『反応してはならない』という警鐘に、逆に『反応し過ぎないように』


 

ここ数年、瞑想的なこと、仏陀的なことに、関心があって、
様々な実験をしてきたし、様々な書籍に触れてきた。
数多の言葉に触れてきたが、本書は、相当に分かりやすく、
非常に実践的なものだな、と感銘を受けた。

僕は、いわゆる資本主義的なものに、ズッポリ浸かりながら、
終わりのないマラソンを走り続けている気分に憂鬱を感じることもあり、
なんともまあ、満足感を持続させることが難しいと考えることが多々あった。

アントレプレナーとして、ベンチャー経営者として、
「成長」「競争」「利益」を追いかけ続けている。

いわゆるビジョナリーな想いをもって、
世界に、社会に、貢献したいというような大義や大志には迷いがない。

しかし、そのようなビジョン、ミッションとは異なる、
自分の精神的支柱のようなものを、しっかりと据えていかなければならない、と、
強く考えてきた中で、本書で表現されるシンプルな言葉たちは、
気持ち良く、僕の血肉と化していった。

自分らしく生きるということは、どのようなことなのか。

『環境や刺激に「反応」しないようにすべき』みたいな警鐘に、
逆に、『「反応」し過ぎないようにする』ことが出来るようになるかもしれない。

まだまだ「道」を定めるには早過ぎるが、
少しずつ、自分らしく、生きていくための字固めを始めている気がする。
【抜粋】
● 勘違いされやすいのですが、反応しないことは、無理してガマンすることや、無視すること、無関心でいることではありません。悩みを増やしてしまうようなムダな反応を〝最初からしない〟こと。怒りや、不安や、「どうせ自分なんて」と暗い気分が出てきたら、すばやくリセット・解消することです。

● ブッダの教えとは「心のムダな反応を止めることで、いっさいの悩み・苦しみを抜ける方法」のことです。その内容は大きく二つ──①心の反応を見ること、②合理的に考えること。

● 漠然とした満たされなさ、「このままでいいのだろうか」という思いはあっても、「悩みの正体」がわからないから、なかなか解決できません。仕事でも、家族の中でも、くやしさや、怒りや、失望、落ち込み、不安といった思いを抱えても、解決できる「考え方」を知らないから、いつまでも満たされなさは続きます。

● ブッダの考え方は、私たちが日頃抱えている「悩み」を「理解する」ことから始まります。①「悩みがある」②「悩みには理由がある」③「悩みには解決策がある」と、順を追って「理解」していくことで、どんな悩みも確実に解決できるというのが、ブッダの合理的な考え方です。

● 「ある」ものは「ある」と、まず理解すること。わたしには満たされなさ・未解決の悩みがある、と自覚すること。 解決への希望は、そこから始まります。

● 〝求める心〟は、発生後〝七つの欲求〟に枝分かれします。現代心理学の知識を借りると、七つの欲求とは、①生存欲(生きたい)、②睡眠欲(眠りたい)、③食欲(食べたい)、④性欲(交わりたい)、⑤怠惰欲(ラクをしたい)、⑥感楽欲(音やビジュアルなど感覚の快楽を味わいたい)、そして、⑦承認欲(認められたい)です。

● 現代の私たちにとって最も切実なテーマは〝承認欲〟──「認められたい(認めてほしい)」という欲求です。これは人間だけにある欲求で、動物にはないのだそうです。

● こうした思いを作っているのは、「自分を認めてほしい」──注目してほしい・愛してほしい・評価してほしい──という承認欲です。この欲求で外の世界に反応すると、「周りは期待に応えてくれない人間ばかり」だから、不満や物足りなさを感じます。人間も世の中も「なっていない!」と憤慨したりします。

● 「承認欲」は、人の目が気になってしまう性格や、嫉妬心、比較して優劣や勝ち負けにこだわってしまう心理など、さまざまな悩みの原因になっています。 「この反応の理由は承認欲だ」と理解しないと、つい反応して、人の目を気にして、嫉妬に駆られ、較べたり、競争したりして、舞い上がったり、落ち込んだりと、動揺しまくりの人生を繰り返すことになります。

● 承認欲という「反応の原因」がわかれば、ずいぶんラクになります。「でも、あの人(家族・世間)に認められたところで、それが一体なんなのだ?」と、超クールに考えられるようにもなります(ほんとに、それが一体何だというのでしょう)

● もしあなたが、これ以上悩みを増やしたくない、充実感を大事にしたいと願うなら、テキトーな反応、妄想を減らすことです。そのために「カラダの感覚を意識する」ことを習慣にしてください。

● 人は三つの執着によって苦しむ。①求めるものを得たいという執着(だがかなわない)。②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる)。③苦痛となっている物事をなくしたいという執着である(だが思い通りにはなくならない)。 では、これらの苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因である〝執着〟が完全に止んだ状態なのだ。

● 仕事なら、「利益が上がる」「働きやすい環境につながる」「業務が円滑に進む」ような判断が、正しいことになります。大事なのは「役に立つか」という視点です。

● 人間というのは、一部しか見ていない──そもそも立っている場所も、見ているものもまったく違う──にもかかわらず、すべてを理解した気になって、「自分は正しい」と思い込んでいる。

