『The Art of Finding Desire: Money, Love, and Career by Luke Burgess~欲望の見つけ方~』


反模倣的に生きることが出来ているか?

””反模倣的というのは、どういう意味だろうか。模倣の欲望と完全に手を切るべき、あるいはそれが可能であるという話ではない。反模倣的であるというのは、ナシーム・ニコラス・タレブの「反脆弱性」と違って、単に模倣の反対を示すものではない。反模倣的であるというのは、欲望の破滅的な力に対抗する能力、自由を持つことである。模倣的なものは促進剤であり、反模倣的なものは抑制剤である。反模倣的な行動──あるいは人──は、流れに乗るのを好む文化の否定の証である。  ””

『The Art of Finding Desire: Money, Love, and Career by Luke Burgess~欲望の見つけ方~』(ルーク・バージス著)は、人間の欲望について深く掘り下げ、欲望の種類や発生原因、欲望を識別する方法、欲望を活かすための方法、欲望によって充実した人生を送る方法などが紹介されている。

認知科学のコーチングを学び、自分の(本書で言うところの濃い欲望に近い)Want toを掘り下げ、磨き上げることには、かなりの時間を投資し続けているものの、本書で言及されているジラールの「模倣の理論」という概念を知った今、自分の欲望は、自分のWant toは、本当に模倣的ではない!と断言することが難しいのではないか?と懐疑的になった。

””濃い欲望とは、表面からは見えない奥深く、地球の中心に近いところでつくられるダイヤモンドのようなものだ。それは人生において変化しつづける環境に影響されない。一方、薄い欲望はきわめて模倣的で伝染しやすく、たいてい底が浅い。  欲望は年齢を重ねるにつれて濃くなっていくと言えればいいが、必ずしもそうとはかぎらない。少なくとも意図的に努力しなければそうはならない。自分の欲望が薄いことに気づくのが遅すぎたという高齢者はめずらしくない。たとえば、何十年も引退を楽しみにしてきて、いざ引退してみたら満たされなかったという人だ。引退したいという望み(ちなみに第二次世界大戦前は一般的ではなかった)は薄い欲望であり、理想的な状況のなかでこれをしたい、これはしたくないという模倣的に得た考えでいっぱいだからだ。一方で、家族と過ごす時間を増やしたいというのは濃い欲望だ。そう言えるのは、今日から欲望を満たすことができ、引退するまでそれを続けられるからだ。それは長い年月をかけて複利のように成長する。時間をかけて確かなものと~

AIの存在によって、この世の中は、僕たちの預かり知らぬところで、欲望の生態系は、ごく一部の人間による恣意的なコントロールによって、益々、自分が理解できる規模を超えてしまう可能性が高いのではないか。人は、きっと、自分は(自分だけは)、独立した欲望を持っている、模倣した欲望なはずがない、と、盲目的になる(ならざるを得ないとも言えるかもしれない)

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Generative AIによる以下一部抜粋を受けた書評

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欲望の模倣のサイクル

欲望を満たすことができるモデルがなければ、私たちは欲望を持つことができません。しかし、欲望のために模倣することで、欲望が薄くなってしまう問題があります。また、モデルを選択する際には、そのモデルが自分の欲望に合っているかどうかを確信し、その欲望を追いかけることができます。しかし、モデルを追いかけるだけでは、内なる変容が起きず、その欲望を満たしても、次の欲望に移ります。欲望のポジティブなサイクルを形成するためには、内なる変容が起こることが必要です。

自分の欲望を見つめ直す

私たちは自分自身の欲望を形づくる責任があると同時に、人間関係を大切にする責任もあります。欲望をつくる義務と人間関係は切り離せないものです。欲望の変容は、自分の欲望よりも人の欲望の達成を気にするようになったときに起きます。欲望のポジティブなサイクルが機能するのは、真似されるのが自分を差しだす行為だからです。欲望のポジティブなサイクルが機能するためには、自分の欲望よりも人の欲望の達成を気にするようになることが必要です。

自分にとって大切な欲望を手にする

自分にとって一番大切な欲望を手にすることが必要です。それを手に入れるためには、自分にとってのモデルを見つけることが必要です。モデルを見つけても、内なる変容が起きなければ、モデルに追いつくことはできません。愛の定義は、相手にとって良いものを欲することです。自分の欲望のためだけでなく、人の欲望も実現できるようにすることが、欲望のポジティブなサイクルを形成することにつながります。

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一部抜粋

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””ジラールは、私たちが欲しがるもののほとんどは、 模倣 によるものであって、内在するものではないとした。人間は──真似ることを通して──ほかの人が欲しがるものと同じものを 欲しがることを学ぶ。同じ言語を話し、同じ文化的規範によって行動することを学ぶのと同じである。真似は、社会において人々が 公 に認める以上に大きな役割を果たしている。  人間が持つ真似る力は、ほかの動物を 凌駕 している。その力があるからこそ、人間は洗練された文化や技術をつくることができる。同時に暗い面もある。真似る力によって私たちは、欲しいと思っても最終的には手に入らないものを追い求めてしまう。真似は私たちを欲望と競争の循環に閉じこめる。そこから逃れるのは難しく、実質的には不可能だ。  だが、ジラールは教え子たちに希望を与えた。ままならない欲望の循環を超越することは可能 だった。自分が望む人生を築くにあたって、主体性を発揮することは可能だったのである””

