歴史の大局を見渡す ──人類の遺産の創造とその記録


2021年上半期に、Kindle安売りキャンペーンやっていて何の背景や理由もなく、即ポチリして、読んでしまった書籍。

””歴史とは、遺産の創造とその記録と言える。進歩とは、豊かな遺産を築いて守り、伝え、使うことである。人間の愚考と罪を戒めとするだけではなく、創造的な人々がいたことを記憶するために歴史を学ぶと、過去は陰鬱な恐怖の部屋から「天の都」に変わる。・・・私たちは自分の人生を意味のある物にしよう。死後も大切なものとして残る何かを成し遂げよう。幸運な人は亡くなる前に自分の民族の遺産をできるだけたくさん集めて、それを子供に引き渡すだろう。そして最期のときまで、この尽きることのない遺産に感謝する。なぜなら、それは人を育む母であり、私たちの永遠の命であるからだ。””

よく、不真面目な側面を持っている割に、なんとも、生真面目すぎると、揶揄されることが多いのですが、本当に、ふとした瞬間に、””自分の人生を意味のある物にしよう。””とか、””死後も大切なものとして残る何かを成し遂げよう。””とか、本気で考えてしまう人間なんですね。

そもそも、なんで自分は、この世の中に生まれたのか、何のための人生なのか、人生に意味はあるのか、そういうことを、何度も考えてきました。もう、自分の人生を問い続けるような、自分探しの時期は、卒業しているように思います。10代後半から20代前半くらいまでは、ずっと自分の人生を問い続けてきて、一人バックパッカーに出て、「人生は問うものではない問われるものだ」みたいな考え方に変わって、それ以来、自分の人生と向き合うよりも、目の前の多種多様なチャレンジに夢中になってきたように思います。

まあ、そんなこんなで、たまに、歴史を振り返り、自分のちっぽけな存在に向き合い、謙虚になろうとすることが大事だな、と。そういう風に考えることが出来る、面白い書籍でした。

以下、引用。

””歴史から得られる生物学的教訓は、まず、人生は競争だということである。競争は生きていくうえで必要というだけでなく、命を賭けたものでもある――食料が十分あれば平和だが、食料が不足すると争いが生じる。動物は何のためらいもなく互いの肉を食べる。文明化した人間は適正な法の手続きのもとに相手を破滅させる。協力も確かに存在し、社会の発展とともに強化される。しかし、それは協力が競争のための手段であり、競争の一形態でもあるからだ。私たちは他の集団――家族、コミュニティ、クラブ、教会、政党、「人種」、国家――との競争で強い力が発揮できるよう集団内で協力する。他と競う集団には他と競う個人と同じ特性がみられる。それは所有欲や好戦性、排他性、自尊心である。国は個人の集まりであり、私たちそのものと言える。””

””歴史から学べる第二の生物学的教訓は、人生は淘汰だということである。食べ物や配偶者、権力をめぐる争いで、ある者は勝利し、ある者は敗れる。生存競争では、他より有利に試練に立ち向かえる力を備えた者がいる。””

””人は生まれながらにして不平等で、文明が複雑になるにつれ不平等は深刻化する。遺伝的な不平等が社会的かつ人工的な不平等を生みだす。発明、発見をするのは常に並外れた能力をもつ者であり、強い者はさらに強く、弱い者は相対的にさらに弱くなる。経済発展は機能の分化を進め、能力の差を明らかにし、集団にとって全員が同じ価値をもつ状況ではなくなっていく。””

””自由と平等が手をとり合うのを自然がほほ笑みながら見ているというのは、ユートピアでの話である。自由と平等は深い恨みをいだく永遠の敵同士で、一方が栄えると一方が滅びる。人を自由にすると、不平等が幾何級数的に拡大する。””

””第三の生物学的教訓は、生き物は子孫を増やさなければならないということである。どんどん繁殖することのできない生き物は、自然にとって用無しである。質のよいものを選択するための前提条件として自然は量を重視する。多数の子が競い合い、競争に勝ったわずかなものが生き残るのがよいわけだ。無数の精子が一つの卵子を目ざして泳いでいくのを自然は満足げに見ているに違いない。””