● 正しく理解する者は、「自分が正しい」と思うこと(慢)がない。 だから、苦しみを生み出す「執着の巣窟」(わだかまり)に引き込まれることはない。 ──スッタニパータ〈あるバラモンとの対話〉

● 「人は人。自分は自分」という明確な境界線を引くのです。 この考え方ほど、大事なことはありません。世の中にはたしかに、判断好きな人がいます。しかし、自分も同じことをする必要は、ありませんよね。 自分の心は、自分で選ぶこと、決めること──つねに自由に、独立して考えなさい

● 「つい反応してしまう」状況にあってこそ、あえて大きく息を吸って、吐いて、覚悟を決めて、相手を「ただ理解する」ように努めましょう。そして、心のもう半分を、自分の内側の反応を見ることに使うのです。

● 驚かれるかもしれませんが、心理学の一説には、心は一日に「七万個」もの想念を思い浮かべるのだそうです。「約一・二秒で一個の思い」です。心というのは、それくらい目まぐるしく回転しつづけているのです。これは「心は無常である」ことの一つの例です。

● もう一つ大切なことは、「相手と理解し合う」ことを最終ゴールにすえることです。 人と関わるときに大事なのは、「反応しないこと」だと学びました。しかしこれは、相手に無関心でいるとか、「我慢する」ことではありません。

● 苦しめ合うために、関わっているのではない。 理解し合うために、お互いの幸せのために、関わっているのだ。

● 「比較」が、承認欲に始まる妄想にすぎないとすれば、早めに足を洗うことが正解です。本当は、もっと他にやるべきことがあるからです。 「承認欲」を満たしたいなら、そのための「正しい努力」をしましょう。三つの条件があります。 ①認められたい気持ちをモチベーションにして、今の仕事・生活を「改善」していく。 ②どんなときも「自分のモノゴトに集中」する。 ③「自分で納得できる」ことを指針(基準)とする。

● あなたが出家でもするつもりがないかぎり、承認欲は大切にしてよいと思います。「ライバルに負けたくない」「勝ってプライドを守りたい」「評価してもらえるような成果を上げたい」「もっと能力を磨きたい」──それが活動のエネルギーになってくれるなら、大いに頑張ろうではありませんか。

● ただ生活を楽しみたいというなら、問題ありません。でも、「自分には大切な目標がある」「どうしても結果を出したいことがある」というなら、なるべく「反応に逃げない」ことをルールにしましょう。「手を伸ばしたいのをぐっと我慢する」のです。

● 嫉妬から自由になるというのは、まずは、相手に目を向けている状態から「降りる」ことです。相手は見ない。「相手は関係ない」と考えて、怒りからも降りる。さらに、「他人と同じ成果を手に入れたい(他人と同じになりたい)」という妄想からも降りることです。 そうやって、嫉妬という感情から、まず完全に降りてしまいます。

● 足元を見て、できることを積み重ねる。改善を重ねていく──こういう努力は、自分の内側だけを見て、今立っている場所からスタートすればよいので、とてもラクだし、自然です。もはや嫉妬とは無縁になります。努力する自分自身の道のりを、謙虚に楽しみながら生きていけます。

● 貢献という動機に立てば、「では、この場所で自分にできる役割は何だろう?」と最初に考えることになります。そのときに、本当の〝自分にぴったり合った人生〟がスタートするのです。

● 究極のところ、人間の動機は「貢献」です。どんな人も、「お役に立てればよし」なのです。貢献という動機に立って、できることをして、暮らしが立って、ほんの小さな喜びや楽しい出来事が日々に見つかったら、もうそれで十分ではありませんか。

● 人は何かを求めて生きている。だが、求めることには、二種類あるのではないか。つまり、間違ったものを求めることと、正しいものを求めることだ。 間違ったものを求めるというのは、老いと病と死という〝喪失〟を逃れられない人間でありながら、いつまでも老いず、病まず、死なないことを求めることではないか。 正しいものを求めるというのは、この間違いに気づいて、〝喪失〟を乗り越えた、人間的な苦悩から離れた生き方を求めることではないか。 今の私は──間違ったものを求めて生きているにすぎない。 ──ゴータマ若き日の苦悩 アングッタラ・ニカー

● 「納得」を人生の方向性にすえるなら、あとは時間をかけて、近づいていけばよくなります。日々の仕事や家事も、「自身が納得できること」を基準にすれば、外の世界に振り回されることは減っていくでしょう。

● もちろん、ままならない現実、わかり合えない人間は、これからも現れてくるでしょう。しかし、そういうときこそ、いたずらに反応せず、ぐっと目を閉じて、心を見つめて、「正しい心がけ」に戻りましょう。そうすれば、「納得」が残ります。

● 心によりどころを持つこと。正しい方向性を見すえること。生きていく上で何よりも大切なのは、こうした〝道〟──生き方──を確立することです。

● 「この道を歩んでいけばいい。きっと納得にたどり着ける」と、人生を信頼できるようになります。

● 「この生き方に間違いはない。いざというときは、この心がけに帰ろう」戻るべき心の場所、よりどころさえ見つかったなら、あとは「時間の問題」です。今日をよく生きることだけ大切にしていれば、きっと「最高の納得」へとたどり着けることでしょう

 

 


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