2022/9/10頃。
2022年は、しないことを決めることが出来た1年でした。
会社の成長とともに選択肢が増えたこともあって、あれこれもと多様なチャレンジをしてきました。都度、僕たちなりの合理性に基づき、最適な意志決定をしてきたはずなのですが、想定通りに、新規事業は成功することなく、収入は想定以下、支出は想定以上である時期が続きました。経営として、過去の意志決定が誤りであったと認めるべきであると判断し、リーダー、マネージャー陣を集め、正直に、その背景や実情について説明し、理解を求めました。そして、達成したいことをできる限りシンプルにして、そのシンプルな目標に、皆で集中していこうと、コミットしましました。
本書にある通り、あれもこれもと、選択肢を増やすこと、「選択肢を確保する」こと、の誘惑に負け続けた結果とも言えるかもしれません。所詮は、結果論であり、あれもこれもと、仕込んだ種が、しっかり芽を出し、果実を実らせていたならば、これらの意志決定は、評価されるものでしょう(もちろん、あれもこれも仕掛けて成功していても、あれこれ仕掛けず、そのリソースを集中させていたら、もっと大きな成功を収めていた可能性も残っているのですが)
””「選択肢を確保する」という誘惑に負けないことだ。選択肢を増やすというのは、要するに困難な決断から逃げることにほかならない。「そのせいでチャンスを逃してしまったら?」と、ためらう気持ちもあるだろう。でも考えてみれば、何らかのチャンスを逃すことは──いや、ほとんどすべてのチャンスを逃すことは──当たり前の現実だ。そうでなければ、そもそも決断に価値はない。 何かに時間を使うと決めたとき、僕たちはその他のあらゆる可能性を犠牲にしている。その時間にできたはずのことは山ほどあるけれど、それでも僕たちは、断固として、やるべきことを選ぶのだ。””
””人は1日のうちに何百もの小さな選択をする。そのたびに、できるかもしれなかった無数の可能性を永遠に切り捨てている。「decide(決める)」の語源となったラテン語のdecidereは、何かを「切り離す」という意味だ。選択肢を捨てるニュアンスだが、同時に「殺人」や「自殺」のような言葉とも近い関係にある。 限りある人生を生きるということは──それがどんなに最高の人生であっても──絶え間なく可能性に別れを告げる過程なのだ。””
””一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。そう考えるなら、「選べなかった選択肢を奪われた」という被害者意識を持つ必要はまったくない。 メニューから何かひとつしか選べないことは、けっして敗北なんかじゃない。決められた時間のなかで「あれ」ではなく「これ」をする、という前向きなコミットメントだ。自分にとって大事なことを、主体的に選びとる行為だ。 「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与えるのだ。これは人生のあらゆる場面に当てはまる。たとえば結婚に意味があるのは、その他の(ひょっとすると同じくらい魅力的な)相手をすべて断念して、目の前の相手にコミットするからだ。 この真実を理解したとき、人は不思議な爽快さを感じる。「失う不安」のかわりに、「捨てる喜び」を手に入れることができる。 選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。あなたが何を選ぶとしても──家族を養うためにお金を稼ぐ、小説を書く、子どもをお風呂に入れる、ハイキングに出かけて地平線に沈む淡い冬の太陽を眺める──、それはけっしてまちがいではない。本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選び取った結果なのだから。””
本書は、「人生はたった4000週間、限られた時間をどう過ごすか!?」と問うてくれてるわけですが、上述の通り、会社経営においても、自分の人生経営においても、「選ばないということを選ぶ」ことが、とても大事であるということを教えてくれます。そして、その選ばない、何もしない、ということが、簡単ではないことも教えてくれるわけです。
””自分の4000週間を有意義に過ごすためには、「何もしない」能力が欠かせない。何もしないことに耐えられない場合、単に「何かしないと気がすまない」という理由で、まちがった時間の使い方を選んでしまいがちだ。 ””
ゆえに、僕たちは、限られた人生を、限れれた時間を、限られたリソースを使いこなすために、選ばない、何もしない練習が必要であると、それは、欲求を抑える練習とも言い換えることが出来るようです。宣伝方法が、いまいち(過剰)だったので、おすすめ本とするほどでもないかとは思いましたが、2022年、「選択しないという選択」によって、会社経営の方向性に、あまりにも大きな影響を与えることになったので、選定してみました。あれこれも、手を出してしまいがちな方に、おすすめの書籍の1つ。
””「失う不安」のかわりに、「捨てる喜び」を手に入れることができる。 選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。あなたが何を選ぶとしても──家族を養うためにお金を稼ぐ、小説を書く、子どもをお風呂に入れる、ハイキングに出かけて地平線に沈む淡い冬の太陽を眺める──、それはけっしてまちがいではない。 本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選びとった結果なのだ””
””それでも、哲学者たちの思想には、日々の生活を変えてくれるような発見が詰まっている。たとえば、限られた時間ですべてをやろうとするのではなく(そんなことは不可能だ)、やらないことをいかに選ぶか。どうやって心安らかに物事をやらない か。結局のところ、作家グレッグ・クレッチが言うように、僕たちは上手に先延ばしするスキルを学ぶべきなのだ 1。 人生は先延ばしの連続だ。やりたいことを全部できるわけがないのだから、誰もが大量の先延ばしアイテムを残して死ぬことになる。 大事なのは先延ばしをなくすことではなく、何を先延ばしにするかを賢く選択することだ。 本当にやりたいことができるように、その他をあえて放置する。何らかのタイムマネジメント術が役に立つかどうかを知りたいなら、「やらないこと」を正しく選ぶのに役立つかどうかを見れば
