く複雑な関係の歴史を持った相手を選んだからといって、必ずしも役に立つフィードバックが得られないというわけではないが、必要以上に複雑な対話となり、感情に負荷がかかる可能性がある。””

””愛のある批判者を見つける三番目にして最後の要素は、 こちらに対して残酷なまでに正直になる意志と能力 があるかどうかだ。それを測る一番のものさしは、相手がこちらに厳しい真実を告げてくれたことがあるかどうかだ。しかしそうした体験がなくても、別の状況でそれを推し量ることができる。自分の考えを伝えることを恐れない人物は、そうすることが気まずさを生む場合でも、愛ある批判者となる可能性が高い。””

””この話のポイントは、外的自己認識を得るにあたって、真実を求めることは必要だが、それだけでは十分ではないということだ。 真のインサイトを得るには、真実を聞く方法を学ぶ必要がある ── ただ単に「耳を傾ける」のではなく、本当の意味で「聞く」必要がある。これを簡単なこととは言わない。実際、私がおこなうコーチング指導においても、フィードバックに対するありとあらゆるネガティブなリアクションを目にしてきた。叫び、涙、沈黙、拒絶、挙げればきりがない。人は自己イメージに固執することで精神的な安らぎを得るという間違った行動をとってしまうため、怒って防衛的になったり(スティーヴを覚えているだろうか?)、逃げ出したくなったりする(文字通りの意味でも、耳を傾けないとか、やりすごすとか、なかったことにするという意味でも)。ユニコーンたちですらも足をすくわれる。しかし言い訳をしたり、言い逃れをしたり、フィードバックを八つ当たりだとか偏見だと責めたりするときというのは、ただただ自分が損をしている。結局のところ、自分の観点にばかりこだわっているとき──プリズムに光を通すのではなく、鏡のなかばかりを見ているとき──は、必ずしも自分が見ているものが正しいとは限らない。””

””最初から一つのことが明らかだった。会社の文化を変革しようとするのなら、まずは役員チームから始めねばならない、ということだ。彼が起こした最初の変化は、事業の進捗を検討する週に一度のミーティングを設定することだった。そのミーティングを彼はビジネス・プロセス・レヴュー(BPR) と呼んだ。その他の非効率的な会社規模のミーティングをすべて止め、BPRは「認識すること」を目的にした── 全員がプランと、そのプランの進捗と、会社が直面している難題についての現実を把握してもらう ことが目的だった。””

””BPRは毎週同じ曜日の同じ時間(木曜の朝七時) に開かれ、役員チームは全員出席が必須である。役員たちは新車種の開発から収入の流れ、そして生産性に至るまで、三二〇項目について点検する。各項目は色づけされている。緑は順調に進んでいて、黄色は潜在的な問題を抱えており、赤は致命的な問題を抱えている。ムラーリー体制下の九人の役員たちは、ムラーリーいわく「すべての関係者が利益を得られることを目指し、刺激的で、実行可能で、収益を上げ、成長を続けるフォードを生むための各部門の進捗」について一〇分間の簡潔な報告をおこなう。ムラーリーは、このミーティングが安全なものであることを強調した──誰も問題を持ち出すことをためらうべきではないし、真実を告げたからといって誰も罰したりはしない。ミーティングのやり方は学んでいけばいいから、何か分からないことがあっても構わないと彼は告げた。””

””まず、彼は自身のビジョンを再び明確にした。 各自が力を合わせ、 効率的なグローバル企業として自動車業界を牽引する。それを達成するためには、全員が、自分の担当部門で起きているすべての事柄についてオープンになる必要があると彼は念を押した。「それこそが、私が知る組織運営の唯一の方法です」と彼は言った。「全員に参加してもらう必要があります。全員に認識を持ってもらう必要があります。そして力を合わせて赤を黄色に、そして緑に変えていくのです」””