””模倣の欲望は、人間生態学の全体像の一片にすぎない。そこには自由と人間性への合理的な理解もある。欲望の真似は、他人の内なる生き方に対する深い寛容性と関係がある──それは私たちを人間として際立たせている。  ジラールが「欲望(desire)」という言葉を使うとき、それは食欲や性欲、身の安全を求める気持ちではない。それらは「欲求(needs)」と呼んだほうがいいだろう。生物学的な欲求に真似は関係ない。砂漠で喉が渇いて死にそうなとき、誰かに水が欲しいところを見せてもらう必要はない。  しかし、生き物として基本的な欲求が満たされたあと、私たちは人類の欲望の世界に足を踏みいれる。そして、欲しいものを知ることは、必要なものを知ることよりもずっと

””欲望の動きは世界を定義する。経済学者はそれを測定し、政治家はそれを集め、ビジネスはそれを提供する。歴史は人類の欲望の物語である。それなのにその起源も進化もよくわかっていない。ジラールは一九七八年の大作に『世の初めから隠されていること』というタイトルをつけた。人間が欲望の本質とその帰結をいつから隠してきたのかつきつめた結果だった。本書は、この隠されたものについて、そしてそれが今の世の中でどのように展開しているかについて記したものである。””

””危険なのは、モデルの存在を認識しないことだ。その場合、私たちは簡単にモデルと不健全な関係に陥ってしまう。モデルは巨大な影響力を発揮しはじめる。私たちは無意識のうちにモデルに執着しがちだ。モデルというのは、多くの場合、秘密の偶像なのである。 「ルネは、それが敬意を表する行為であるかのように、人の目の前にある偶像を取りのぞくことができた」。ジラールの友人ギル・ベイリーは私にそう語ってくれた。模倣理論はモデルを暴き、モデルとの関係をつくりなおす。モデルを明らかにすることが第一歩と~””

””私たちは一般的に、欲望とのあいだに異なる関係(現実の関係あるいは認識された関係)を築いている人にひかれる。他人が欲しがっているものは気にしないように見える人、あるいは同じものを欲しがらない人は、別世界の人間のように感じるものだ。模倣に影響されず、反模倣的にさえ見える。だから魅力的なのである。ほとんどの人はそうではない””

””移動するゴールポスト  作家のジェームズ・クリアーはその著書『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる一つの習慣』のなかで「目標ばかり追っていてはいけない。仕組みから取りかかろう」と述べている( 1)。欲望の視点から見れば、目標はシステムの産物である。自分たちが持つ欲望のシステムの外にあるものを欲しがることはできない。  目標設定に執着するのは的外れで、逆効果ですらある。目標を設定するのは悪いことではない。しかし、目標の選び方を差しおいて目標の設定方法にこだわれば、目標は容易に自虐の道具になる。  ほとんどの人は自分の目標の選択に一〇〇%の責任を負っていない。欲望のシステムのなかで提示される目標を追いかけているのだ。私たちの目標は多くの場合、モデルによって選ばれる。つまり、ゴールポストは常に動いているということ~””

””共感とは、他者の経験を共有する能力である──ただし、相手の話、信念、行動、感情を 真似ることはなく、自分自身の人格や冷静さを失うまで 共鳴することはない。この意味において、共感は反模倣的で~

””共感は模倣のネガティブなサイクルを破壊する。共感する能力がある人は、他者の経験に入りこんで その人の欲望を共有することなく、その人の考えや感情を共有できる。共感力のある人は、自分が欲しくないものをなぜ欲しがる人がいるのか理解できる。つまり、共感できれば、 ほかの人のようにならなくても ほかの人と深くつなが

””自分の人生の終わりに際して、追いかけるチャンスを逃したことにいちばん後悔するのは、濃い欲望だと思う。手に入れようと没頭したことに、きっと満足を覚えるだろう欲望だ。私が疲れ果てて死ぬとすれば──誰でも最後はそうなる──、それは薄い欲望を追いかけたからではない、濃い欲望をつかみ、何も残らなくなるまでつかみ続けたからだ。  破滅的な模倣のサイクルは、自分の欲望の絶対的な優位性を確信したときに動きだす。それを満たすためなら、ほかの欲望を犠牲にするのをいとわない。しかし、欲望のポジティブなサイクルのなかでは、人は自分の欲望と同じように他人の欲望にも敬意を払う。さらに、ほかの人がもっとも大切な欲望を達成できるように積極的に協力する。ポジティブなサイクルにおいては、みんながまわりの人の濃い欲望を実現しようと何らかの形で手助けする。””

””愛のもっともシンプルな定義は、相手にとって良いものを欲することだ。イタリア人は示唆に富む言い方で「愛している」と言う。「 Ti voglio bene」直訳すれば「私はあなたにとって良いものを欲する」。あなたにとってもっとも良いことがありますように、という意味だ。  私たちは自分自身の欲望を形づくる責任がある。これまで見てきたように、それはほかの人なしでは成しえない。欲望をつくる義務と人間関係を大切にする責任は切り離せない。  欲望の変容は、自分の欲望よりも人の欲望の達成を気にするようになったときに起きる。逆説的だが、それが自分の欲望を満たす確かな道なのだ。  欲望のポジティブなサイクルが機能するのは、第一に真似されるのが自分を差しだす行為だからだ。これが美しい結婚、友情、慈善活動の裏にある模倣の欲望のポジティブな力となる。  結局のところ、「欲する」というのは「愛する」の別の言い方なのだ。そして、それもまた模倣的なものである。””