””「人生でやりたいことのトップ 25 をリストアップし、それをもっとも重要なものから重要でないものへと順番に並べてみなさい。そのうち上位の5つに時間を使うといい」 そこまでは、よくあるアドバイスだ。でも残り 20 項目について、バフェットは意外なことを言った。「残りの 20 項目は、捨てなさい」と。 優先順位が中くらいのタスクは、邪魔になるだけだ。いつかやろうなどと思わないで、ばっさりと切り捨てたほうがいい。それらは人生のなかでさほど重要では~」””
””空想のなかでは、どんな選択肢も捨てる必要はない。仕事で大成功しながら、家事や育児も完璧にこなし、日々マラソンのトレーニングに打ち込み、長時間の瞑想をし、地域のボランティア活動に参加する。想像するだけなら、それは可能だ。でも実際にそのうちの何かをやろうとすると、すぐにトレードオフに直面する。何かで成功するためには、別のことに費やす時間を減らさなくてはならないからだ。ベルクソンは言う。 「無限の可能性でふくれ上がった未来の観念は、未来そのものよりもいっそう豊かであり、そしてこれこそ、所有よりも希望に、現実よりも夢に、よりいっそうの魅力が見いだされる理由である 」 現実世界でのあらゆる選択は、できるかもしれなかった無数の生き方を失うことに直結する。厳しいけれど、それが現実だ。現実逃避をやめて、喪失を受け入れることができれば、有害な先延ばしに陥らなくてすむ。出口のない優柔不断から抜けだすことができる。 何かを失うのは、当然のことだ。 だから、もう心配するのはやめて、手放そう””
””世の中のさまざまな慣習も、実はこの洞察にもとづいてつくられていることが多い。結婚だってそうだ。「幸せなときも困難なときも」一緒にいることを誓うのは、うまくいかなくても逃げださないと約束することで、より満足度の高い関係性を手に入れるためだ。その他の無数の可能性(どこかにいる理想の人)をあえて捨てたほうが、目の前の相手にコミットできて、結果的に幸せな生活を送ることができるのだ。 思いきってひとつを選び、無限に広がっていた可能性を封印する。これは前章で述べた「捨てる喜び」にも通じるやり方だ。多数の選択肢を捨てるからこそ、選びとったものに価値が生まれる。 仕事を辞めるにしても、子どもを持つにしても、家を買うにしても同じだ。迷っているうちは不安でいっぱいかもしれないが、思いきって決めてしまえば、不安は消えてなくなる。 進むべき方向はただひとつ、自分が選びとった未来に向かって前進するだけ””
””「いったん注意が途切れると、苦痛は耐えがたいものになります」とヤングは言う。彼は冷水をかぶるたびに、今ここで感じていることに意識を集中させた。そうすると、冷たさを感じても、苦痛にのみ込まれずにすむのだった。 やがて、それこそが冷水の儀式の目的であることがわかってきた。気を抜かずにいれば報酬が与えられ(苦痛が減り)、気が散ると罰が与えられる(苦痛が増す)。伝統的な仏教の言い方とは違うかもしれないが、これは集中力を鍛えるためにデザインされた「巨大なバイオフィードバック装置」なのだ。 修行生活を終えたあと、ヤングは自分の意識が変化していることに気づいた。今ここに集中する技術を身につけたおかげで、日常のさまざまな場面で感じる苦痛が明らかに減っていた。以前なら考えるだけで 憂鬱 になっていた雑用にも、前向きに取り組める。 問題は活動そのものではなく、自分の心の中の抵抗にあったのだ。 抵抗をやめて、目の前の感覚に注意を向けると、不快感は静かに消えていった。のちに彼は高野山の住職からシンゼン・ヤングという新たな名を与えられ、今では瞑想の指導者として活躍して~””
””禅の教えによると、人の苦しみはすべて、現実を認めたくないという気持ちから生じるのだという 7。「こんなはずではなかった」「どうして思い通りにいかないんだ」という気持ちこそが、苦しみの根源なのだ。 自分は万能ではない。ただの無力な人間で、それはどうしようもない。 その事実を受け入れたとき、苦しみはふいに軽くなり、地に足のついた解放感が得られるだろう。「現実は思い通りにならない」ということを本当に理解したとき、現実のさまざまな制約は、いつのまにか苦にならなくなっているはず””
””セティヤの言う「非目標性の活動」という概念が、ショーペンハウアーが見落としていた可能性を示唆してくれる。そこには苦痛でも退屈でもない道がありうるのだ。 何らかの達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しむこと。僕たちはそんな活動をもっと日々の生活に取り入れたほうが
””そもそも「問題」とは何か? 一般化して定義するなら、それは自分が取り組むべき何かだ。そして取り組むべきことが何もなくなったとしたら、人生はまったく味気ないものになるだろう。 「すべての問題を解決済みにする」という達成不可能な目標を諦めよう。そうすれば、人生とは一つひとつの問題に取り組み、それぞれに必要な時間をかけるプロセスであるという事実に気づくはず~””
2022年9月12日 月曜日【読了】
第1章 なぜ、いつも時間に追われるのか
第2章 効率化ツールが逆効果になる理由
第3章 「時間がある」という前提を疑う
第4章 可能性を狭めると、自由になれる
第5章 注意力を自分の手に取り戻す
第6章 本当の敵は自分の内側にいる
第7章 時間と戦っても勝ち目はない
第8章 人生には「今」しか存在しない
第9章 失われた余暇を取り戻す
第10章 忙しさへの依存を手放す
第11章 留まることで見えてくるもの
第12章 時間をシェアすると豊かになれる
第13章 ちっぽけな自分を受け入れる
第14章 暗闇のなかで一歩を踏みだす