””すると、とてつもなく重い沈黙のなかから、予想外の音が聞こえてきた。アラン・ムラーリーの力強い拍手だった。「マーク、よく知らせてくれた!」。彼は笑みを浮かべていた。全体を向いて、ムラーリーは尋ねた。「マークを助けるには何ができる?」。すぐに、役員のひとりが解決策を提案し、すぐさま取りかかった。  これを見たムラーリーは、ようやく役員チームが実りあるBPRをできたと希望を持った。ところが翌週、またもすべてのスライドが緑で大いに落胆した。しかしその日役員チームは、多くを物語る光景を目にした。サンダーバード・ルームに入っていくと、マーク・フィールズが微笑むムラーリーの隣に座っていたのだ。マークは解雇されなかったどころか、称えられさえしていた。これが、戦いに疲弊した冷笑的な役員たちが必要としていた決定的な安心材料となった。役員たちは心から信じるようになった──自分たちは新しい世界にいるのだと。翌週、それぞれがBPRに向けて用意したスライドは、赤や黄色の宝石が入り乱れる輝く虹のようだった。””

””それ以降、あらゆるレベルで役員チームは自己認識への 公道 を突き進んでいった。個人のレベルでは、自分への期待を理解し、自分を制限する考えや振る舞いと向き合うようになり、チームのレベルでは、事業をめぐる環境や、事業計画や、事業の進捗を把握するようになった。しかしながら、こうした情報を手にしたのは、役員チームだけではなかった。社内全員に信頼が置かれ、社員たちは会社の向かう先や、自身の役割や、個別の状況を把握することが求められた。これらの情報は組織外の関係者たち──顧客、投資家、ディーラー、サプライヤー、そして世間にも伝えられた。””

””自分についてや、周りが自分をどう見ているかを理解することが個人レベルでの自己認識だとするなら、自己認識を持つチームとは、力を尽くして同様の理解を集団レベルで得ることだ。より具体的に言えば、自己認識を持つチームは五つの物事を定期的に評価し対処している〔 7〕。それらを 集団的インサイトの五つの基礎 と呼ぼう。一つ目は、 目的 だ。何を達成しようとしている? 二つ目は、その目的に向けた 進捗 だ。進行状況はどうなってる? 三つ目は、その目標を達成するための プロセス だ。どうやって目標を実現させる? 四つ目は、自分たちの事業や、その環境に対する 前提 だ。それは正しい認識だろうか? そして最後の五つ目は、 個々人の貢献 だ。各メンバーはチームのパフォーマンスにどんな影響を与えている?””

””心理的安全性は、信頼だけでは十分ではない。単にチームのメンバーが心から互いのことを信頼するだけでなく、心理的安全性のあるチームはさらに一歩踏み込んで、互いへの尊重や、思いやりや、心づかいを見せている。それを実現するには、互いのことを弱点や欠点を持つ生身の人間だと認識する必要がある。実際、グーグルによるリサーチでは、心理的安全性を生むのに最も大きく貢献する要素は、 弱さを見せること、つまり自分の欠点を進んで周りに認めることだと判明した。しかも、それはトップから始めなければならない。レヴィ・キングは言う。「多くのリーダーは、『(弱さを見せたって) 安全ですよ』なんて言うが、自ら進んでそうしようとはしない。口だけのものにしてはダメなんだ。””

””しかし自己認識の道に真の意味での「終わり」がないという事実は、その旅を極めて魅力的なものにしてもいる。どれほどのインサイトを手にしても、つねにまだ先がある。それを誰より理解しているのが私たちのユニコーンだ。ユニコーンたちは自己認識を「自分のあり方」だと見なし、いつも高い優先順位を置いている。そしてユニコーンでない私たちは、どの程度の自己認識から始めようと、誰もが人生を通してインサイトを広め、深め続けることができる。  そのプロセスに取り組むなかで、驚くことや、ありがたみを感じることや、難題を投げかけてくる物事に出合うだろう。そして新たなインサイトを手にするたびに、「じゃあ次はどうする?」という問いがやってくる。本書の冒頭で、私は自己認識を「二一世紀のメタスキル」と呼んだ──自己認識とは、充実した人生にとって必要条件ではあるが、十分条件ではないということだ。””