””人口が増えすぎて食糧不足になったとき、自然はそのバランスを回復するために三つの策を用意している。それは、飢饉、疫病、戦争である。トマス・マルサスは主著『人口論』(一七九八年)で、こうした調整が定期的に行われないかぎり、出生率が死亡率をはるかに上回り、食糧生産を増やしてもとても追いつかないだろうと述べた。マルサスは牧師で善良な人物だったが、貧しい人に福祉金や物資を与えても早婚と多産を助長するだけで、問題が深刻化すると指摘した。””

””豊かな人物に従って、環境の変化に応じて生き残るための新しい策を講じる。歴史は大きくとらえると、少数者の争いである。多数者は勝者を称え、社会実験の実験台となる。  このため、歴史には知性が不可欠である。だが、知性は社会を破壊する力ともなる。新しいアイデアを一〇〇考えだしたとしても、従来の伝統的なやり方にまさるものは一つあるかないかだろう。どんなに優秀で博識だったとしても、一生の間に社会の慣習や制度を十分理解し、正しい判断のもとにそれを捨て去るのは不可能である。慣習、制度は、歴史という研究室で行われた長期に及ぶ実験に耐え、何世代にもわたって受け継がれてきた知恵だからである。””

””新しいアイデアが反対にあって、ひどい言葉を浴びせられるのもよいことなのだ。これは試練であり、新しいものが人類に受け入れられるためには、これを乗り越えなければならない。高齢者が若者に抵抗し、若者が高齢者を刺激するのもよいことだ。この緊張関係が、男女間、階級間の対立と同じように、創造的な強い力を生みだし、進歩を促す。そして人々は気づかないうちに団結して行動するのである。””

 ””戦争、政争、災難、貧困、姦通、離婚、殺人、自殺という血で染まった正面玄関のその奥には、何百万ものきちんとした家庭、愛情に満ちた結婚があり、優しくて情愛が深く、子どもに手を焼きながらも幸せな男女がいる。記録に残る歴史の中にも人間の善良さ、高潔さを示す出来事は多数あり、人が犯した罪を忘れることはできないが、許すことはできる。隣人愛は戦場や刑務所での残忍さをほぼ帳消しにする。歴史をざっとながめただけでも、人の助け合う姿は多数みられる。””

””富の集中はごく自然な避けようのないことで、暴力的、あるいは平和的再配分によってときどき緩和される。この視点からとらえると、経済史とは、富の集中と強制的再配分という収縮・弛緩を繰り返す社会的有機体のゆっくりとした心臓の鼓動であるといえよう。””

 ””人間は自由を愛する。しかし、社会における個人の自由には何らかの規制が必要なことから、自由の第一条件は制限である。無制限に自由を認めると、自由は混乱の中で死んでしまう。したがって、政府の第一の務めは秩序の確立である。個人の力は合わせると大きいが、分散している。それに代わる唯一の力は組織化された政府の力である。力は自然に中心に集まる。力が分割され、弱められ、散らばってしまっては何の効果もないからだ。””

””私たちは文明を「文化的創造を促す社会的秩序」と定義した[(67)Our Oriental Heritage, I.]。文明とは、慣習、モラル、法によって守られる政治的秩序、生産と交換の継続によって保たれる経済的秩序である。そして、アイデア、文学、様式、芸術の創作、表現、実験、結実のための、自由と便宜による文化的創造でもある。それはまた、複雑で不安定な人間関係とも言えるが、苦労して築き上げても壊れるのは早い。””

””歴史家は人間の存在意義を見出すことができなくても嘆きはしないだろう。彼らにとって大切なのは人が何をしているかである。私たちは自分の人生を意味のあるものにしよう。死後も大切なものとして残る何かを成し遂げよう。幸運な人は亡くなる前に自分の民族の遺産をできるかぎりたくさん集めて、それを子どもに引き渡すだろう。そして最期のときまで、この尽きることのない遺産に感謝する。なぜなら、それは人を育む母であり、私たちの永遠の命であるからだ。””

目次

第1章 ためらい

第2章 歴史と地球

第3章 生物学と歴史

第4章 人種と歴史

第5章 人の性質と歴史

第6章 モラルと歴史

第7章 宗教と歴史

第8章 経済学と歴史

第9章 社会主義と歴史

第10章 政治と歴史

第11章 歴史と戦争

第12章 発展と衰退

第13章 進歩は本物か